ルート45を南へ その4

陸前高田に入ると、風景が一変した。

比較的平野部が広いからか、被害の度合いがこれまで走ってきた町に比べると段違いだ。国道沿いにうずたかく積み上げられた瓦礫の山は、かろうじて原型を留め残っていた五階建てのマンションと同じ高さがあり、縦横それぞれ100メートルは越えようかという巨大さ。それが、いくつも連なっている。何台か作業していた重機が、本当に小さく見えた。

それまでの道程では、「半年の間に、ここまでキレイになったんだな」という感慨を抱くことも多かったのだが、陸前高田〜気仙沼までは、正直「半年経ったのに、まだこんなかよ……」と打ちのめされっぱなし。

ライフラインである幹線道路こそキレイに復旧されてはいたが、この瓦礫の山、いや山脈を目にすると、本当に今回の震災のとんでもない規模が実感できる。

呆然としつつ運転していたら、いつのまにか気仙沼に入った。

このあたりも、陸前高田と状態は同じか、さらにひどい。

地盤沈下のため、冠水するようになってしまった道路のかさ上げ工事。よく見ると工事費用が書いてあり、5265万円とある。高いのか安いのかはサッパリわからないけど、休日なのに何人もの作業員が汗を流していた。



巨大な船。福島県いわき市の、「第十八共徳丸」。排水量330トン。気仙沼市では、この船を震災のモニュメントにしよう、なんていう話も出ていたそうだ(その後、どうなったかは不明)。4/6の記事と写真が時事通信に上がっていたが、さすがに当時よりは周囲がスッキリしている。
http://www.jiji.com/jc/d4?d=d4_quake&p=wsq413-jlp10693512

転倒防止のために支えも設置されているが、すぐそばに警官が常駐しており、私のような野次馬が近寄らないように監視していた。

この時点で、午後もけっこう遅い時間。帰りの新幹線や帰京時刻を考えると、そろそろタイムリミットだ。ここから内陸、一ノ関駅へと向かう。

一ノ関はいま、奥州平泉の世界遺産登録でにわかに湧いている。三連休の最終日ということもあってか、駅前の混雑も想像以上だ。おばさまの集団、待合室で勉強する女子高生たち。直前に目にした被災地の風景とは、まさに対極にある。

どうにか新幹線の席を確保し、慌てて駅前の食堂に入り、肉を存分に食らう。

この店、じつは前沢牛が食える店なのだが、今年8月に出荷停止となっていたため、供された肉はすべて米沢牛だった。そんないきさつを、愛想のいいおかみさんとしんみりトーク。こんなところにも震災の余波があったとは(その後、出荷停止は解除されている)。

ほんとうは、三陸に来るのは直前まで相当迷った。自分の中でどんなに理屈をつけてみても、やはり単なる野次馬の域を脱することはないような気がしたからだ。

そんなことをウジウジ考えていたら、半年も経ってしまった。思い切って訪れてみて、やっぱり結果的には、単なる野次馬にすぎなかったとも感じている。

ただ、震災復興には忘れないことが大事だとするならば、決して忘れられない風景をこの目に刻むことができた。テレビや雑誌でわかったつもりではいたが、月並みながら実際に見聞きすることで、文字通り体が震える感覚を何度も味わった。

いずれまた近いうちにこの道を、三陸を訪れたい。きっとそのとき、今回訪れた意味がまた、違う形で出てくるのかもしれない。

できればゆっくりと、八戸から順繰りに、石巻や塩竈、いっそフクイチの手前まで。

同行者のNくんにも感謝。

「ルート45を南へ その4」への3件のフィードバック

  1. 貴重な体験ですなー、としみじみ読んどりましたが、
    最後に和牛のサシで、いつものBlogに戻り、安心しました。

    ごきげんよう。

  2. なかなか美味い店であったよ。
    しかし、ステーキとすき焼きを同時に食うというのは如何なものかと我ながら。。。

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