某電話がらみの仕事で、ずーっと忙殺されていたんだけれど、なんとかメドがついた。と思ったら、今度は別の角度からの仕事が舞い込む。要するに、iPhone用コンテンツの配信ってことなんだけれども。
すでにAppStoreではコンテンツが流通している。音楽でアップルが流通そのものに風穴を空けたように、同じようなことが今後、いろんなところで起きるんだろうなあ。で、まさにその流れに身を任せてというか、まあ流されるしかない、このビッグウェーブに、って感じなんだけどw
iPhoneの恐ろしいところは、いろんなところでいろんな人がいろいろ書いてる。例えばインプレスで本田さんが書いてるあたりが、最も的を射ていると思われ。
iPhoneと一般的な携帯電話の関係が、何かに似ていると思っていたのだが、’80年代後半から’90年前半ぐらいまで議論のあった、ワープロ対パソコン(PC)の構図に似ているように思う。
ワープロ専用機がまだがんばってた頃は、PCはまだまだ黎明期だった。ただ単に文書を作るという意味においては、ワープロ専用機のほうがずうっと便利、っていう時代は確かにあった。なにしろ単語変換とか、表組の挿入とか、そういったところがPCはおおらかすぎたからね。でも当時、文章を量り売りしてた立場では、そうはいってもPCの時代は絶対に来るというのはオレだけじゃなくみんな思ってたことなんだよな。
まあ、現時点ではiPhoneは電話として見たらショボすぎる。だけどデータの同期という側面で見ると、もう最高に素晴らしい。メールはもちろんのこと、スケジュール、ふだん巡回しているBlogのRSS、はては2chのログまで(w、iPhoneだろうと会社のデスクトップだろうと自宅のノートだろうと、すべてがシンクロしているという美しさ。
特に、現代人のコミュニケーションを支えているであろうメール環境については、メールボックスの中身すべて(受信簿から送信簿からドラフトまで)、即座に反映されて同期される。
いまiPhoneを手にしているのは、いわゆるアーリーアダプターであって、一般の人にとっては「表参道にあんなに並んで、バッカじゃなかろかルンバ」な感じだと思うのだけど、いわゆるキャズム越えはそう遠くないと思われる。ハードウェアがプアーなゆえに起こる問題点については、早晩解決されるだろうしね。
足かけ15年くらい、この業界にいるけれども、古い流通だの再販制だの、そういった垣根の土台はとっくに腐っていて、イッキに倒れようとしている感覚がビンビンある。と同時に、いまの仕事については、ひとつのピリオドに達したんじゃないかという気持ちもある。
手塚治虫の『陽だまりの樹』じゃないけど、幕府は倒れて維新が来るのだ。
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ウチのメンバーに見せたいので。
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