桐野夏生 『I'm sorry, mama.』

昼間、日暮里の朝倉彫塑館に行ってきた。いやーステキなところで、感動。大隈重信さんもいましたよ。

で、今夜は飲み会。都心ではなくて川崎なので、移動がめんどいのだが、会うお方は、前の職場の大先輩、それに某マンガ関係者。なぜかこのお二人が知り合いだったことが発覚し、不思議な縁を感じつつの宴なのだ。

桐野夏生 『I’m sorry, mama.』

この人のような「化け方」をリアルタイムで追うことができるのは、シアワセと感じる一方で、いったいどこまで行ってしまうんだろうという不安さえ抱いてしまう。『OUT』で人気作家となり、『柔らかな頬』で天才作家になった彼女は、その疾走スピードをさらに上げた。ここ最近の、『グロテスク』、『残虐記』、そして本作へと至る流れは圧倒的だ。

もうね、最初の数ページを読んだだけでドキッとするんですよ。「え?え?…………!!!」みたいな。あらすじなんかが頭に入っていたら、たぶんこの「ドキッ」はなかったはずなので、ここでは書きません。できれば、何の予備知識も得ずに読むのがお勧めですが、上記作品を含めて、あえて個人的に★なぞを付けてみるとこうなります。

『柔らかな頬』★5
『グロテスク』 ★4.5
『残虐記』 ★4
『I’m sorry,mama.』 ★4

物語自体の尺はさほど長くはないのということもあるのだが、没頭し、すぐ読了。邪悪なもの、醜いもの、とにかく一切合切の汚いものを、この人ほど強い筆致で、しかもそのおぞましさをこれでもかと増幅させて書ける人は、ほかにいないことを再確認した。男の身でさえこうなのだから、女性読者はいったいどんな感想を抱くんだろう。

初期の村野ミロシリーズや、ファイア・ボール・ブルースのような作品にも独特の翳りはあるが、やはり『柔らかな頬』以前と以後とでは、まるで別人である。それはおそらく、作者自身の加齢と無関係ではあるまい。細かいプロフィールは知らなかったのだが、1951年生まれだったことを今回初めて知る。写真もおキレイだし、もっと若いかと思っていたのだが、『柔らかな頬』は1999年、50代を目前にした作品だったわけだ。私は当然、最近の作品のほうが好きだ。

じつは、ウチの会社に桐野作品の登場人物のような女性がいる。年齢は、おそらく40前後。器量はよくないが、スタイルはそこそこ。いつも派手な服(まるでキャバクラ嬢のような)を着て、さっきも喫煙室でタバコをくわえながらマニキュアをぬっていた。周囲の連中は、できるだけ無関心を装いつつ、心中では明らかに見下している。私もおそらく、その1人。

読後、さて次は何を読もうかと書店に入った。だが、まるで7キロの牛肉を胃袋に押し込められた後のように、棚に手が伸びないのだ。しばらくはクールダウンが必要と断念し、なぜかギターマガジンなぞを買ってみたり。

流転を続ける村野ミロのその後も気になるなぁ。

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