葛根田・大増水の記憶

うーん、何年前かは覚えてないんだけど、初めて葛根田に行ったときのことを書き記しておきます。たぶん1990年代の中盤くらい。ちょうど山に入ってる間にばあちゃんが死んで、下山後に訃報を知ったんだよなぁ。

入渓したときは天気もよくて、葛根田の素晴らしい渓相を満喫。牛首やお函で記念撮影したり岩魚釣りに興じたり。M井やハリー先輩は元気だろうか。。。

あ、現在の私しか知らない人がこのブログ見てたらショックを受けるかもしれないが、小生とて20年前はこのようなスリムな好男子だったのですよ。なんか心なしか足もスラ〜っと長く見えるよね!ね!

1

2

3

4

中ノ又沢出合の高台にベースを張って、翌日は北ノ又沢を詰めることにしたんだけど、源流近くまで行って、さあそろそろ戻ろうかってところで雨が降りだした。

台風や低気圧とかじゃなくて、本当に普通のにわか雨。おそらく降っていたのは小一時間程度と思われる。中之又沢出合のベースに戻った時には止んでたしね。

で、以下3枚が絶賛増水中の風景。自分自身、流されたらオシマイなのでカメラを構える余裕もなかったが、今にして思うと、マジでヤバかった。

5

6

7

本流の渡渉自体は、おそらく2回くらいしたはずだ。その上で、本流をこのまま下るのは無理と判断して、C1001のポコを目指して藪漕ぎして、そのまま尾根伝いに中ノ又沢出合に戻ろうと提案した。

藪自体はさほど濃密でもなく、意外とあっさりベースに戻ることができたのだが、戻った頃には前述の通り雨も止んでおり、拍子抜けしたのを覚えている。

それにしても、ロープはたぶん持っていたはずだが、ろくすっぽ確保もせず、体重の軽い女子2人を交えたパーティーとしては一歩間違えてたら大事故だっただろう。写真ではM井が女子たちのサポートをしているが、このやり方はかえって危険かもしれぬ。

M井やハリー先輩は沢の経験値高いベテランだったが、その2人をもってしても、増水した沢と、その増水するスピードの恐ろしさが圧倒的だったということだろう。

渡渉中、同行のK倉女史が「あたしが流されても放っておいてね」とかぬかして、全員で激怒したのもいい思い出。

8

最後のは、翌日本流を下ったときのもの。やや水量は多いが、ザックカバーをしているのはザックを浮きにして流されながら下ったからだ(それくらい水が引いていたということ)。

先週末は沢の事故が相次いだ。特に京大生2名が流された事故は、ちょっとまだ情報が錯綜しているのだがきちんと確保していたかどうかがわからない。沢仲間とのブログで言及されていたので、トランクから古い写真を引っ張りだしてスキャンしてみた。

いずれにせよ、平水時は穏やかであっても、水量が膝〜腰まで来るような増水では、余程の偉丈夫でも流されるのが水の恐ろしさである。一歩間違っていれば、流されたのは自分自身だったかもしれないのだ。

やはり今夏の計画は中止としてよかったのだ(と、自分を納得させる)。

PS
冒頭に書いたとおり、下山後やたらと自宅に留守電が入っており祖母の訃報を知った。

浜松に戻り、葬式で和尚に山の話をしたら、「そりゃあ婆さんが守ってくれたんだよ」と言われたが、その和尚は祖母の臨終のとき坊主のくせしてハワイに旅行中であり、そのため葬式の日程が遅れて私も参列できたというオマケが付いた。

今でも帰省時に和尚と話をするたび、「ワシらは(臨終のときいなかった)A級戦犯だでのう!」と言われる。

「葛根田・大増水の記憶」への5件のフィードバック

  1. よくよく見返してみると、2枚目の写真でM井(釣竿を持ってる男)が持ってるお助け紐みたいなのを、増水時3枚目のハリー先輩が手に巻いてる感じがする。

    今更ながら身震いがする。

  2. こういう記事はほんと読んでおきたい。
    ちょっとした雨でも、足元流されるもんな。

    ぶっちゃけ、
    滝とかで水量に圧倒される、

    水ってすごいな。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です