びぜん亭が閉店してしまう前に

随分と前から予告されていたが、飯田橋のラーメン屋「びぜん亭」が3月末をもって閉店する。

このブログでも度々書いているが、私なんぞは通うようになってせいぜい10年程度。ちょうど会社のオフィスが飯田橋に越してきたあたりだから、筋金入りの常連たちに比べたら新参もいいとこだ。

とあるきっかけから大将とはプライベートでも仲良くさせてもらっているが、基本、自然薯堀りや沼田の山奥の畑仕事(完全人力)、あとは真冬の狩猟などハードコアなイベントがあると電話がかかってくるという、言ってみれば肉体労働要員兼ドライバーである。尤も、声がかかるとしたら個人的にはそっちのほうが断然好みだ。

この店のすごいところは、常連だろうと一見さんだろうと、大将の扱いが基本変わらないことにある。昼時のピーク時なんかはラーメン作るのに忙しそうだが、カウンターに空きが出始める頃合いになると、誰彼構わず客をイジる。ていうか、なんてことない感じで話しかけるんだよね。

話しかけられて若干キョドり気味に受け答えするお客さんを見るのも楽しいが、そういったお客さんはかなりの高確率で次また訪れる。そんな店だった。


閉店については、だいぶ前から「いつかは……」と予兆を感じていたこともあり、大きな驚きはない。公式コメントっぽいものも出てはいるけれど、あれこれ事情を詮索したいとも思わない。

後継者はいなかったのかなどと問うのは無粋の極み。本人が区切りを付けるというのだから、客としてできるのは食いに行くことだけだ。


個人のラーメン屋がいかに重労働かは、ちょっと想像してみればわかる。

セントラルキッチン方式なんかとちがって、スープは毎日イチから炊き上げるから、仕込みや準備で朝9時くらいには店に入る。閉店後帰路に付くのは11時すぎ(たまに残業したとき飯田橋のホームでバッタリ会ったものだ)。それを毎日続ける。

おまけに大将が住んでいるのは多摩地区の丘陵地帯。飯田橋界隈ではないのだ。新宿までJRで、その後ギュウギュウの私鉄に乗り換え。坂道を登って家に着くのは、余裕で日付が変わる頃だろうと思う。

プロの料理人は、いつでも同じ味を作れることが大事な要件だが、それをいかに継続できるかも重要だ。25歳から独学で店を立ち上げ、そんな日々を47年も続けてきたのだから恐れ入る。


営業最終週はしっちゃかめっちゃかになるだろうと思い、その手前のあたりで店を訪れた。夕方の空いてそうな頃合いを狙ったにも関わらずカウンターは満席。2階に上がる。

いつもランチ利用だったため、この店で酒を呑んだことはない。最初で最後と思い「ビールと餃子2枚お願いします」と臨時手伝いのお姉さんに伝える。

すると「いやそれはおかしい、オーダー聞き間違えたんだ、もっかい確かめてきて!」と大将の声が聞こえる。

あー、仕事中だと思っちゃったんだな、説明に行ったほうがいいなと階下に下りて、「今日はもう仕事終わらせてきたから、ビールと餃子2枚で合ってます!」と改めて直接伝える。

店内は、名残を惜しむ酔客もいれば、パリッとしたスーツ姿の会社のお偉いさん風、近所のおばちゃんなど様々である。おみやげにチャーシューや味玉、餃子のオーダーもひっきりなしに入っている。そのうちに「おーい、カウンター空いたよ!」とお気遣いいただき、端の席に座らせてもらった。

三人連れの常連が2階から「焼酎ロックみっつと、日本酒みっつ!」と声をかける。「とりあえず焼酎だけ出して、日本酒は知らんぷりしとこ」「たぶん来週はメニューは支那そばだけにする、それ以外は出さんぞもう!」と愚痴りながら忙しそうに手を動かすのを、苦笑いで受け流す。

あれ?なんか焦げっぽい匂いがする……大将、餃子見て!

「あぶねー、ギリギリOK!」と出されたややコゲな餃子を頬張ってると、空になってたグラスを見て、無言でビールのおかわりを注いでくれた。この状況での気配りありがたい。

ひっきりなしに客が来るし長っ尻は避けたい。餃子を食べ終え頃合いと思い、チャーシューそば+味玉を。これが最後の一杯。どんぶりが足りなかったのだろう、いつものとは違う器でいただいた。

もちろん汁まで完飲

この人のラーメンは、じつに美味しい。だが最近の基準で言えば、決してトップオブトップというわけでもない。実際、美味さや完成度で言えば、びぜん亭よりも高い評価が付くラーメン屋は東京なら山ほどあるだろう。

日本人のこだわりや真面目さ、探究心やカイゼン精神でもって、この十数年でラーメンやカレーは驚くような進化を遂げている。それ自体はものすごく良いことなのだろうけど、個人的には最近のラーメンは「度を越して美味すぎる」が故の弊害や歪みがどこかに潜んでいるのではないかという気もする。

コスパだのタイパだの、そういうレビューが溢れる世の中になったからかな。わからない。うまく言語化できないが……。


皆が美味いという店もけっこうだが、それ以上に貴重なのは皆に愛される店だ。

美味し!と言いたいという気持ち以上に、愛を叫びたい。そんな店に、またどこかで巡り逢いたい。今の自分が絞り出せる言葉は、それに尽きる。


さようなら、びぜん亭。

店を出る頃には行列ができていた

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