朝、実家の母より連絡があり、市川の伯父が亡くなったと聞いた。葬儀等は内々で済ませるとのこと。コロナ関係なく、こうしたスタイルは今後スタンダードになっていくのだろうなあとも思う。
伯父は母の兄で、なんというか、とにかく豪快な人だった。昭和9年生まれ。日大の獣医学部に進み、獣医の資格を取得したくせに、なぜか三井物産に入社。TDLが開業した前後、そのあたりの仕事にも関わったことがあるらしい。
普段は寡黙なくせに、底なしの呑兵衛だった。強くはないが量は半端なく飲む。つまり、すぐに酔っ払って、その状態がずっと続く。はた迷惑だが、とにかく明るい酔っぱらいだった。
親族内で有名なエピソードがある。法事かなにかの集まりでいつものようにすぐ酔っ払い、へべれけに。さあお開きというタイミングとなったとき、ウチの母親だったか伯母に酔眼で「ママ!お勘定おねがい!」と言ったことがあるのだ。周囲は大爆笑で即レジェンド確定。カミさんにこの話をすると、何度も聞かされてるくせに今でもケラケラ笑う。
20代前半の頃、就職や将来のことで悩みまくっていた時期に、母方の祖母が伯父宅に引き取られていたこともあって、よく会いに行った。
伯父は、その気があるなら知ってる会社にネジ込むことくらいできるけど、オマエはそういうの嫌だろう? といって、グラスにビールを注いでくれた。若い頃はいろいろ失敗するといいんだよ、とも教えてくれた。獣医の道から商社マンへと転身した経験があったからなのかもしれない。
晩年はコロナで全然会えなくなってしまったが、少々ボケが入りつつも、市川の丘の上にある自宅で静かに暮らしていたと聞く。糖尿病で大好きな酒も制限されていたようだが、これでようやく開放されたね。
今夜、何かに付けて豪快だった伯父を想いながら、ウイスキーを呑んでいる。
もっと色々話したいことがあったのだ。真面目な話じゃなくて、くだらないこと、他愛のないことを話しながら、もっと一緒に呑みたかった。
生きている人とは、生きているうちに会って、話したいことを話すべきなのだ。