シメは冷麺、食道園

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盛岡・八幡平紀行2010〜その5

初日に盛岡駅のさわや書店で、タウン誌のほかに購入したのは『盛岡冷麺物語』という新書だった。これも、地元出版社の発行。

著者は、朝日の記者。1993年に朝日新聞岩手版に連載された記事をもとにしている。何の気なしに手に取って目次をパラパラしてみたら、相当内容が濃ゆいのですよ。

盛岡冷麺については、ネットを検索してみるとさまざまな情報がすぐ手に入るが、けっこう出鱈目なものも多い。例えば、盛岡は平壌と緯度が同じなので冷麺が流行ったとかいう説。ちょっと考えれば、あり得ないわな。

同じく、在日朝鮮人が多かったからという話もある。だったら大阪はどうなのだ。浜松は。なぜ盛岡なのだ、と。

結局は、人なのだよね。盛岡冷麺は、よく知られているように食道園という店で始まった。その創始者が、青木輝人という方だ。すでに故人である。

  • 在日一世で戦前に威興(ハムン、現北朝鮮)から日本にやってきた。
  • 強制連行ではなく留学が目的だった、インテリ系。
  • 父親の知人を頼って盛岡に。
  • 子供の頃、威興で食べた冷麺を再現したのが盛岡冷麺の原型。
  • 他の多くの在日朝鮮人とは異なり、日本に帰化し国籍を取得している。
  • 本書は「ぴょんぴょん舎」の店主・邊龍雄(ピョン・ヨンウン)が、盛岡の冷麺のルーツを知りたいと食道園の青木に会いに行くところから始まる。おもしろそうでしょ? さらに綿密な取材を重ねるうちに、朝鮮半島のそれとは全く異なる盛岡冷麺の謎が、薄皮をはぐように解き明かされていく。ある意味痛快でもある。

  • 盛岡冷麺はなぜソバ粉が入っていないのか
  • 盛岡冷麺はなぜ辛いのか
  • 盛岡には看板に平壌冷麺と書いてある店が多いがなぜか
  • 盛岡冷麺はいつから盛岡冷麺と呼ばれるようになったのか
  • こういったことに興味がある方は、ぜひ手に取って読んでみてください。

    というわけで、最後の晩餐は敬意を表して食道園。暖簾や看板には、「平壌冷麺」と大きく書かれている。矜持を感じる。

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    冷麺は、辛みは別にしてもらった。もちろん完食。美味い。

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    翌朝帰京。次回は短角牛ステーキもだが、ぜひ福田パンを極めたいものだ。

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