練馬の武蔵関から東西線の葛西駅に引っ越ししたのは、たぶん21歳くらいのことだ。単に、その当時お付き合いさせていただいていた女性の近隣という不埒な理由である。
ただし、最寄り駅は葛西というよりも、どちらかといえば一之江に近かったかな。
今でも覚えているのは、前の道路を大型ダンプが通るとアパート全体が揺れること、あと江戸川区は野良犬が多いな、と思ったこと。
葛西駅までは徒歩20分。かなり遠いのと、アパートの隣がコンビニ(大手チェーンではなくて酒屋が母体の独立系)だったこともあり、バイトがなければ朝からビール飲みながらマンガ雑誌を読むような堕落した毎日を過ごしていた。
ある日、トボトボと歩いていたら環七沿いにラーメン屋ができた。「江戸川ラーメン角久」と看板にはある。江戸川ラーメンがジャンルを指すのかどうなのか。カドキュウなのかカドヒサなのかよくわからなかったが、フラリと入って驚いた。
間違いなく、それまでの人生で食べたラーメンの中で最も美味いと感じた。
当時の若者の情報源など、「ぴあ」くらいしかない時代だ。今ならジャンルとしては家系だよね、みたいな話もできるけど当時受けた衝撃はとにかく大きかった。ほぼ毎日通い、友人にも宣伝しまくった。何人も連れていった。
いっとき、店に手袋を忘れたことがある。ある日店に入ると、ビールかなんかの冷蔵庫の上に見慣れた手袋が置いてあって「あ、あれはオレのだ」と気づいたのだった。それまで、手袋を忘れたことすら覚えてなかったのだが、結局店のおじさんに言いそびれたまま、しばらく自分の手袋が店に置かれている状態を楽しみに通った。そのうち片付けられたが、本当に申し訳なかった。おじさんにも手袋にも、ごめん。
ほどなくして、自らの置かれた状況がそれ以上葛西で生活することを許さず、荻窪の風呂なし四畳半に引っ越した。彼女とはとっくに別れていたが、江戸川ラーメンが食えなくなるのが本当に寂しかった。
たぶん、あそこにいたのは3年とか4年とか、それくらいだ。
月日は流れ、30年以上が経つ。
葛西でオープンした当初、おじさんは2人いたと思う。そのうちの一人が、つい最近まで曙橋で店を続けていた。その情報を知り、いちど仕事帰りに曙橋の店舗に立ち寄って懐かしい味を堪能できた。おじさんに、葛西がオープンした頃のファンだと話そうとしたが、次の機会にしようと思っていたらコロナが来た。
そして今年の秋、前触れもなく店を閉めてしまったらしい。
葛西店は弟子に譲ったそうだが、そちらもとうの昔に閉店しているという。本八幡に、系譜となる店があるようだが、訪ねることはあるだろうか。
若かった頃の、ある意味本当に楽しかった時代と、その後の転落をあの場所で過ごして、傍らにはいつもあのラーメンがあった。
一生忘れないと思う。