AppleがTabletを発表する前に個人的に整理しておきたいこと

いよいよ1/27(日本では1/28午前2時とか)に、Appleが新製品を発表するようだ。スティーブ・ジョブズ自ら“This will be the most important thing I’ve ever done”などと言っており、相当注目が集まっている。

この手の演出は「いつものこと」と言えなくもないのだが、あらゆる状況証拠的なものから推察すると、少なくともAppleがこれまでにないカテゴリーの製品を、満を持して発表する、ということは間違いなさそうだ。

タブレットは大きなiPhoneなのか。

ある意味で正しくある意味で正しくない。

実際、華々しくデビューするのがタブレット型の製品であったとしたら、OS部分には間違いなくダウンスケールされたMac OS X、あるいはアップスケールされたiPhone OSが搭載されるはずであり、そういう意味では大きなiPhone、あるいはスリムなMacとも言えるだろう。

個人的妄想:iPhoneアプリとは完全に互換性を保ち、10inchとも噂される液晶画面上では、おそらくiPhoneアプリを複数同時に立ち上げたり、またiPhoneアプリ自体にもスケーラビリティが加えられ、同じアプリがiPhoneでもタブレットでも違和感なく動き、タブレット上では大きな画面領域を生かした機能が使える、といった感じになるのではなかろうか(ゲームであれば単純に高解像度化され、メールやTwitterのようなアプリは同時に表示できるものが増える、などのイメージ)。

タブレットは電子書籍リーダーなのか。

ある意味で正しくある意味で正しくない。

もちろん電子化された書物にアクセスするのは他愛もないことだろうが、KindleやSONY Reader、あるいはNookと同じ文脈で語られる製品にはならないと思われる。

Appleが米国の出版社にアプローチをしたとの話もあるが、それはAmazon Kindleに対抗し、iTunes上でBook Shopを開くためだけのものではなかろう。

村上春樹や司馬遼太郎、あるいはスティーブン・キングの作品を「読む」のであれば、やはりKindleやSONY Readerが採用するE-Ink型の端末が圧倒的に適している。これは新聞についても同じことであり、いわゆる透過光と反射光の問題だ。

このへんについては、松永英明氏のブログ「絵文録ことのは 」にわかりやすい投稿があるのでリンクしておく。
Amazon Kindle(アマゾン・キンドル):「反射光の電子ブック」という革命的に新しいメディア

Appleはカラーであること、マルチタッチであることに妥協はしないだろうし、仮にKindle対抗の書籍版iTunesストアを解説し、タブレットで読むことが可能になるとしても、あらゆる既存の枠組みの「再定義」が大好きなAppleが、それだけで満足するとは想像できない。

つまり、タブレットで楽しむコンテンツがあるとすれば、既存の動画や音楽、アプリなどに加えて、何らかのものを再定義したものになるはずだ。そう、例えば、Time社がSportsIllustratedのデモとして公開したような、新しいメディアフォーマットだ。


再定義されるのは雑誌なのか。

ある意味で正しく(ry

それはテレビ番組かもしれないし、古き佳き、ディレクターベースのインタラクティブコンテンツかもしれない。ひょっとしたら、懐かしのナレッジナビゲーターかもしれない。

もし、上のSportsIllustratedみたいなもんが「標準」になるのだとすれば、メディア業界は再構築を余儀なくされる。動画、静止画、音楽、文章、そしてコーディング。新たな人材が求められ、ある意味、活気づくのではなかろうか。当然、それらを横断するスキルが必要になるわけで、単機能的編集者は死んでいくことになるだろう。ガクブルである。

当然、リッチコンテンツを抑えているパブリッシャーが有利になる、というか、パブリッシャーはリッチコンテンツがないと立ち行かなくなる(いまでもけっこうその雰囲気はあるけれど)。

結局のところよくわからないが。

あと数十時間内で、Appleのプレゼンテーションについて知ることができる。あれこれ妄想を膨らませて楽しめるのも、残りわずかだ。

ひょっとしたら、すこぶる馬鹿げたものかもしれない。評論家たちが一斉に攻撃してAppleの株価はガクンと下がるかもしれない。久しぶりにAppleがコケる姿を、世界は潜在的に待ち望んでいるから、発表と同時にあらゆる人間があら探しを開始するだろう。

だが、iPodが初めて登場したときのことは、いまだによく覚えている。当時の、世界中の冷ややかなコメントも今となっては懐かしい。「いったい誰が5GBもの音楽を常に持ち歩きたいと思うのか」「そもそも高価すぎる」等々。

だがあの発表会で、集まったごく少数のプレスにiPodを渡したとき、AppleはそのiPod内に収録された楽曲のCDも30枚ほどだったか、すべて同じ袋に入れて渡していた。要するに、本気だった。

どうせ日本は「おあずけ」でしょうね。

情報筋によると(笑)、米国での発表を受けての日本国内でのプレス向け発表会は、現時点ではまだアナウンスされていないようだ。

これはつまり、どんなに魅力的な製品が登場したとしても、日本での発売はすぐには行われないということだ。オリジナルiPhoneと似たケースになるのではないかと思われるが、コンテンツなどの整備状況等を邪推すれば、まずは米国からということになるのだろう。まあ、これは仕方がない。いつものことだが、尻尾を振って待つしかできないからね。

古来、SF映画などでは登場人物がタブレット状のキカイで通信したり、なにかをモニターしたりといった姿がよく見られた。スタートレックしかり、ノートパソコンではなく、それは必ず板状のものだった。そういえば先日見た「AVATOR」にも、そのような端末が登場していたなあ。

さてさて、とりあえず楽しみにしておこう。

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