スティーブさんのこと

今年も残すところあと僅か。このブログで書きたかったことはいっぱいあったのに、仕事に追われ、明日からは実家に帰省。なかなかゆっくりと時間が取れない。

それでも、スティーブ・ジョブズの死については触れておきたい。実はヨソの場所で、ウェットな駄文を晒されたりもして、ちょっと後悔してるんで、自分のブログにはちゃんとしたものを残しておきたいんだよね。

……って思ったんだけど、やっぱ書けない。書けません!無理!

それでも、ちょっとだけ。

本当は、コトが発覚してすぐに、何かを書いておかねばと思ったのだけど、一部メディアの過剰な持ち上げや伝説化、無駄な脚色に満ちた記事、報道のせいですっかりその気が削がれたのよね。

彼は一人の不完全な人間であり、やることなすことすべて成功させたわけじゃなく、失敗はもちろん、それって人間としてどうよ的なシーンも度々あった。個人的には、そういった側面も含めてスティーブ・ジョブズという人間の魅力だと思っているので、そこがちょっと残念。

講談社から出た本だとか、最近のNHKでの特集番組なんかもいっさい見ていないけど、要するに、報じる側に、スティーブ・ジョブズという人間について、もっと正しく知ってほしい、理解しようとしてほしいと思うのだよなあ。

悪い面もしっかり伝えろよってことじゃなくて、カリスマCEOとか、そういうイメージばかりが独り歩きすることについて、なんだか寂しく感じてしまうのです。

“Stay Hungry, Stay Foolish”という有名な言葉についても、「ハングリーであれ、愚かであれ」などという文脈無視の直訳を真に受けてしまう人は多いと思う。こういったところはメディアの責任が重い。伝える側の人間は、スタンフォードでの演説をきちんと全文理解しているのだろうか。そんなことでもイライラが募ったり。

好きなバンドのフロントマンが死んでしまったような気分に近いんだよな。忌野清志郎、フレディ・マーキュリー、ジョー・ストラマー、ジョン・レノン……。

直接会ったりしたことは勿論ないんだけど、何度かナマでLiveを見ることができたのは、よい思い出だ。死してなお、その存在感を発揮し続ける数少ない人。自分の人生に多大なる影響を及ぼしてくれた、(ある意味)迷惑な人。

またいつか、気が向いたら何か書いてみたい。

冬の外出

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娘と図書館に行き、0歳児向けの絵本を数冊借りてきた。

上は、出発前の準備。今日は相当強い風が吹いてたので、防寒対策を厳重に。dai家よりいただいたアウター(?)を着せて、ベビーカーに突っ込んで出かけた。機嫌が良い。

年末のこの時期になって、妙に本格的な冬になった。世間はクリスマスだね。

roll over

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人間の体って、考えてみればすごい構造だよねぇ。

仰向けになった状態から、最初は足だけバタバタさせてたのが、そのうち体全体が90度回転。この段階でしばらく悶々としていたようなんだけど、気がついたら寝返りを打ったらしく、うつ伏せでポカーンとしていた。

でも、まだ上手にはできないね。成功したあと、何度も90度回転するところまではいくのに、そこから先がなかなか進まない。

・回転する方向にかぶせる足のふんばり
・下になったほうの腕、肘の引き
・首と頭の回転

このあたりの学習には、もうちょっと時間がかかりそうだ。

子どもの成長は、日々発見があって面白い。

闇とノンフィクション

その事件のことを知ったのは、たまたま本屋をブラブラしているときに手に取った1冊の文庫本だった。『消された一家 北九州・連続監禁殺人事件』という。

ボンヤリしていたせいもあって、概要を目で追っても、この「実際に起きた」とされる事件の概要がよく掴めない。

その日は帰宅し、改めてネットで調べてみたが、なにがどうなっているのか、サッパリわけがわからない。



いくつかのまとめサイトに目を通し、ようやく全貌を理解した段階で疑問が浮かんだ。

事件の発覚は2002年という。つい最近なのに、自分はこの事件のことを知らなかった。同じ「監禁」という言葉を使っている、新潟の少女監禁事件は覚えているのだが(こちらは2000年)。

これほどまでに凶悪な出来事であれば、連日報道されていたに違いないのだが、単に自分が世俗に疎いだけなのか、それともWikiにも記述があるように、本当に報道規制がされていたのか……。
http://ja.wikipedia.org/wiki/北九州監禁殺人事件

その後、前述の文庫を購入し、読了。

しばらく衝撃を受けつつも、本書に書かれた「その後」を調べると、今月、最高裁での被告弁論があることがわかった。

松永被告側、無罪を主張=北九州監禁連続殺人?最高裁
 北九州市の監禁・連続殺人事件で、7人を死亡させたとして殺人罪などに問われ、一、二審で死刑とされた松永太被告(50)の上告審弁論が21日、最高裁第1小法廷(宮川光治裁判長)であり、弁護側は全面無罪を主張した。判決期日は後日指定される。(2011/11/21-17:41)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011112100672

浴室で遺体を解体、というと桐野夏生の『OUT』を思い出したりもするのだが、それにしてもフィクションを遥かに越える事件としか言いようがない。闇の深さが途方もない。

どう考えても死刑は免れないと思うのだが、果たして判決が出たとして報道はされるのか。報道されるとしても、この複雑怪奇な事件はどのように報じられるのだろうか……。

しょんべん横町からゴールデン街へ

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ニール・ヤングの”From Hank To Hendrix”じゃあるまいし。19時すぎから飲み始めて、電車が動き出すまで。

22時には帰りますからね!と念押ししたにも関わらず、愉快な酒のせいで、ついやらかしてしまった。それぞれみんな、朝から仕事なのにね。

そういえば、しょんべん横町には、中国の資本がガンガン入っており一部で問題視されているようだ。新宿もさらに変わりつつあるということか。

あのCMの舞台裏

いつも巡回しているサイト経由で、九州新幹線のCM制作舞台裏の映像を見た。まるっきり九州ローカルな番組ではあるが、なんとも楽しそうです。このタイミングでの公開は、やはり震災に配慮していたからとのこと。編集を終えて30分後にあの地震が発生したそうです。


いつか熊本に行って、草千里経由で高千穂に抜けるというのが野望なのだが、長崎のちゃんぽんや肉まんの誘惑は避けがたいし、そもそも博多にも滞在したいしで、実現するのはいつになることやら。

まとめサイトではずいぶん前に話題になっていたが、その後、東洋経済で記事になっていたね。

↑のまとめページでも触れられているけど、九州新幹線全線開通のCMにはもうひとつのバージョンがあって、そっちも面白い。鉄腕稲尾から王さんの胴上げとかね。ま、あくまで個人的にね。

あと、本編の楽曲にはマイア・ヒラサワの曲が使われているんだけど、最初に聴いたとき、「ビョーク姐さんにしちゃ、いやに明るい曲だな」と勘違いしたものです。何がいいってその歌詞。こんな形で”We Are The World”をdisるというのが斬新。

あとあと、カンヌ国際広告祭ですが、じつは家人が関連本の制作に関わっていたりもするのでした。リンク張ろうかとも思ったけど自粛。

ルート45を南へ その4

陸前高田に入ると、風景が一変した。

比較的平野部が広いからか、被害の度合いがこれまで走ってきた町に比べると段違いだ。国道沿いにうずたかく積み上げられた瓦礫の山は、かろうじて原型を留め残っていた五階建てのマンションと同じ高さがあり、縦横それぞれ100メートルは越えようかという巨大さ。それが、いくつも連なっている。何台か作業していた重機が、本当に小さく見えた。

それまでの道程では、「半年の間に、ここまでキレイになったんだな」という感慨を抱くことも多かったのだが、陸前高田〜気仙沼までは、正直「半年経ったのに、まだこんなかよ……」と打ちのめされっぱなし。

ライフラインである幹線道路こそキレイに復旧されてはいたが、この瓦礫の山、いや山脈を目にすると、本当に今回の震災のとんでもない規模が実感できる。

呆然としつつ運転していたら、いつのまにか気仙沼に入った。

このあたりも、陸前高田と状態は同じか、さらにひどい。

地盤沈下のため、冠水するようになってしまった道路のかさ上げ工事。よく見ると工事費用が書いてあり、5265万円とある。高いのか安いのかはサッパリわからないけど、休日なのに何人もの作業員が汗を流していた。



巨大な船。福島県いわき市の、「第十八共徳丸」。排水量330トン。気仙沼市では、この船を震災のモニュメントにしよう、なんていう話も出ていたそうだ(その後、どうなったかは不明)。4/6の記事と写真が時事通信に上がっていたが、さすがに当時よりは周囲がスッキリしている。
http://www.jiji.com/jc/d4?d=d4_quake&p=wsq413-jlp10693512

転倒防止のために支えも設置されているが、すぐそばに警官が常駐しており、私のような野次馬が近寄らないように監視していた。

この時点で、午後もけっこう遅い時間。帰りの新幹線や帰京時刻を考えると、そろそろタイムリミットだ。ここから内陸、一ノ関駅へと向かう。

一ノ関はいま、奥州平泉の世界遺産登録でにわかに湧いている。三連休の最終日ということもあってか、駅前の混雑も想像以上だ。おばさまの集団、待合室で勉強する女子高生たち。直前に目にした被災地の風景とは、まさに対極にある。

どうにか新幹線の席を確保し、慌てて駅前の食堂に入り、肉を存分に食らう。

この店、じつは前沢牛が食える店なのだが、今年8月に出荷停止となっていたため、供された肉はすべて米沢牛だった。そんないきさつを、愛想のいいおかみさんとしんみりトーク。こんなところにも震災の余波があったとは(その後、出荷停止は解除されている)。

ほんとうは、三陸に来るのは直前まで相当迷った。自分の中でどんなに理屈をつけてみても、やはり単なる野次馬の域を脱することはないような気がしたからだ。

そんなことをウジウジ考えていたら、半年も経ってしまった。思い切って訪れてみて、やっぱり結果的には、単なる野次馬にすぎなかったとも感じている。

ただ、震災復興には忘れないことが大事だとするならば、決して忘れられない風景をこの目に刻むことができた。テレビや雑誌でわかったつもりではいたが、月並みながら実際に見聞きすることで、文字通り体が震える感覚を何度も味わった。

いずれまた近いうちにこの道を、三陸を訪れたい。きっとそのとき、今回訪れた意味がまた、違う形で出てくるのかもしれない。

できればゆっくりと、八戸から順繰りに、石巻や塩竈、いっそフクイチの手前まで。

同行者のNくんにも感謝。

ルート45を南へ その3

田老を後にして、国道45号をひた走る。休日だったせいか、そこそこ道は混んでいて、気がつくとパトカーが後ろにピッタリついてくる。今年の11月に免許更新な私は、何事もなければ念願のゴールドになるので、メーターとにらめっこ。ヒヤヒヤ運転である。

パトカーは非常に多く、頻繁にすれ違う。車体を見ると、北海道や大阪、静岡など全国から集まって来ているようだ。

今回の震災では自衛隊や消防庁などはクローズアップされていたが、全国の警察も被災地に集結し、さまざまな協力を行っている。おつとめ、ご苦労様である。

釜石まで走り、橋上市場で朝食を……と思ったが、ちょうどタイミングが悪く店が開いていない。ランチタイムまでブラブラし、1Fのこじんまりとした食堂で三食丼をがっつく。あまりの美味さに一瞬にしてたいらげる。

釜石も宮古と同じく、駅前のあたりはあまり震災の陰がない。駅は内陸よりにあるものの、おそらくは半年でここまできれいになったということなのだろう。実際、港方面は被害が大きく、なかなか復旧は進んでいないようだ。

釜石といえば新日鐵。駅のすぐ近くには大きな工場があるのだが、その敷地には瓦礫がうずたかく積まれていた。

なお釜石市では近年になって防災教育を徹底するようになったおかげで、子供の犠牲者は格段に少なったらしい。「釜石の奇跡」とも言われているが、こんな記事もあった。至極もっともな内容であった。

小中学生の生存率99.8%は奇跡じゃない
「想定外」を生き抜く力 (片田敏孝)

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1312

「家に1人でいるとき大きな地震が発生しました。あなたならどうしますか?」と質問した。ほとんどの回答は、「お母さんに電話する」「親が帰って来るまで家で待つ」というものだった。

 私はそのアンケート用紙に、「子どもの回答をご覧になって、津波が起きた時に、あなたのお子さんの命は助かると思いますか?」という質問文を添付し、子どもたちに、家に帰ってから親に見せるように指示した。

釜石を後にして、気仙沼を目指す。

その途中、国道から外れて沿岸部に立ち寄ってみた。小さな集落。

海岸沿いにビシッと建っていたであろう堤防が破壊されている。倒れている向きからして、引き並みでやられたのは間違いないのだが、基礎が固められ、新たな堤防が築かれようとしている。1000年に1度の大津波はしばらく来ないかもしれないが、10年に1度、100年に一度の規模は、いつまたやってくるかわからない。

すでに見慣れた風景となった、基礎だけが取り残された茶色の風景のなか、結婚式の写真が、重しの石を乗せられパタパタと風に揺れていた。おそらくは、その家に住んでいた夫婦のもの。近所の人が、見つけてそっと置いたのであろう。

新しい堤防が守るべき町並みは、いまはまだない。写真の夫婦や家族は、無事にいずれかの避難所にいるだろうか。さまざまな想いが頭の中をぐるぐる廻る。

あまり時間がない。陸前高田経由で気仙沼を目指す。

ルート45を南へ その1

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宮古駅前のビジネスホテルを早朝出発。まずは海沿いの国道45号を目指す。昨夜はあまり目につかなかったが、市庁舎のあたりまでくると、1F部分がベニヤ張りの建物が非常に多い。当たり前だけど海に近くなればなるほど、津波の被害は甚大だ。

連休はこの日が最終日。夜には帰京せねばならない。道の状態にもよるが、おそらくは宮古から気仙沼まで行くのが時間的に精一杯だ。とはいえ、急いで南下はせず、宮古のやや北に位置する田老(たろう)を目指し北上する。

今回、東北に来る直前に、深夜のNHKで田老の防潮堤について検証する番組を見た。高さが10メートル・総延長2.5キロ。万里の長城とも称され、二重に町を防御していた。それがいとも簡単に突破され、かえってその形状から津波の威力が増幅したとさえ言われる。津波の大きさを実感するためにも、やはり訪れておきたい。

宮古からは山間部を走り、ものの十数分。トンネルを抜けたらそこが田老だ。

息を飲んだ。テレビで何度も目にしていたような、津波にやられた被災地の姿があった。

漁協の建物が辛うじて残っているので、そばに車を停め、防潮堤に登った。

そこからの風景は、とても言葉で表現できるものではなかった。

田老では、過去に何度も津波による被害を受けた経緯があり、何年もかけてこの巨大な防潮堤を築き上げたそうだ。自慢の、鉄壁の防御はしかし、1000年に一度とも言われる今回の津波を受け止めることはできなかった。

いま、自分はその上に立っている。ここを軽々と越えた津波。そのスケール感が、なかなか実感できないものの、目の前に広がる風景は紛れもない現実だ。

十年以上も前になるが、東北の沢の中で、急な降雨による増水で命の危険を感じたことがある。ひざ下くらいの水位がみるみる上がり、腰下くらいにまでなると、とてもじゃないが水流の中で立っていることができない。10メートル以上の津波の力学的な破壊力は、まさに想像を絶する。

防潮堤の上をトボトボと歩く。

海側を見渡すと、外周の防潮堤の半分以上が損壊している。わずかに残されたガードレールなども含めて、そのほとんどが海側に倒れている。引き波に気をつけろ、という「ガープの世界」の台詞が頭の中にリフレインする。

「静岡県」と書かれた作業服を着た団体が、おそらくは視察なのだろう、あちこちを撮影していた。

茶色の大地となった田老の町並みは、ボロボロになったコンクリの基礎のみが残り、ところどころ夏草が茂る。休日の朝だというのに、何台かの重機が動いている。

ただ呆然、というよりも、ひたすら圧倒的な敗北感を感じていた。月並みかつ陳腐な言い回しだが、人類の叡智など、自然の猛威の前ではあまりにも無力だ。

果たしてこの町は、より高い防潮堤を新たに築くことになるのだろうか。それとも……。

田老の状況については、震災直後に書かれたものだが、こちらの記事がわかりやすいと思う。
http://yanagihara.iza.ne.jp/blog/entry/2202283/

「宮古秋まつり2011」の夜

森吉山から長駆移動、盛岡の「もりしげ」経由で宮古に一泊。

夕方、予約したビジネスホテルに到着すると、ちょうど「宮古秋まつり」が開催されているとのこと。見物に出かける。

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駅前の通りを、いくつもの山車がパレードするのだが、よく見ると黒石やら、山車のいくつかは青森からの参加のようだ。応援に駆けつけてるんだね。

地元の太鼓が勇ましく響くなか、沿道のおばちゃんが本当にうれしそうに体を揺らしていたのが印象的であった。大人も子供も、みな笑顔である。

市場の駐車場がメイン会場のようだったが、おそらく地元の人々なのだろう、あら汁や海鮮焼きそば、焼き鳥などをびっくりするほどの廉価で提供しており、ご相伴にあずかった。地元の高校生バンドのステージなんかも冷やかしつつ、駅前に移動。居酒屋でカツオやサンマの刺身をつつき、しんみりと呑む。

宮古の市街地、少なくとも駅前周辺では、震災の影響はパッと見ではあまり感じられなかった。それでも路地を歩くと、ところどころ基礎むきだしの更地になっていたり、ガードレールなんかがぐにゃりと曲がったままだったり、爪痕が見られる。

この看板、震災前からあったのか、それとも新調したものなのか。

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祭の余韻を感じつつ、酩酊。

山の神様にお礼を言いにいく。

シルバーウィークの最初の3連休を絡めて、がんばって東北に行ってきました。前半は森吉山を中心に沢とキャンプ(雨、雨、アンド雨)。後半は、三陸海岸を南下するコースでした。

というわけで、まずは何と言ってもこの滝。無事に長女を授かったことを感謝するの図。

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桃洞沢(とうどさわ)は、森吉山の北東部に位置する渓谷で、全面が舗装道路のようなナメの、初心者でも快適に遡行できる沢です。多くの場合、隣の赤水沢とのセットで、桃洞沢を登って赤水を下るのが人気。

今回は、桃洞沢をそのまま詰めて、登山道経由で下山するコースを取りました。ちなみに赤水沢は、古くは玉川温泉への登山道として機能していたそうです。秋田県北部の人々が、わざわざ沢を詰めて湯治に通ってたんですなあ。

そんなわけで、このエリアは難所には必ずと言っていいほどステップが切ってあります。いろんな紹介記事を読むと、そこらのおばちゃんが長靴で登ってたりするんだよね。ゼンマイなどの各種山菜やキノコ狩りにもよく人が訪れるそうで。

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それにしても、スラブ地形の独特なU字谷。その造形は、限りなく女性的かつ官能的でありました。マタギ的には山の神様は女性なんですよね。詳細は、ぜひ矢口高雄センセイの作品を参照してください。

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当日は天気が悪く、秋雨前線が南下+台風が2つ接近中ということで、降り出したらアッというまに増水するのは確実です。なので、早めに行動を開始して、桃洞滝まで行って雨が強いようなら引き返すという計画。当初は沢中泊のつもりだったのだけど、悪天候のため日帰りにすることは前日から決めていました。

結果的には、ちょうど稜線の手前で雨が降り出し始めるというラッキーな展開。稜線手前に軽いヤブコギがあるんだけど、稜線の地形が複雑+国土地理院の登山道の位置が完全におかしかったこともあり、ちょっと迷ったのはご愛嬌です。

1/25000図では、道がないことになってるけれど、立派な登山道が稜線のやや南よりにしっかり付いてます。あとは延々と下るだけ。

黒石側林道方面の下山道は、途中、素晴らしいブナ林を通ります。シトシトと降る雨と相まって、しばし幻想的な風景の中で、「サイコーだ」「サイコーだ」とブツブツ呟いたのでした。

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ビショ濡れになって下山後は、ドM魂を遺憾なく発揮し、土砂降りの中でキャンプすることに。管理人が17:30までいるというので急いで向かい、テントをレンタル(なんせ、タープしか持ってなかったもので)。

この森吉山親子キャンプ場、無料のわりには整地もしっかりしてるし、サニタリー棟も3つあり、すばらしい環境です。サニタリー棟にはシャワー室もあるのですが、沢水を引いている都合で、土砂混入の危険性から使用禁止でした。でも、トイレや炊事場の明かりはオートで点灯するし、チョー快適。もちろん、土砂降りの雨でなければ、ですけどね。

結局、あまりの豪雨+強風に音を上げて、サニタリー棟の炊事場(つまり屋根のあるところ)にテントを張り、一夜をすごしました。管理人さんも親切だったし、機会があればまた行きたいなあ。

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ちっちゃいね

生まれた直後の写真。まだふやけてる。

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お子さんをお持ちの方なら「あー、ハイハイ」ってなモンなのだろうけど、赤ちゃんの手足って、本当にちっちゃいよねぇ。指が比較的長めな気がするのはカミさん似か。ていうか、そこはオレに似なくてよかった。顔? 顔は、まあそのうち変わるでしょう! どうせ赤ん坊なんて、産まれたばっかりは朝青龍かガッツ石松なんだよ!

今日は「早く帰れ!」という上司の後押しもあり、危険な案件が山積みされているところをエイヤと電車に飛び乗り、ほんの30分だけ面会できた。もう母子同室で過ごしていて、おっぱいをングングングングと飲んでいた。

必死に乳首に吸い付いて、疲れたらダラーッと弛緩。んで、ちょっとするとすぐまた吸い付くの繰り返し。オレが抱いてたときも、乳首を探して愚図ったり。ていうか、オレのに吸い付こうとしてたけど。あ、服の上からね、もちろん。

さて、我が子にどんな名前をつけてやろうか。とりあえず実家のオヤジと喧々諤々……。めんどくさいながらも、楽しいひとときである。

まだ間に合うかも! なつやすみの計画

毎年恒例の、北東北銘渓めぐり〜焚き火飲んだくれツアーが今年は中止。家人の出産予定日がカチ合ったり、体調やら休みの都合等々の原因はあるにせよ、このまま夏が終わってしまうと思うと……やっぱりやるせないナー。

当初、震災のこともあるので東北が誇る霊峰・早池峰にでも行こうかと思っていた。あるいは、毎年お世話になっている、秋田駒から八幡平へと続く稜線を歩くか。それともいっそ、チョー久しぶりに南アルプスでもよいかもetc…

仕事の合間に呻吟していると、ふとひらめいた。アソコがあったよアソコが! アソコに行って、手を合わせていろいろ感謝やら祈願やらをして、ついでにナニをアレするってのが素晴らしいかもしれない。霊験あらたかな感じ!

問題はアプローチだなあ。新幹線で田沢湖あたりまで行ってレンタカーか、あるいはいっそ、大館往復で空路を使うか……。

周辺には立ち寄りたいところもいっぱいあるから、やはりレンタカーを借りた方がいいかもしれんなあ。沢中か、あるいは稜線の小屋で1泊くらいはしたいところ。ちょっと研究しなくては。

ちょっとやる気になってきた。月末か、9月のどこかで休みを取って、サクッと行ってこよう。

↓女性は見ないでください
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八月十五日の午後

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例年ならば、この日は東北の山に入ってる時期なんだけど、今年は出勤中。会社から徒歩5分ということで、行ってきました靖国神社。

午前〜正午くらいまでは、いろいろと喧しかったのかもしれないが、想像以上に落ち着いた雰囲気でした。参拝者は非常に多かったけれど。

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手水舎あたりから並んで、参拝できるまで15分くらいかかったかな。けっこうな日差しの中、汗をダラダラ流しながらじっと待つ。お年を召した方が大勢いたが、意外と若者も多かった。非常に静かな行列であった。

この日の在り方を巡っては、国内外問わず言いたいことがある人も大勢いるのだろうけど、果たして私が生きている間に何らかの解決なり妥協なりに至ることはあるのだろうか。中国にせよ韓国にせよ、そして日本の国内ですら、政治的な色合いが強くなりすぎて引っ込みがつかなくなった感がある。事態は絶望的だ。

私の祖父の弟は、フィリピンのルソンで戦死した。名は恒三という。藝大の油画科を出たあと教員となり、いくつかの作品は、いまもどこかで展示されていると聞く。

こんな時代なのでググってみたら、自画像を発見。おそらくは1936年に描かれ、いまも学生制作品として藝大に収蔵されている作品ではないかと思う。なんとなく、顔の雰囲気が自分に似ているようなそうでもないような……。一族における書画の才は、祖父や父は立派なものを受け継いでいるが、私には米粒ほども見られない。残念。

 油画科卒業後、教職についていたが、35才、終戦の前年になって出征。フィリピンから、妻・ゆり子さんに宛てた手紙;

「此処まで来ると視るもの聞くもの珍しい事ばかりです。こんなに異国情緒に富んだ処が近くにあるのだったらもっと早々に来て傑作を残して置けただろうにと思う程です。(中略)小型の悪いスケッチ箱、スケッチ板、水彩絵具セットを何等かの方法で、送って戴けないかしら。椰子の林等画材は書きよく、相当な収蔵を残すことが出来ると思ふのだがそれは後のお楽しみとしよう。」

そのスケッチを遺すことなく、頭部貫通銃創により戦死。

http://blog.goo.ne.jp/sque/e/36d3cb7e4e9b84097d13b1f7443b638c

戦死者はもちろん、手を合わせる人々も心安らかにすごせるようにならないものか。

ソ・ソ・ソックラテスかプラトンか



むかしのワールドカップに触れたエントリで、ブラジルのソクラテスという選手のことを書いた。ジーコやファルカンなんかより、ずっと印象は鮮烈だったが、なぜかというと、やっぱりこのCMのせいだ。

みんな悩んで大きくなった。

YouTubeには何でもある。

新・宮乃咩神社が完成

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exifを見ると7月2日撮影とあるので、すっかり忘れていたが、新しい宮乃咩神社が完成していた。7月12日の例祭に合わせた工事だったろうから、予定通りだったか。

上の写真では、手前に暫定のお宮がポツンとあるが、現在は撤去されている。

例祭の日、ちょうど診察が入っていたのでせっかくだからと2人で訪れてみたら、社殿が開陳され、希望者は安産の祈祷を受けられるとのことだった。さすがにご遠慮申し上げ、お札だけいただいて病院へと向かった。

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それにしても立派になったものだ。前の社殿も風情があったけど、新品でピッカピカである。風合いが出てくるのには数年かかるだろう。下は、大国魂神社のサイトより拝借した在りし日の姿。

青袖祭とかも見てみたかったが、さすがに時間が合わず断念。

なでしこと1982年の西ドイツとフランス

職人さん、仕事が速すぎと各地で話題ですw

延長後半からビールを飲みながら観戦し、PK戦から泡盛を舐め、表彰式など各種セレモニーが終わったあたりでは完全に出来上がっていたため、目が覚めたらすっかり昼下がり。

ボンヤリした頭のまま、どうにかメシを作り、一息ついたところで思い出した試合がある。1982年のワールドカップ、西ドイツ対フランス戦だ。

当時、私は中学生。この試合で初めて、ワールドカップのすごさを実感したのであった。

生だったか録画だったかは定かではないけど、真夜中だったのは間違いない。親父と2人で、ワーワー騒ぎながらテレビを見ていた。まだテレビはリモコンなどなく、チャンネルをガチャガチャと回すという時代だった。なぜか部屋の様子も含めて、そのときの情景はよく覚えている。

試合の流れとしては、1-1のまま延長に入り、延長戦でフランスが2点勝ち越し。誰がどう考えてもフランス勝利と思いきや、西ドイツが奇跡的に2点を取り、PK戦に。まさに激闘とも言える試合だった。これがゲルマン魂かと、身体が震えた。

プラティニとかリトバルスキーとかルンメニゲとか。懐かしいなあ。ちなみにこのときのブラジル代表にソクラテスという人がいて、すげー名前だなあと思ったりもした。

40代くらいの世代では、あのスペイン大会でサッカーの面白さに気付いた人も多いはず。尤も私の場合は、最後までプレイする側にはならなかったけれど。

今回の女子ワールドカップは、多くの子供たちにとってサッカーを始めるきっかけになるはずだ。野球のWBC後、公園でキャッチボールをする親子が増えたように、これからしばらくは、ボールを蹴る親子が増えそうですな。

30年も昔の西ドイツ-フランス戦がいまでも古いファンの間で伝説の試合であるのと同様、今回の決勝戦のことが忘れられることは、決してないだろう。

すごいモノを見た

ピンチ&チャンスのたびに、ヨメの下半身に力が入っていてハラハラしたが、本当に素晴らしい試合だった。

思うような試合展開にならなかったけれど、よく我慢して、あきらめずに走ったものだ。ワールドカップで日本が優勝するだなんて、自分の人生では最初で最後かもしれない。

沢アニキは、府中名誉市民確定だな。

魔法少女なでしこ

内股で素早く駆け上がる鮫島。「お買い物ドリブル」と称され、ドイツやスウェーデンの左サイドを何度も鋭く切り裂いた。

「なでしこジャパン」という呼び方は、じつはあんまり好きじゃない。サムライブルーというのもどうかと思うことが度々あるが、それ以上に、自らの国の女子代表チームを称する言葉としては、あまり相応しくないと感じている。謙虚さに欠けるというか、自分から言う言葉じゃないよなあ、という意味で。

だけど、今回のワールドカップは予選からウォッチしてきて、その考えを改めつつある。「なでしこ」の名を冠するに値するチームなのではないかと、感じるようになった。

いわゆる「マリーシア」的なことを滅多にしない。

審判が見てないところで後ろから激しくチャージしたり、あからさまにレスリングのように相手を倒したり、そういったいやらしいプレーはほとんどしてないんじゃなかろうか。

あと、ツバを吐かないよね。他国の、モデルばりのルックスをしたキレイなねーちゃんが、ピッチにぺっとツバを吐くのを目にすることはあっても、「平たい顔族」の彼女たちは、そういう振る舞いをしてないんじゃないかと思う。気付いてないだけかしらん。

加えて、じつにエレガントなパス回し。ヨーロッパの国は、明らかに体格を生かしたサッカーをしていて、それはそれでいいんだけど、日本女子は、フィジカルが弱いんだから必然的とも言えるが、パスサッカーに磨きをかけてきた。

男子のようなプレーを目指すのが欧米としたら、体格に劣る日本人らしい、剣道に対する薙刀のようなサッカーを、日本女子は完成させたような気がする。気品とアイデアに満ちあふれた、じつに女性らしいサッカーを。

スウェーデン戦はほんとうに象徴的だったけど、小憎らしいほどのパス回しで相手を完全に翻弄していた。試合終了後の、「なんでこんなちっこい相手に負けてしまったのかがわからない」とでも言いたそうな相手の呆然とした姿は、まるで弁慶と義経の五条大橋のようでした。眠気も吹っ飛んだ。どこかの国のプレスが、「魔法のような」と記事に書いていたけど、まさにその通り。

ラスボスは、アメリカ。府中出身、地元のヒーロー・沢アニキには、ぜひともゴールを決めて得点王になってほしいね。そんで勝つことができれば、本当に最高だ。

15年前の伊達公子とオレ物語

クルム伊達公子の試合を、夜更けのNHKで観戦した。1回戦とはいえ、40歳での勝利はすごいね。最後にウィンブルドンで勝ったのは、なんと15年前だってんだから。

チビチビ酒を舐めながらボンヤリ見ていたら、ふと思い出した。その15年前のウィンブルドン、グラフとの試合は、当時の職場で見ていたのだ。小さなテレビに3〜4人かじりついて、夜更けのオフィスで。

単なるオッサンの懐かし話で申し訳ないのだが、当時はフリーから会社勤めに転身した頃で、その生まれて初めて勤めることになった会社というのが通販事業をやっていて、カタログをせっせと作っていたのですね。

何を売ってたかというと、乳首がピンクになる薬だとか、恋人に出会えるパワーストーンだとか、みるみる健康になってしまう金魚運動器だとか、要するにその手のもの。

3種郵便の兼ね合いで、カタログの51%を記事とすれば郵送費がものすごく安くなるのね。そういった事情で、売れない芸能人や、カネさえ払えば都合のいいことを喋ってくれる大学のセンセイのインタビューなんかを作ったりしてた。

ワンマンな社長がすべての原稿をチェックしていて、よく「オマエの記事はキッチリしすぎていてイカン!」と、真っ赤になったゲラを返されたなぁ。こう書くと、なんだかイイ話っぽいんだけど、具体的には「わざと誤字脱字を入れるくらいがいいんだよ」とか、「もっともっと下品に書け」とか、そういうことを言われたりしてた。おっと、やっぱりイイ話かもしれないw

当時デザイナーとして在籍していた、ちょっとルックスのいい女の子がいたんだけど、彼女なんかは化粧品だったか、ジルコニアみたいな人造ダイヤだったか忘れたけど、いきなりイメージガールとしてカタログで使われたりするわけですよ。しかも名前を、(コレ書いていいのかなあ……)「巴里麗子」とか付けられて。

その、巴里麗子ちゃんや職場の面々といっしょに、伊達公子の応援をしていたのですね。15年前の青山のはずれのオフィスで。いやあ懐かしい。

あの頃は夜な夜なオフィスで呑んでたんだけど、同僚というか先輩のT君が、よく「ハッパ」をポケットから取り出して、やおらアルミホイルで即席のパイプを作り、回したりしたのもいい思い出です。

巴里麗子や、そのときの会社のブランド名をググってみたけど、見つからない。当時のスタッフたちとは音信も途切れて、一人だけ年賀状だけの付き合いが続いているけど、きっとみんな元気だろうと勝手に思っている。

あれから15年が経ち、伊達公子は引退からカムバック。そして私はくだんの会社はすぐに辞め、職場を転々として今ではくたびれた中年になった。

クルム伊達公子の今夜の相手は、ビーナス・ウィリアムス。なんとか大金星をつかんでほしいところだが、冷静に考えれば難しいだろう。しかし、勝負事はなにが起きるか分からない。相手の目を白黒させるようなシーンが少しでもあればと祈る。

「不吉じゃねえか!」とドン引きされそうだが、状況的に、シャーク堀口vs関拳児みたいな好試合を期待!

妻の入院、麻婆豆腐とポケットWiFi

My wife has hospitalized for threatened premature delivery and placenta previa, but both she and baby are alright now.

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先週木曜日の検診でのこと。担当医が唸った。「こりゃ、切迫早産だねぇ」。

月初めの検診時に29ミリだった頸管が、その後30ミリに持ち直したので安心していたのだが、それがイッキに16ミリになったという。しかも逆子。さらには胎盤の位置も低いぞな、ってことで「今日はこのまま入院してください」と宣告。最悪、出産までずうっと入院することになるかもと言われる。

ヘタすると子宮口が開いて、かつ胎盤の位置から大出血の可能性もあるってことらしい。そら(母子ともに危険な状態となる可能性が高いので)そう(入院も仕方ない)よ。

あまりの急展開に妻は動揺かつ涙目。しかも、車椅子に乗せられ病室に連れていかれるもんだから、待合にいる妊婦さんたちの視線が熱いこと熱いこと。

実際のところ、予定していた産休の時期までに仕事が終わらず、ウジウジと会社に行ってたのがよくなかったようだ。引き継ぎとか関係なく、仕事は放り投げちまえばいいって、散々言ったんだけどなあ〜。もっと根回しを手伝えばよかったと、ちと後悔。

あれですよ、もし自分の部下が妊娠して、産休の日取りが決まったら、確実にそこで休めるようアレコレ差配するのが上司たるものの責務ですよ。もちろん、仕事が遅れがちだったのは当人の責任ではあるのだが、正直恨めしい気分。ま、こんなことココで書いても仕方がないんだけどね。

そんなわけで、入院が決まった日は本当に慌ただしかった。ひとしきり担当医と話をし、妻をなだめた後、まずは東府中にある、けっこう有名な中華料理の店に行って、陳麻婆豆腐を食す。真っ先にモノを食うというのが、じつに自分らしい。

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菜根香 四川料理 / 東府中駅府中競馬正門前駅多磨霊園駅

この店、なかなかタイミングが合わなくて来られなかったんだよね。「チューボーですよ」にもキョショーとして出てた人がシェフなんだが、確かに美味かった。汁なし担々麺とか、他の四川料理も食べてみたーい! モーレツに汗をかきかき、アタマの中でこれからの行動予定を整理。

会社は休んでもよかったんだけど、のちのちメンドくさくなるので出社して、まずは自分の上司に状況説明かつアレコレ依頼。そんで、妻の残ってた仕事をエイヤッと処理(ていうか押し付けた)。同じ会社ってのはこーいうとき便利だ。数時間でドドドとこなす。

その後、渋谷に移動して買い物に励む。ヘッドフォンの延長コード(病室でテレビを見るのに使うのです)と、入院中にネット環境がどうしても必要ってことで、EモバのポケットWiFiを購入。板野友美のCMは正直キモいと思うが、オリバにはがんばってほしい。WiMAXと迷ったんだけど、基地局またぎ的なところは分があるのではないかと。もちろん、そのうち自分が使うことを考慮の上です。

契約処理中に、頼まれていた化粧水を西武デパートでゲット(こーいうところはオンナだなあ、と思う)。なぜ西武デパートかというと、もらいものの西武の商品券の期限が今月中だからって……まあいいけど。それにしても、化粧品売り場のカウンターに座らされた、汗まみれで小太りな中年を想像してほしい。地獄だぜ、あれは。とか言いつつ、店員さんとはなごやかに談笑。正直に説明するのも疲れるので、尻に敷かれておつかいに来た夫を演じる。

用事を済ませ、帰宅しようとしたら京王線が人身事故で止まっていた。メンドくさいのでタクシーを拾う。

車内でポケットWiFiの設定と動作確認。問題ナシ。家についたところでパッキング開始。小説とマンガとDVDを適当に見繕う。どれだけ入院するのかわからないから、下着類やタオルなんかも大量に。まとめてザックにズコズコと突っ込み、病院へと向かう頃には面会時間ギリギリであった。

ん〜、なんか無駄に長い投稿になってしまったけど、まったくもってドタバタな一日だった。いまでは、思ったより経過は良いんだけど、後々の笑いのタネとすべく、クドクド書いてしまいました。テヘ♪

10 weeks to go

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いわゆる4Dエコーっちゅうのを受けてきた。4次元? まあ細かいことはいいとして、輪郭もハッキリ見えるし、ちょっと感動モノでした。

30週に突入して、このところ明らかに胎動が激しい。あとちょっとだなあ。

rakraの最新号

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飯田橋の「あおもり北彩館」にて購入。震災の影響で、やはり刊行が遅れていたらしい。でもまあ、これから毎号ココで買えると思うと、なんかウレシイ。オフィスが飯田橋近辺に引っ越ししたんですよね。

そういえばこの週末は、青森県知事選がある。報道などを見る限り現職が優勢らしいけれど、反原発の流れがどう影響するか、それとも……。

青森県知事選 争点化難しく… 原発依存の厳しい実情

宮乃咩神社〜謎の絵札と穴柄杓

毎度おなじみの大国魂神社。新しくなった「随神門」の屋根もギラギラ感が薄れ、程よく落ち着いてきました。まだ柱の地肌なんかがピッカピカだけど、そのうち雰囲気も馴染んでくるかな。

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大国魂神社には、本殿以外にも、いわゆる摂社、末社、所管社が敷地内に祀られています。お酒の神様を祀った松尾神社や東照宮、酉の市で有名な大鷲神社などなど。お稲荷さまも。

そんな境内摂社のひとつに、宮乃咩神社(みやのめじんじゃ)がある。

祭神は、天鈿女命(あめのうずめのみこと)。芸能の神ということだけど、一般的には、天照大神が天岩戸にたてこもったとき、おっぱいポロリ、お股全開のスッポンポンになって踊り騒いで、まんまと天照をおびき出した方、と言ったほうが通りが良いかもしれない。Wikiあたりだと「日本最古の踊り子」なんて記述もある。

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宮乃咩神社が創建されたのは景行天皇の時代といわれ、西暦でいうと111年だそうだ。つまり、大国魂神社本殿と同じく、今年で鎮座1900年ということになる。そういった事情もあるからなのか、随神門の「ついで」なのか、寄付金が予想以上にいっぱい集まったからか、建替え中で、暫定的に小さなお宮が設置されている。

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先日訪れたときは、屋根も銅版で葺き終えたようだし、あと少しで完成しそう。ちょうど上棟祭が行われた直後らしく、その式次第が掲示されていた。午前中に来ていれば、「散餅散銭之儀」に立ち会えたのかもしれない。くぅ。

ところで天鈿女命は安産の神でも知られており、古くは北条政子がこの宮乃咩神社で安産祈願をしたらしい。

鳥居の横にはお札の奉納台があるのだけど、これがちょっと変わっている。基本的には女性が手を合わせて祈っている絵柄で、お札台の隣には穴の空いた柄杓がギッシリ。

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このお札や柄杓、社務所でも販売されているのを見たことがない。気になって質問してみたら、神社側で指定の札があるわけではないが、女性の絵柄の札は、近所の商業施設・フォーリスで売ってるとのこと。柄杓は、どこで買ってもよいそうだ。

<後日調べてみたら、水が抜けるよう安産でありますようにと、底の抜けた柄杓を奉納する風習が全国各地に残っているそうだ。なるほど。>

帰りにフォーリスに立ち寄り、お札と柄杓を探してみた。最初、金物屋にて柄杓を発見したのだが、いたって普通のカネ柄杓。「これに穴を空けるとしたら、釘とか使うんですかね?」と尋ねてみたら、店のおばさんは「ひしゃくに穴空けたら使い物にならないじゃないかさ」などと、おもしろくない冗談を言われたような不機嫌そうな反応。

そそくさと立ち去り、フロア内の店舗をひと通り探してみたら、文房具屋の奥にひっそりと置いてありました。

宮乃咩神社の例祭は、毎年7月12日に行われるので、それまでには工事も終わるに違いない。

お札と柄杓を奉納するならそのタイミングかな。見物がてら、行ってみよう。

山葉文化椅子

ここ数年、ずうっとロッキングチェアが欲しくて、いろいろ物色していた。特に銀座のショールームで見た、香川県の桜製作所のやつは実際に座ってみたりして購入寸前まで行ったのだが、今の自分には分不相応と諦めたこともある。さすがにこの金額はなあ〜。

ラウンジ アームロック ¥315,000-
http://www.sakurashop.co.jp/products/nakashima/loungearmrock.htm

ところがヤフオクなんぞを久しぶりに見てたら、とある椅子に思わず釘付けになり、ついつい落札してしまった。3万円チョイ。いやあ、ヤフオクを利用するのって何年ぶりだろう。

それがコレ。山葉文化椅子といいます。

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山葉というのは、もちろん現在のヤマハのこと。浜松出身としては見逃せないでしょ、ってことで。もともと卓袱台と通常の椅子との3点セットで販売してたらしいですね。ググると、いろいろおもしろい記事が出てきます。

折畳みってところが、またソソる。「実用新案 日本楽器会社製」のプレートを見るにつけ、これは相当古いモノなのだろうと思う。

座り心地は、なかなか良好です。私が座ると時折ギシッと音がしたりもしてスリリングだが、構造はしっかりしてるので問題はない……と願いたいところ。

座面の帆布がちょっとたるんでるので、いずれどこかの、しかるべき業者に修繕を依頼したい。帆布ではなく、革にするのもいいかもしれんナー。

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楽器メーカーのヤマハがなぜ家具を? と思うかもしれないが、あのへんは昔から天竜川を使って木材を運んでいた歴史がある。楽器メーカーが多かったのは、そのせいもあるんですよね。考えてみればピアノの椅子だとか、確かに楽器と家具は結びつきは大きい。

ヤマハは大正から昭和初期まで家具を作ってたらしいですね。そんで、この山葉文化椅子については、つい最近復刻版も制作されてたようだ(いまは生産はストップしている)

なお、ネット上の画像を見ると、どれも肘掛けの下の意匠が今回落札したものと異なっている。ひょっとしたら、初期ロットかしらとも思うが、真偽は定かではない。誰か詳しい人いないかなー。

2011年の例大祭

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震災の影響で、大国魂神社の例大祭「くらやみ祭り」も、部分的に自粛することになったようだが、どっこい神社の境内では屋台がひしめき合い、人々もキャッキャウフフと幸せそうである。夜通し太鼓を叩くとか、そのへんが自粛されただけなんだよね。人出も多かったし、テキ屋関係の方々はさぞかしホッとしているのではなかろうか。

なんとなく気付いたところでは、いわゆる「ドネル・ケバブ」系の屋台がキレイさっぱり無くなっていた。代わりに増えたのがラーメンバーガーとタイラーメンだ。

ケバブ系のあんちゃん達が原発のせいで帰国してしまったのであろうか? 謎である。ちなみにタイラーメンの屋台は、どう見ても日本人のおばちゃんが店番をしていた。

フラフラ歩いていたら、なんと「飴細工」の屋台を発見。これがまた、味わい深くてイイ感じ。ぜひひとつお願いしたかったのだが、小さな子供たちが鈴なりだったので遠慮した。

飴生地をこねながらの話術だとか、そういったところに年季を感じる。これぞ職人の技ってもんだ。後世にまで残って欲しいニッポンの文化といえよう。

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境内を離れ、大国魂神社のすぐそばにある輸入ビール屋に。

ココは知る人ぞ知る、世界各国のビールを扱うレアな酒屋さんなのでが、例大祭の期間中は被災地の地ビールを積極的にプッシュしている。生でもいくつかの銘柄を楽しめるそうだ。

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ビアハウス ケン

準備が整ってなくて、岩手の「ビアレン マイボック」なら生で出せるという。1パイントが600円。店のおじちゃんに1000円札を渡すと、レジから100円玉を5枚取り出し、100円を募金箱に入れる。そして、400円をお釣りとしてくれた。となれば、受け取った400円は募金箱に直行である。

聞けば、集まった募金はすべて、地ビールの各酒蔵に直接届けるとのこと。これもまた、商売人の心意気。とある酒蔵から届いたという便りには「ごいっしょに乾杯して下さい」と、したためられていた。

少し酔ったせいか、手ブレした。

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かの蒼空に

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日曜日、おいなりさんを作って、酒やらおかずやらを買い込み、毎度おなじみの野川公園に行ってきた。今年は桜の時期は終わってしまったけれど、それでも沿道の木々が春めいており、とてもさわやかな気分。

道中、土手でシマヘビをみかけた。春で気温も上がってたから、ひなたぼっこであろうか。その直後、青大将にも遭遇。ヘビを見るとか、久しぶりだなー。

バーベキュー広場を抜けて、野球のグラウンドと西武線を越えてしばらく行くと、いい場所がある。適当な木陰で店を広げてくつろぐ。

ゆっくりとビールを飲んでいると、時折頭上を、調布飛行場へと向かう小型機が飛んでいく。

見よ、今日も、かの蒼空に飛行機の高く飛べるを。なんて口にしてはエヘラエヘラと笑う。

夕方、肌寒くなってきた頃合いで西武線の多磨駅まで歩き、府中市のコミュニティバス「ちゅうバス」で帰宅。

平和な休日であった。

内馬場にて

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伊勢丹地下で適当に食い物とビールを調達し、府中競馬場へ。

まだ中山開催だから、たぶん今日は皐月賞なのだろうと思ったのだが、あとで調べてみたら、震災の影響で皐月賞は次週、しかも府中での開催になったらしい。府中での皐月賞は23年ぶりだとか。

まあ、特に馬券を買うでもなし。一般開放されてる厩舎でお馬さんを眺めたり、見事な芝桜を愛でつつ内馬場へ。いやあ、改めてみるとファミリーがいっぱいだな。ミニ新幹線も走ってる。

ベンチに腰掛け、芝生の上で転がりまくる子供たちを眺めながらビールを飲む。

芝コースは一周2000メートルあるんだとか、直線は500メートルで日本一だったのに新潟競馬場が改装してその座を奪われただとか、どうでもいいウンチクを垂れ流し、妻は興味なさそうに聞きながら、味噌カツを齧っていた。

それにしても子供の運動量はハンパない。今から心配してもしょうがないが、根本的に体を鍛え直さないとマズイなあ〜。

ここちよい午後。すでに缶ビールは4本目である。ふと仰ぎ見ると、半旗が春風になびいていた。

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内馬場の平和な風景、子供たちの嬌声が響き渡るなか。

少しだけ、気持ちが引き締まった。