追憶のチャーシューメン

初めて一人で飲食店に入り、注文をして会計までしたときのことを覚えているだろうか。

私の場合、それはおそらく小学生高学年の頃。場所は近所の蕎麦屋で、小遣い銭を握りしめて食べた「かけそば」だった。

実を言えばその蕎麦屋の娘さんは同じ小学校の同学年だったりもして(仲が良かったわけじゃないけど)、同じ町内ということもあってか心理的ハードルはそのぶん低かったものの、店頭のサンプルをを食い入るように見て金額を確かめて、恐る恐る中に入りビクビクしながら注文をした。それが、最も安価であったかけそばで、おそらく当時は200円前後だったのではないかと思う。


緊張のせいだろう、味はよく分からず。とにかく一心不乱に食べ、手汗でベトベトになった小銭を差し出して逃げるように店を出た。

そんな思い出がありながらも、こちらの蕎麦屋で蕎麦をいただいたことはほとんどない。ヘタをすると、このときのかけそばが唯一かもしれない。

なぜなら、ラーメンがとても美味い蕎麦屋だったからだ(またラーメンの話ですみません)。

幼少期はとにかくラーメンが好きで(嫌いな人っているの?)、とにかくラーメンさえ食べさせていれば機嫌がいい、そんなこどもでした。そんで孫を甘やかすことが得意な祖母はよく、ラーメンの出前を取ってくれた。それがこの蕎麦屋だったわけである。

「ひとつだけじゃ悪いからね」と、注文はだいたいチャーシューメンとラーメン。出前の電話をかけるとき「ゆっくりでいいですからね」と毎回言った。「こうするとかえって、早く持ってきてくれるのよ」という謎ライフハック。

ビッチリとラップがかけられた丼が届く。それを見て「また出前取ったの?」という母親のあきれ顔。祖母はラーメンをちょっとだけ食べるが、決まって「あとはアンタが食べなさい」となるわけです。

「ひとりで二杯かよ!」などと困ることはなくて、むしろ喜んでたんじゃないかなあ。量がそんなに多くなかったし、あとやはり、普通に美味しかったからだ。二杯だろうとペロリと平らげたものだ。

なんだろうね、蕎麦屋のラーメンってなんで旨いんだろうね。カエシのせい? わからんけど。


ただ例によって、大学に入って東京に出てからはとんとご無沙汰となり、いつのまにか商売そのものをやめてしまった。トップの代表画像は、その店舗の名残である。

自分が育った町内は商売をやってる家がたくさんあったんだけど、気がつけばそのほとんどは店を閉じてしまっている。

銭湯に中華屋、ケーキ屋や帽子屋、婦人服の専門店みたいなのも3軒くらいあったはずだし、床屋もお菓子屋も、もちろん駄菓子屋も酒屋もなくなって、本当に殺風景な街並みになってしまった。ウチの実家も商売やめたし。

昭和から平成へと至る、いろんな流れでそれこそ後継者がいなかったり、周辺の景気が停滞というか悪化したり、いろんな要因はあったと思うんだけど、地方都市は駅前周辺が衰退して郊外のイオンを中心としたロードサイド経済へと完全に移行してしまった……。


という陰気な話はさておき、前のエントリと同じパターンで恐縮なのだが、その蕎麦屋「両口屋」には、じつは「両口屋分店」なる暖簾分けのような店舗があってまだ営業を続けているのだ。食べログにも掲載されていて、メニューを見たらラーメン系も出している。

ずいぶん前から存在には気づいていたんだけど、開いてる時間帯が合わず、空振りばかり。今回のGWの帰省の際、ようやくその暖簾をくぐることができた。


おそらく親戚筋がやってるのだろう、厨房には親父さんと奥さんと見られるご夫婦。わりとご高齢。訪れたのは正午すぎのコアな平日ランチタイムで、店内はNHKのお昼の番組が流れている。ただ客は自分ひとり。

記憶にある本店の昔の味とは違うかもしれない。なにしろ50年ちかく経ってるわけだし、そもそも同じ屋号だからといって味が一緒だとは限らない。しかしここは試さずにはいられない。チャーシューメンをオーダーする。

ほどなく卓上に現れたのは、記憶にある一杯と比べるとスープの色が薄い。もっと醤油感があった気もする。

スープを啜ると、見た目どおりというか、味だけでなく出汁感もやや薄め。言ってみればあっさり系。チャーシューはそれなりの肉感でかつての本店を彷彿させるものの、なぜかメンマがやけに塩っぱい。とはいえフラッと入った蕎麦屋の、酔狂で頼んだチャーシューメンであれば全然アリ。

普通に食べ終えて、会計を済ませて店を出た。

自分の中で、ある意味ひと区切りというか、確認できてよかった。客の勝手な思い込みで令和のこの時代に、大昔の本店と比較してあれこれ言うこと自体、そもそもがおかしな話なのだ。


町中華もそうだが、いわゆる町蕎麦屋は維持存続することが難しい時代だろうなあとも思う。特に若者人口が減少しつつある地方都市では顕著だ。飲み客相手のメニュー構成にしようにも、肝心の飲み客がいないのでは話にならないし、かといって出前需要も昨今ではネットに取られてしまっている。

自前で蕎麦を打つような意識高い系で単価を上げていくのも、それはそれで。


中華にせよ蕎麦屋にせよ、気に入った店は大事にしていかなくちゃあなあ……。

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