好きな映画はたくさんある。クロサワの「生きる」をこないだ見たけど、最後のほうは泣きすぎて体が痙攣しそうだったし、いまだに落ち込んだときは「ロッキー」で気分を立て直したりもする。BTTFは定期的にリピートするし、ピクサーやディズニーも大好き。もちろんジブリも。そうそう、寅さんも忘れちゃいけない。あれはバイブルだ。
だけど、自分にとって特別な作品っていうのはやっぱりあって、僕にとって例えばそれは「ニューシネマパラダイス」だったりするんだけれど、いまだになぜあのラストシーンで滂沱の涙が溢れてくるのか、それをうまく言語化することが自分にはできない。
もちろん、トトとアルフレードの絆があのシーンに凝縮されてるわけだけれども、そんな陳腐な言葉では到底追いつかないほど、あの映画が自分に与えてくれた感動というものはとてつもなく大きいわけで。
何が言いたいかというと、「この世界の片隅に」も同様に、自分がこれまで見てきた素晴らしい映画の中でも特に異彩を放つ、言語化できないほどの魅力に溢れた作品なんだってこと。
立川のシネマシティではパンフは売り切れてた。全国的にも公開3日目で完売してたらしい。
ネットでもバズってるが、多くのシネコンでエンドロールが完全に終わったあとに拍手が起きたようだ。
そういう映画なのだ。
できれば原作コミックは読んでからのほうがいいかもしれないが、見てから読んでももちろん問題はない。
コミックにはコミックの表現手法があり、映画には映画のそれがある。本作については各所で言われているように、原作つき映画としては桁外れのレベルでの再現性であり、映画ならではの表現手法によって多くのシーンで原作を凌駕している。これはこの片淵さんという監督の素晴らしい仕事によるものだ。
例えば、これはネタバレにはならないと思うので書いてしまうが、呉が空襲を受けるシーンがあって、当然日本軍も攻撃するわけだが、そのときの対空砲火の色がやけにカラフルなのだ。原作にはない脚色なのかと思っていたのだが、帰宅後に調べたら以下の対談に詳しく書かれていた。ちょっとだけ抜粋しよう。
呉の空襲に遭った当事者の手記を読むと「当日の対空砲火の煙は色とりどりだった」と書いてあるんですよ。これは、その日やってきたアメリカ軍のパイロットの手記でも同じように「色とりどりだった」と書いてあるんです。ただし、どちらも「色とりどり」なんですが、何色と何色だったというのは合致しないんですよ。しかもそれが二人ではなくもっと何人もいて、茶色と書いている人もいるし紫と書いている人もいるし、赤もピンクもいました。本当は何色なのかということで調べを進めたところ、日本がどれぐらいの技術水準を持っていたのかということを戦後にアメリカ海軍の人が来て調査をするんですが、その英文レポートの中に「カラーバーストプロタクタイル」についてのレポートがあって、「空中で爆発して色を染めるための染料が5種類ある」と書いてあるんですよ。白黒も合わせると、全体で6色の対空砲火があったというわけです。
色とりどりにする理由は何だったのですか?
これは、軍艦がどの対空砲火が自分の撃ったものかを識別するためです。呉の軍港には多数の軍艦がいて密集しているので、色を分けないと自分がどこへ撃ったかわからないので、色とりどりになるんです。ところが、陸上砲台は白と黒しか持っていないんです。つまり、日本の他のところでは色とりどりにはならず、呉だからこそ色とりどりだったというわけです。
http://gigazine.net/news/20161111-sunao-katabuchi-interview/
このシーンは主人公の心象表現においても重要な意味合いがあるところで、まさに感服つかまつりである。ホントこの人は徹底的に調査して映画を作ったのだなあというのがわかるエピソードだ。
今年はシンゴジに象徴されるように、映画の当たり年だ。チマタでは「君の名は。」がメガヒットしており、もちろん私も見たには見たが、あれは本当に残念な映画である。ここでは詳しくは書かないが(個人の感想です)。
おそらく「この世界の片隅に」が「君の名は。」を興行収入で越えることはないと思うが、この映画に関しては胸を張って2016年の最高の1本と言えるし、世界中の人に見て欲しいと心底言える作品だ。
僕はこの映画のために有給を取り、妻を伴って立川のイタリアンレストランで昼のコースを堪能し、その後、シネマシティの極上音響で見ることができた。
見終わったあと余韻に浸りながら、この映画を1人で見なくてよかったと強く思った。大事な人と見ることができて本当によかったと心底思った。帰路、私もカミさんも言葉少なであり、彼女もこの映画の余韻に浸っていたのだろう。尤も、昼に食べたハンガリー産ポークのナントカ風のことばかり考えていたかもしれないのだが。