全裸監督は全裸で震えて見ろ!

20代から30代にかけて、多少なりとも出版業界の片隅で情報発信を生業としてきた。

当時は雑誌メディアもまだ元気で、会社に泊まることなどしょっちゅう。ていうか、自分専用の布団を持ち込んだりもしていたほどだ。当時ぎっくり腰を患ったりしたのが発端だったが、社屋が広かったことともあり、布団に寝っ転がってゲラに朱入れをしたりする姿は、思い起こすだに異様な光景である。

給湯室には「シャンプー禁止」の張り紙があり、昼間のトイレの個室からは、しばしば誰かのいびきが聞こえてきた。昭和の名残がまだある、最後のモーレツな時代だった。自分のタイトルも徐々に上がり、最終的には編集長として先頭に立った。

ライバル媒体との闘い(部数争い)も熾烈だった。デイリーでわかる紀伊國屋書店の売上実数に一喜一憂し、半期にいちど、ABCという雑誌の実売部数調査の結果を心待ちにし、買ったり負けたりを繰り返す。

こんなところではとても書けないような嫌がらせを受けたりもした。同じく、こんなところではとても書けないようなイイ話もあった。

そんな遠い記憶が、全裸監督を見ながらフツフツと思い出された。

 

全裸監督は、「エロ」というゆらぎない「芯」がありつつも、その実は、野心に溢れるクリエイターたちが血と汗と涙と精液を流しながら、どうにかして「売れる」ものを作ろうとする物語でもある。

私は夜更けの自室でヘッドフォンをしながら2日かけてエピソード1すべてを観たが、とにかく魂の震えが止まらなかった。

売れるコンテンツを作るというのは、かくも熱く、激しく、そして孤独な世界に身を投じる覚悟が必要なのである。作品に魂を込めると言うは易しいが、実行するとなると、周囲を巻き込んで脇目も振らずに突き進むしかないのだ。

マニュアルやマーケットデータに踊らされたような作品や、鼻くそほじりながらコピペした文章を適当に切り貼りしたようなネット記事が履いて捨てるほど溢れる世の中で、燦然ときらめく作品、それが全裸監督である。

 

もはやNetflixの解約など考えられない。令和に生きる我々には、NHKとNetflixとAmazonPrimeとDAZNさえあればよいのだ。

祝・シーズン2制作決定!

もうすぐ完全な死を迎えるCDというメディアについて

CDと決別することにした。

具体的には、自宅にある音楽CDのコレクションをすべて売却すべく、徐々に手を付けている。

およそ1000枚。これでも何度かの売却機会kを経て生き残った精鋭、つまりはお気に入りの音楽たちだが、ビリー・ジョエルやツェッペリンのリマスター紙ジャケはもちろん、ムーンライダーズの秘蔵アイテム、超プレミアが付いているエレカシの3枚目など、別け隔てなく処分するつもりだ。

DiskUnionなどに一括で売却することも考えたが、1枚ずつメルカリに出している。十把一絡げで買取してもらうより、1枚ずつ、あるいはある程度セットでフリマに出したほうが手残りが圧倒的に多くなるからだ。

ただし、途方もなく手間がかかる。

1枚ずつ商品写真の撮影、盤面のチェック、販売文言の記載をして、売れたら売れたで個別梱包と発送、ときにはコメントの返信や面倒な値切り交渉の相手までしなくてはならない。

いま、邦楽の50音順の「さ」行の終盤にさしかかったところだが、出品するそばから売れたりもするし、なかなかに骨が折れる。洋楽のZまで到達するのにどれくらいかかるだろうか……想像するだに恐ろしいものの、暇を見つけてボチボチやっていくつもりだ。

この、メルカリをめぐる悲喜こもごもについては、そのうち改めて書くかもしれない。

 

音楽ソースのデータ化は、MP3から一般化した。以来20年以上がたち、気がつけば日々接している音楽はそのほとんどがリッピングされたデータや配信となっている。

再生を目的として音楽CDを持ち出す機会は、ほぼ絶滅した。そしてもうすぐ完全な死を迎える。

今更なにをとおっしゃるかもしれないが、確かに我ながら気づくのが遅かったと思う。自部屋や外出時はデジタル音源でいいし、リビングではここのところアナログレコードをかけまくっている。なんの問題もない。すでに自前のコレクションはすべてALACにてリッピング済みなので、データ品質的にも申し分ない。

今後は好きなアーティストの新譜が出たら、ハイレゾ配信があればそれを買う。なければとりあえずCDを買い、リッピング後にすぐメルカリに出すことになりそうだ。もちろんアナログ盤も同時に出してくれるなら、配信やCDは買わない。レコードをデータ化するのは昔ほど大変な作業でもないし、むしろWAVで取り込めば自家製ハイレゾ音源となるぶん有り難いくらいだ。

ノイズ? もうノイズも気にならないなあ。大した再生環境じゃないけれども。

海外では、アナログを買うとダウンロードコードが付いてくるとか、普通に一般化している。日本もそうなればいいんだけどね。なお、ちまたでは、Spotifyなどのサブスクも流行しているようだが、あれはあれで自分の嗜好には合わないんだよなあ(いまのところ)。

自分が高校生の頃に登場した音楽CDは、世の中的にはまだもう少し生きながらえるかもしれない。日本はCDの売上がまだ大きい、世界的に得意な市場だったりもするらしいし。

だがCDというメディアそのものの寿命もあるうえに(一説には10年という話もあったが)、これだけソースとして使用されない現実がある以上、もはや使命は終わった。

よく覚えている。カナダの3人組バンド、RUSHがPOWER WINDOWというアルバムを出したときのことだ。

当時、まだCDを再生できる環境が自宅になかった。でも、レコードとCDの両方が発売された。兄は「そんなん当然CDだわ」と言っていたが、迷いに迷って、LPを買った。

自分が買う最期のLPは、このアルバムになるのか……。そんな思いを抱き、レジで受け取った。

あれから35年。せっせとCDを売り、LPを買っている自分がいるというのは滑稽なものである。