関川夏央 『昭和が明るかった頃』

 そろそろ忘年会シーズンに入ったようだ。じつは先週、すでに一本流してしまったんだが、今週末にもあるし、今日も今日とて、九段下界隈のアヤシイ連中たちと深酒の予定。んー、胃がもつかどうかが心配だ。まぁ、ドラクエ買ったのにプレステが壊れててできないんで、ちょうどいいのである。

関川夏央 『昭和が明るかった頃』

 とにかく、オビが泣かせる。「昭和三十年代 日活 そこに 裕次郎と 小百合がいた」だもの。昭和40年代前半生まれの身としては、石原裕次郎は「太陽にほえろ」だし、吉永小百合は「夢千代日記」だった。そして、日活といえばロマンポルノである。彼、彼女のスクリーンでの活躍、そして日活の全盛期は、話としては知っているという程度。

 しかしこの本は、日活映画史を語るものでもなければ、文化的側面から裕次郎や吉永小百合を論ずるものでもない。あえて言うなら、時代だ。現代に至る日本という国、そして国民に対して大きな影響を与えた時代が、この二人を軸に展開される。それは、戦後の混乱期が終わり、高度経済成長が始まった頃、タイトルにもあるように「明るかった」昭和だという。

吉永小百合が十七歳から十九歳であった六十二年から六十四年は、彼女の人気の頂点であったと同時に、それは戦後日本の頂点であった(本文より抜粋)

 この時代をリアルタイムに知らない世代は想像するしかないのだが、60年代前半がターニングポイントであるとするなら、その頃にいったい何があったのか。事象としては、東京オリンピック、そしてTVの浸透などが挙げられよう。同時に、「戦後の終わり」が始まりつつあったタイミングでもあったはずだ。いわゆる戦後のターニングポイントとしてよく挙がるのはオイルショックだが、日本人の精神性が、その10年以上も前にひとつの区切りに至っていたというのは、なるほど本書を読むと説得力を感じる。

 映画女優として知られる吉永小百合は、意外なほどに代表作が思い出せない。実際、『キューポラのある町』くらいしか知らないしなぁ。近年に至るまで多数の作品に出演しているくせに、出る映画はどれもこれも鳴かず飛ばず。最近では、シャープのAQUOSのCMでよく見かけるが、いまなお「吉永小百合という生き方」を貫いているのはすごいと思う一方で、周囲(メーカーとか代理店)もそれのみを期待しているという事実もある。

 明るく、へこたれず、どこまでも向日的だった時代……。波止場に佇む健康的な不良、裕次郎や、川口の健気な労働者の娘たる吉永小百合が、現代に蘇ることはないのだろうね。ともあれ、関川夏央お得意の「懐古モノ」、なかなかナイスな本でした。

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