どさん子の思い出

子供の頃からラーメンが好きだった。親類の集まりかなんかで「メシでも食おうか」となると、必ずラーメン!と連呼しては周囲を辟易とさせていた。

この辺にはラーメン屋などないぞ、という声になにくそと探し当てたこともあるが、それはまさしく「どさん子」だったのをよく覚えている。

どさん子はググるといろいろ出てくるが、さまざまな派生形がある。府中の自宅近所には「どさん娘」なる店があったりするが、なかなかにカオスだ。

最もポピュラーと思われるのはやはり、赤い地の庇に食染め抜かれたロゴ、嘴がドンブリなペリカンのどさん子ではなかろうか。

そのどさん子だが、近年のラーメン屋の全体的なレベル向上に押されてか、昔に比べるとすっかり存在感が薄くなってしまっている。

そんな苦境を打開せんと、いくつかの店舗をリブランドし、新たな展開を仕掛けているようだ。そのうちのひとつが実家近辺にあり、このたびようやく訪れることができた。

21時頃ということで、入店時の客はゼロ。いささか寂しいが、とりあえずの生ビールと餃子で様子を見る。

老夫婦が切り盛りしているらしく、おかみさんがそそくさとビールを注いでくれた。フルタイムってこともないだろうけど、リブランドというよりは完全に古き佳き昭和テイストである。

餃子はもやしを添えた浜松スタイル。この辺りは店舗ごとの味付けなのかもしれない。

程よいタイミングで「赤練」なる味噌ラーメンをオーダー。ほかには「金練」「白練」「昔ながらの味噌」など。ここは昔ながらの味噌でバター乗せが正解だったのかもしれない。味は、ふつうにおいしい。

なんだろう、「あー、これだよこれ、これぞどさん子だよ!」みたいなエモい展開にはならず、そのうち草野球帰りの団体がワチャッと入ってきたりしたので、食べ終えたところでサクッと席を立った。

最後にひとくち水を、とグラスに手を伸ばしたとき、昔ながらのどさん子を見つけたが、裏を返せば幼少の頃の美化された思い出はそこにしかなかったともいえる。

平成の世で、昭和の飲食チェーンが生き抜くこと自体ハードルが高いだろうが、気軽で安心な町中華のような立ち位置で、意外と地元には根付いているのかもしれない。

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