ルート45を南へ その3

田老を後にして、国道45号をひた走る。休日だったせいか、そこそこ道は混んでいて、気がつくとパトカーが後ろにピッタリついてくる。今年の11月に免許更新な私は、何事もなければ念願のゴールドになるので、メーターとにらめっこ。ヒヤヒヤ運転である。

パトカーは非常に多く、頻繁にすれ違う。車体を見ると、北海道や大阪、静岡など全国から集まって来ているようだ。

今回の震災では自衛隊や消防庁などはクローズアップされていたが、全国の警察も被災地に集結し、さまざまな協力を行っている。おつとめ、ご苦労様である。

釜石まで走り、橋上市場で朝食を……と思ったが、ちょうどタイミングが悪く店が開いていない。ランチタイムまでブラブラし、1Fのこじんまりとした食堂で三食丼をがっつく。あまりの美味さに一瞬にしてたいらげる。

釜石も宮古と同じく、駅前のあたりはあまり震災の陰がない。駅は内陸よりにあるものの、おそらくは半年でここまできれいになったということなのだろう。実際、港方面は被害が大きく、なかなか復旧は進んでいないようだ。

釜石といえば新日鐵。駅のすぐ近くには大きな工場があるのだが、その敷地には瓦礫がうずたかく積まれていた。

なお釜石市では近年になって防災教育を徹底するようになったおかげで、子供の犠牲者は格段に少なったらしい。「釜石の奇跡」とも言われているが、こんな記事もあった。至極もっともな内容であった。

小中学生の生存率99.8%は奇跡じゃない
「想定外」を生き抜く力 (片田敏孝)

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1312

「家に1人でいるとき大きな地震が発生しました。あなたならどうしますか?」と質問した。ほとんどの回答は、「お母さんに電話する」「親が帰って来るまで家で待つ」というものだった。

 私はそのアンケート用紙に、「子どもの回答をご覧になって、津波が起きた時に、あなたのお子さんの命は助かると思いますか?」という質問文を添付し、子どもたちに、家に帰ってから親に見せるように指示した。

釜石を後にして、気仙沼を目指す。

その途中、国道から外れて沿岸部に立ち寄ってみた。小さな集落。

海岸沿いにビシッと建っていたであろう堤防が破壊されている。倒れている向きからして、引き並みでやられたのは間違いないのだが、基礎が固められ、新たな堤防が築かれようとしている。1000年に1度の大津波はしばらく来ないかもしれないが、10年に1度、100年に一度の規模は、いつまたやってくるかわからない。

すでに見慣れた風景となった、基礎だけが取り残された茶色の風景のなか、結婚式の写真が、重しの石を乗せられパタパタと風に揺れていた。おそらくは、その家に住んでいた夫婦のもの。近所の人が、見つけてそっと置いたのであろう。

新しい堤防が守るべき町並みは、いまはまだない。写真の夫婦や家族は、無事にいずれかの避難所にいるだろうか。さまざまな想いが頭の中をぐるぐる廻る。

あまり時間がない。陸前高田経由で気仙沼を目指す。

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