八月十五日の午後

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例年ならば、この日は東北の山に入ってる時期なんだけど、今年は出勤中。会社から徒歩5分ということで、行ってきました靖国神社。

午前〜正午くらいまでは、いろいろと喧しかったのかもしれないが、想像以上に落ち着いた雰囲気でした。参拝者は非常に多かったけれど。

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手水舎あたりから並んで、参拝できるまで15分くらいかかったかな。けっこうな日差しの中、汗をダラダラ流しながらじっと待つ。お年を召した方が大勢いたが、意外と若者も多かった。非常に静かな行列であった。

この日の在り方を巡っては、国内外問わず言いたいことがある人も大勢いるのだろうけど、果たして私が生きている間に何らかの解決なり妥協なりに至ることはあるのだろうか。中国にせよ韓国にせよ、そして日本の国内ですら、政治的な色合いが強くなりすぎて引っ込みがつかなくなった感がある。事態は絶望的だ。

私の祖父の弟は、フィリピンのルソンで戦死した。名は恒三という。藝大の油画科を出たあと教員となり、いくつかの作品は、いまもどこかで展示されていると聞く。

こんな時代なのでググってみたら、自画像を発見。おそらくは1936年に描かれ、いまも学生制作品として藝大に収蔵されている作品ではないかと思う。なんとなく、顔の雰囲気が自分に似ているようなそうでもないような……。一族における書画の才は、祖父や父は立派なものを受け継いでいるが、私には米粒ほども見られない。残念。

 油画科卒業後、教職についていたが、35才、終戦の前年になって出征。フィリピンから、妻・ゆり子さんに宛てた手紙;

「此処まで来ると視るもの聞くもの珍しい事ばかりです。こんなに異国情緒に富んだ処が近くにあるのだったらもっと早々に来て傑作を残して置けただろうにと思う程です。(中略)小型の悪いスケッチ箱、スケッチ板、水彩絵具セットを何等かの方法で、送って戴けないかしら。椰子の林等画材は書きよく、相当な収蔵を残すことが出来ると思ふのだがそれは後のお楽しみとしよう。」

そのスケッチを遺すことなく、頭部貫通銃創により戦死。

http://blog.goo.ne.jp/sque/e/36d3cb7e4e9b84097d13b1f7443b638c

戦死者はもちろん、手を合わせる人々も心安らかにすごせるようにならないものか。

「八月十五日の午後」への3件のフィードバック

  1. 俺も3月の空襲前後には靖国に行くようにしています。
    まったく同感。

    大伯父さんはすごいね・・・・
    アートというものは、後世につたえるメッセージだね。

  2. 「今はブクブク太ってるからぜんぜん似てない」と妻。

    遺品や遺作は、信州上田の「無言館」というところに展示されてるらしいので、いつか機会があれば行ってみようっと。

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