元旦のサッカー代表戦が終わった直後に発生した大地震。
かれこれ2週間が経つが、日々、犠牲となった方々の数が増えていくのが正直ツラかった。涙が堪えられないような報道もいくつか目にして体が震えた。
能登半島特有の地理的条件も影響しており、現地の状況は依然として厳しい。救助や手当てはもちろんだが、避難所にいる人たちへも十分な物資を届けられていないとも聞く。過酷な寒さも追い打ちをかける。
遠くにいる我々にできることは、現状では寄付しかない。今回は実家のほうにある信頼できるNPOの、小さなお子さんやその母親に向けた支援に僅かばかりの援助をした。早く届くといいなあ。
昨年末まで約2年間、住んでいるマンションの理事会で防火担当をしていた。
わりと世帯数が多いので、住み始めてから10年ちょいで順番が回ってきた感じ。資格も取れるし面白そうってんで安易に防火担当に手を挙げてしまったが、これがとんでもなく大変だった。
会社組織の営利活動に比べると、マンションの理事会って関わり方がとても難しい。深くコミットしようと思えばどこまでも行けちゃうし、一方で「最低限」をキープすることもできる。頑張ろうが手を抜こうが一緒、みたいな。中には理事会にすら一度も顔を見せないような、頑なに拒む人もいる。東京砂漠。
そういった温度差が、理事会メンバー間でもかなりデコボコしてるのがまた、運営を難しくさせる要因だろう。あとみんな、価値観もバラバラだしそれぞれのことをよく分かってないから、必然的に議論のレベルが低くなる。
ただ実際に防火講習を受けてみて「うちのマンション、ヤバいな…」と痛感したり、前任者からの引き継ぎが満足にされなかったこともあって、どうにかせねばと奮起し、できる範囲で最大限取り組んでみた。
防災備蓄品の入れ替え(消費期限切れ)は業者との交渉から搬入および設置、ペラッペラだった防災マニュアルも整備して、分散していたドキュメントをまとめての大幅増補した。
極め付けは防災訓練で、コロナのおかげで4年ぶりの開催だったが、運営手順などもほぼイチから再構築した。特に大きな問題もなく終わらせることができてひと安心。
色んなことを、仕事の合間の空き時間にちょっとずつ作業をしてきたが、長かったし正直、じつにしんどい日々だった。
世帯数が多いマンションの場合、居住者全員を一定期間カバーできるような備蓄品を置く場所などない。各居住区の人員構成やアレルギーの有無なども把握や対応は難しい。今回だって備蓄品を入れ替えたといってもアルファ米は世帯あたり2食、非常用トイレは10回分しか用意できていない。雀の涙、焼石に水である。
その旨防災マニュアルにも記載して自助努力をと啓蒙してはいるのだが、果たしてどうなるか。
能登が1週間以上たっても回復できない状態を見ると、やはり家族全員が最低限でも7日間どうにか生き延びるための水や食料、衛生環境の保持を見据えて自前で準備しておくことが望ましい。
大きな地震が発生して、電気や水などのインフラが遮断されると、復旧まで3〜7日はかかる。ここまではよく知られているが、じゃあ物流が回復するまでどのくらいかかるのか、という話だ。スーパーでモノを買えるようになっても、しばらくは買い占めが横行するだろう。
なにも7日間、3食すべてをパックご飯とカレーで過ごせという話ではない。電気が止まって夏だったとしても、冷蔵庫の中身がすぐに全部使えなくなるわけではない。冷凍庫に強力な保冷剤を用意しておけば、2〜3日は冷蔵庫の中のものだけでどうにかなるはずだ。
不謹慎なのを承知で書くが、能登大地震が起きたことでそのへんの意識が変わるとよいと思う。
正月、実家の両親とも話をしたが、いまひとつ自分ごととして考えてない雰囲気だったので、勝手にカセットコンロ用のガスボンベをAmazonで12本発注しておいた(オール電化にしたくせに、ボンベの予備が3本しかなかったのだ)。
南海トラフも相模トラフもいつ来てもおかしくはない。準備は怠らず、でもいまは、能登半島に想いを寄せて日々を過ごしている。
金沢にサッカー見に行かねばなあ。