『カールじいさん…』を観てきた

CGアニメ映画というジャンルは、これだけテクノロジーが発達して、ハードウェアの性能も上がり、おそらくはテクノロジーに明るいクリエーターがどんどん増えているというのに、ピクサーと双璧をなすようなライバル会社の存在が見当たらない。

たしかに自前のRenderManはいい制作環境だと思うけれど、ピクサー映画が面白いのは、3D云々ではなく、単純に面白いストーリーや映画を作る能力に長けているからだ。テクノロジーは単に屋台骨であって、それが全面に出てくるようでは意味がないということだろう。



それにしても、なんたることか。冒頭のシークエンスですでにもう、顔がダダ濡れである。後日、公式サイトを見てみたら宮崎駿も似たようなことを書いていた。ていうか、たぶん見た人すべてが、のっけからガツンとやられるんじゃないかと思う。

夫婦や親子、大事な友達、あるいはペットなんかもそうかもだけど、愛する存在との死別は、本当につらいものだ。だがどんな人とも、別れは必然的にやってくる。この映画は、そんな別れの経験ある人、あるいはいずれ経験することになる人すべて(つまりほとんど全員だ)の胸に、強く響くメッセージを持っている。

テレビなどでもさんざん宣伝しているから知っている人も多いとは思うが、この映画は、亡き妻との約束を果たすために、家に風船をくくりつけて旅に出る老人の話である。さまざまな困難に直面し、さまざまな選択を強いられ、決断を迫られる。

できれば、誰か大切な存在の人と観に行き、映画の主題についてや、なぜ原題が「Up」なのかといったことについて語り合うと楽しいのではなかろうか。

ていうかコレ、子供や若造には相当わかりづらいテーマだと思う。目線が上すぎな気もするんだけど、きちんと子供ウケもよくなるよう構成されてるところがすごい。ジブリとかも上手いけど、ピクサーも相当だ。

おそらく私も、いずれ大切な人と死別する。両親はまだ健在だが年老いて入るのでいつ何があるかわからない。事故だってありえるし、来年は自分も本厄だしで、要するに人生一寸先は闇である。

実際にそうなったら、おそらくは悲しみの淵を漂い、思い出の品を前に酒を浴びるように飲み、涙を流して途方にくれるのだろう。が、すこし時間がたって落ち着いたら、この映画のことを思い出し、もう一度見たくなるのではないかと思う。

映画館によっては専用メガネをかけると3D映像として楽しめるようにもなっている。だけどこのメガネ、耳のあたりが痛くなるし、やや暗いフィルターを通すことになるので、前田センセイもおっしゃっているとおり効果の程は期待しないほうがいい。ただし、涙腺がゆるみきった私のような人間にとっては、その本来の用途ではないものの、非常に役立ったことを付け加えておく。

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