原稿の束を持って北の丸公園へ。お外でお仕事が気持ちイイ季節だ。
先日もチョロっと書いたが、たまに嘘の内容を原稿に書いてくる人がいる。同じ人が書いた似たような嘘に、再び似たような赤字を入れてたんだけど、こういう仕事は切ない。専門分野については正しいのだが、ちょっと軸がズレると、知ったかぶりで堂々と間違いを書いてちゃうタイプの人なんだな、この人は。
丁寧かつ婉曲に、「ココ間違ってますよ〜」とペンを走らせ、水際でトラブルを食い止める。そのほかは至って平和。
ボリショイサーカスの日本支部が、九段下にある。で、そこの1Fがカフェなんですよ。名前は「カフェ・スパシーバ」。なんか期待しちゃうよね。最近ロシアってブームで、雑貨なんかも若い女の子に人気もあるし。きっとカフェなんだから、美味いボルシチとかベフ・ストロガノフとか出してそう。
ところが実態は、ただのセルフサービスの喫茶店。コーヒーは300円。やす。近所のオッサンたちがドトールがわりに使っている雰囲気で、なんともいえない哀愁が漂う。味はまあ、それなり。ビールとかも置いてあるけど、食べ物はサンドイッチ程度だったかな。
でもカップとかのデザインがかわいい。スプーンにまでクマさん。なんかボリショイっぽい!
ボリショイって、「大きい」って意味なんだって。ボリショイサーカス=大サーカス。なるほど。
そろそろ忘年会シーズンに入ったようだ。じつは先週、すでに一本流してしまったんだが、今週末にもあるし、今日も今日とて、九段下界隈のアヤシイ連中たちと深酒の予定。んー、胃がもつかどうかが心配だ。まぁ、ドラクエ買ったのにプレステが壊れててできないんで、ちょうどいいのである。
とにかく、オビが泣かせる。「昭和三十年代 日活 そこに 裕次郎と 小百合がいた」だもの。昭和40年代前半生まれの身としては、石原裕次郎は「太陽にほえろ」だし、吉永小百合は「夢千代日記」だった。そして、日活といえばロマンポルノである。彼、彼女のスクリーンでの活躍、そして日活の全盛期は、話としては知っているという程度。
しかしこの本は、日活映画史を語るものでもなければ、文化的側面から裕次郎や吉永小百合を論ずるものでもない。あえて言うなら、時代だ。現代に至る日本という国、そして国民に対して大きな影響を与えた時代が、この二人を軸に展開される。それは、戦後の混乱期が終わり、高度経済成長が始まった頃、タイトルにもあるように「明るかった」昭和だという。
吉永小百合が十七歳から十九歳であった六十二年から六十四年は、彼女の人気の頂点であったと同時に、それは戦後日本の頂点であった(本文より抜粋)
この時代をリアルタイムに知らない世代は想像するしかないのだが、60年代前半がターニングポイントであるとするなら、その頃にいったい何があったのか。事象としては、東京オリンピック、そしてTVの浸透などが挙げられよう。同時に、「戦後の終わり」が始まりつつあったタイミングでもあったはずだ。いわゆる戦後のターニングポイントとしてよく挙がるのはオイルショックだが、日本人の精神性が、その10年以上も前にひとつの区切りに至っていたというのは、なるほど本書を読むと説得力を感じる。
映画女優として知られる吉永小百合は、意外なほどに代表作が思い出せない。実際、『キューポラのある町』くらいしか知らないしなぁ。近年に至るまで多数の作品に出演しているくせに、出る映画はどれもこれも鳴かず飛ばず。最近では、シャープのAQUOSのCMでよく見かけるが、いまなお「吉永小百合という生き方」を貫いているのはすごいと思う一方で、周囲(メーカーとか代理店)もそれのみを期待しているという事実もある。
明るく、へこたれず、どこまでも向日的だった時代……。波止場に佇む健康的な不良、裕次郎や、川口の健気な労働者の娘たる吉永小百合が、現代に蘇ることはないのだろうね。ともあれ、関川夏央お得意の「懐古モノ」、なかなかナイスな本でした。
田舎で高校生をやってた頃、初めてインド風のカレーというものに出会った。それがボンベイという店で、それまでカレーといえばいわゆる日本風しか知らなかった幼きアタクシは、もうガツーンと衝撃を受けたわけです。
ものすごく辛い。しかし、ものすごく旨い。
メニューには、見たことも聞いたこともないようなカレーがズラリと並び、しかもそれぞれ辛さを無段階に調整できる。だいたい、悩んだあげくにふつうのチキンかキーマを頼むことが多かったかな。ランチタイムだと、サラダとマンゴージュースがついていて、このマンゴージュースで辛さをやわらげながら食べたもんだ。
ボンベイは、正月だろうと無休で空いてたので、「お節もいいけど…..」といったノリで、三が日にはよく出かけた。食べた金額に応じて、「ルピー」と称しておもちゃのお札をもらったっけ。これを集めると、店にある雑貨なんかと交換できたんだよな。
トイレは、四方が鏡張りだった。あれはなんでだったんだろう。とにかく「その」間、自分のナニが目の前の鏡に映るんである。いかがなものかと、思ったもんだ。
大学に入ってからも、帰省したときはできる限り立ち寄った。東京にも、こんなに本格的なカレーを食わせる店はないと思った。いや、六本木とか神保町に行けばあったのかもしれないが、当時はそんな情報など手にはいることはなかった。
だが、ある日ボンベイはなくなってしまった。ヘンテコな居酒屋に変わってしまったのである。もう、あの味には二度と会えないのかと思うと、故郷が少しだけ遠くなった気がしたものだ。
<以上、前フリ>
会社が九段下に引っ越した。近所にそこそこ有名なスリランカカレーの店があり、やはりカレー好きとしてはチェックせねばなるまい。食べてみるとなかなかいい味を出している。うんまい。
で、そういったプチ有名店ならではだが、自分のとこが紹介してある雑誌や本がレジの横に無造作に積み上げられている。注文し、料理が出る間になにげなくそのうちの一冊を手に取ると….
なんと、浜松のボンベイのことがコラムとして載ってるではないか!
それが東京カリー番長の神様カレーguideという本で、なんと浜松出身の人(つまりカリー番長氏ね)が書いたものであった。
おかげでボンベイ@浜松の出自や、その後の店長のことなどを知ることができたわけだが、なんと、いまボンベイのカレーがレトルトになっているというではないか!! どうやら、地元の遠鉄ストアというスーパーで手に入るらしい。
また、ボンベイをネットで検索していると、横濱カレーミュージアムに行き当たった。中部地方で初めてタンドール釜をあつらえた店であったり、全国的にもかなり有名だったようだ。これは、なかなかうれしいエピソードだ。
高校の頃、好きだった女の子の実家が、実はボンベイのトイメンにあったりするんだよなぁ……。とりあえず、今度帰省したら、レトルトを探してみようと思う。
仕事、終わんねぇ。