啄木新婚の家

3泊4日の今回の旅も、そろそろ終わりである。4日目の朝、さすがに昼すぎには東京に戻らなきゃなのだが、ここ盛岡でもう一カ所、立ち寄っておきたい場所があった。「石川啄木新婚の家」だ。

大間のところでも書いたけど、石川啄木が大好きなんですよ。なにがいいって、あのいい加減なところね。浪費家で好色で見栄っ張りでずうずうしくて、生活力がないくせに口だけは達者で、とにかく人間として、男として、相当ダメダメなんだけど、歌を詠むのだけはスゴいってところが。

さて、その新婚時代を過ごしたという家だけど、盛岡の駅前から徒歩で10分くらい。北上川を渡ってしばらくすると看板があるので、導かれるようにして、通りを渡ったところで忽然と現れる。

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あまりに無防備な佇まい。夜中に酔っぱらいやヤンキー学生に荒らされたりしないんだろうかと、ちょっと心配になる。入館料はナシ。管理人っぽい人も常駐してるはずだけど、気配がない(笑)。引き戸を開けて中に入り、靴を脱いで上がる。

中は、けっこう広いなあ。両親や妹とも同居してたっていうけど、それを差し引いても立派な間取り。展示資料によると、確かに啄木はこの家で新婚生活を始めるものの、結局たったの3週間で生活が破綻して、追われるように引っ越すハメになるそうだ。でかい家を借りた割には、収入とか貯金とか、計画的ではなかったんだね。

そもそも、この家で行われた結婚式もバックレてるし。啄木石川一、このとき20歳。東京で処女詩集「あこがれ」を出版するも鳴かず飛ばず。金もなくて、きっと、いろんなことがめんどうくさくなったんだと思うw

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ここは、畳に寝そべったりして、自由に過ごせるところがすばらしいんだ。まったり、ゴロゴロ。生き方がパンクでロックな石川啄木の、盛岡時代に思いを馳せる。平日の朝だったせいか、来訪者はほとんどおらず。玄関先でぐるりと中を見回して帰っていくのが数人いた程度だ。我々が、あまりにもリラックスしてたせいか?

石川啄木については、また機会があったら書いてみたいところ。下の2冊はとにかくお勧めです。とくに、現代語訳の「石川くん」は最高。ステキです。


駅前に戻り、じゃじゃ麺で〆。ゲフー。

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今回の旅レポは、これにて終了。長かったなーw

10月前半、また秋田に行くことになりかもしれません……。だって、キノコとって、新米できりたんぽ作って、ダシは比内鶏って……。ゴクリ。
あ、自由参加ですよちなみに。

肉の米内@盛岡で夜は更けて

盛岡冷麺に出会って、何年が経つのだろう。15年くらいなのかな。いや、もっとか。当時、盛岡勤務だった大学の先輩に連れてってもらったんだよなあ。以来、何杯食べたかよくわからないくらい食べている。食べた回数なら、東京都内在住・実家が岩手県でない人間の中ではトップ10くらいに……入らないか。どうでもいいけど。

盛岡という街は、地方都市にありがちなんだけど、駅前=繁華街というわけではなく、核心部は駅から離れてるんだよね。おかげで地元民でもない我々は、冷麺を食べようにもいつも駅前か、駅から徒歩圏内の店しか楽しむことができなかった。せいぜい食道園あたりまでか。

実際のところ、駅前の盛楼閣がなかなかのクォリティー&パフォーマンスなおかげで、「盛楼閣でいいよね?」「うむ」となってしまうのだ。ちなみに、ぴょんぴょん舍は第一印象が悪すぎてハナから除外。銀座の店にも行ったことないや。

がしかし。かねてより、地元民より高い評価を受けている「肉の米内」が気になって気になって仕方がなかった。お肉屋さんが経営していて、冷麺のスープはみんな大好き・前沢牛でじっくりとスープを取っているというゴージャスさ。そこで今回の旅では盛岡にステイすることにして、ようやく念願を叶えることができた。

下北を夕方に出て、盛岡には20時半すぎに到着(遠かった!)。ビジホに荷物を置いて、急ぎタクシーで向かう。念のため、駅に着いてから予約の電話を入れたのだが、9時すぎに入店したときには、団体も入っており相当なにぎわい。ちょうど我々で満席となったようだ。あぶねー。

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肝心の冷麺に行く前に、もちろん肉を喰らうわけで。タレを入れるお皿がユニークな形。「ここで満腹にしないように」と気をつけたはずなのに、つい、いつもの調子でオーダーしてしまい、冷麺を頼む段で相方を見るとすっかり涙目である。あれほど言ったのに〜、ってオレが悪かった。スマン。

仕方がないので冷麺はひとつだけ。別辛・多めで。

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店の人が気を利かせて、お椀を持ってきてくれた。相方用に麺少なめ・スープ多めで取り分ける。写真を撮ったのはそのあとなので、スープが少なく見えるけど、本当はもっとつゆダクでした。

で、肝心の味。美味いです。

ふつうに、しっかり、しみじみと、美味い。ただ、ズキュン!!とズバ抜けて美味いかというと、正直そこまでではない……かなあ。これまで食べた冷麺の中では、間違いなく上位には来るけれども。

ネットの評伝によると、スープはあっさり気味なときとドロリと濃厚なときがあるらしい。この日はどちらかというとサラリとした感じだったので、ハズレだったのかもしれない。あと、ランチがお得で大人気らしいですね。行列もザラだとか。

お客さんはひっきりなしにやってくる。地元の人に愛されてるのがよくわかる。機会があったら、次は冷麺のみで再訪してみたいが、やっぱり立地がなあ。う〜ん。満腹の腹を抱え、消化不良のまま、石割れ桜を見物しつつ駅前までテクテクと歩いた。

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仏ヶ浦で火サスのロケに出くわす

下北半島は斧の形に例えられる。刃側の北端が大間で、柄の北端には尻屋崎という、お馬さんがいっぱい放牧されている名所もある。いっぽう、大間から刃に沿って南下すると、仏ヶ浦だ。

尻屋崎と仏ヶ浦、どちらも行ってみたいのだが、時間的に無理。そこで相方に「馬と火曜サスペンス劇場、どっちがいいか」と尋ねたところ、「火サス」と即答。ってことで仏ヶ浦へ。

何がどう「火サス」なのかというと、見た目が、である。いかにもドラマのクライマックスあたりで使われそうな景観なのだ。

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上は展望台からのショット。遠目じゃわかりにくいけどね。もう少し先に行くと、下降路が整備されている。けっこうな山道を下ること数十分。

迫力あるむきだしの巨岩が、ドドーンと。

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厳しい自然環境が作り上げたダイナミックな造型に、しばし見とれる。恐山といい、仏ヶ浦といい、下北はスゲーなあ。

遊覧船も出ていて、海から眺めるとまた佳いらしいのだが、さすがにそこまでの時間はなかった。しばらく散策していたら、奥のほうに人が大勢いる。なんと本当にテレビのロケをしていたよ。ADっぽいお兄ちゃんが「いま撮影中なのでここから奥は、ちょっとお待ち頂けますか」という。まあ、状況としてはわからんでもないので、ちょこっと待ってたけど、埒があかないので戻ることに。

スタッフさんが走り回っていて大変そうでした。なんの番組かは聞かなかったけど、そのうち放映されるのだろう。青森が舞台のドラマ? 本当に火サスかどうかは知らないけれど、絶対刑事モノだと思う。

帰路の登りは辛かったが、あとはクルマをぶっ飛ばして下北駅へ。無事にレンタカーを返却し、すっかり日も暮れた中、電車で移動するのであった。まだまだ旅は、終わらない。

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大間でマグロにまたがって

恐山から大間に行くには、まず山間の道を抜けて津軽海峡に出るのだが、途中で薬研渓谷ってところに下りられるスポットがある。べつにどうってことない沢なんだけど、遊歩道もあって休憩にはちょうどよい。紅葉の時季は、とても綺麗だろうなあ。

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そして大間。マグロで有名になりすぎたせいか、やけに広い駐車場ができていて、バイク乗りたちがテントを張っていた。そりゃ、下北に来たら立ち寄ってみたくもなるわなあ。俺もそうだけど。

ところで大間には、大尊敬する歌人・石川啄木の歌碑がどーんと建っています。


大海に向かひて一人 七八日(ななようか) 泣きなむとすと家を出でにき

大という字を百あまり砂に書き 死ぬことをやめて帰り来たれり

東海の小島の磯の白砂に われ泣き濡れて蟹とたはむる

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なんと、啄木が蟹とたはむれた小島というのがココだとか。ちょっと沖合の、灯台が建ってる島がそれ。地元の人の研究によると、ってことらしいんですがね。歌碑の裏面にはそのあたりの解説アリ。海を隔てた向こうに見える函館や、小樽でのやんちゃぶりは知っていたけれど、大間にも来てたのか。知らなんだ。

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せっかくなので、本州最北端の食堂「かもめ食堂」にてマグロを食す、ちなみに、九州博多の沖合にある能古島にも「かもめ」っていう食堂があって、そこは檀一雄ファミリーなんかがよく立ち寄ってたらしく、女子が大好きな映画「かもめ食堂」のモデルになったとかならなかったとか。まあどうでもいいですね。

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マグロ(中トロ)・イカ・ウニの3点盛りを頼んだのだが、ボリュームがものすごくて(特にウニ)、必死になってかっこんだ。おかげでゲップがウニくさい。

よく、大間ではマグロなんてない、なぜならすべて築地に行ってしまうからだ、という話を耳にするけれど、あるところにはあるのです。

そもそも時期が大事。大間のマグロ漁は8月から12月にかけて行われるので、そのタイミングを外すとだめぽです。実際は10月をピークにした3カ月くらいがヤマらしいです。そう考えると、今回食べたのも冷凍モノだったかもなあ。

記念撮影をして、大間を後に。

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恐山でちょっとかんがえた

浅虫を発つ朝、「恐山に行く」と言ったら、宿の仲居さんの顔つきが曇った。あんなとこに行くのはおよしなさい、せっかく天気がいいのだから、なにも好き好んで行くような場所ではない。

至極真面目に、そうおっしゃる。どうしても行くというのならと、厨房から塩を包んで持ってくる。必ず身を清めるようにと念を押され、ようやく送り出してもらえた。

陸奥湾沿いにクルマを飛ばす。途中までバイパスが出来ていて、至極快適。むつ市まで開通すれば、青森・下北間のアプローチが短くなるだろう。ところどころ、風力発電のプロペラが回っているあたり、下北だな〜。軽快ドライブ。2時間で到着。

恐山は、日本三大霊山(恐山、高野山、比叡山)であり、日本三大霊場(恐山、白山、立山)、さらには日本三大霊地(恐山、立山、川原毛)でもある。そういえば、映画「剣岳 点の記」では、立山信仰が描写されていたね。

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さてさて。帰京後、今回の旅程を書き連ねてきたが、告白すると、恐山に関してはソコソコ思うこともあったのだが、書けば書くほどわからなくなる。うまくまとまりそうにないんだけど、誤解を恐れず言ってしまおう。ヨソ者の立場で甚だ不謹慎ではあるが、恐山は、じつに興味深い場所なのだ。

ここでは、生と死が同居している。天国と地獄、荘厳さと気味の悪さ、不浄と神聖、とにかくそういった、本来であれば相反するものが同時に存在している。

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立ちこめる硫黄臭、荒涼とした風景。積まれた小石。なるほど、死後の世界というものがあるとすれば、こうした風景なのかもしれない。

死を迎えた旅人が困らないようにと、生前身につけていた衣服や靴、ステッキが奉納されている。また、道中困らないようにと、手ぬぐいが樹々に巻かれている。そして水子のためにとお供えされた、かざぐるま。

どんなことを感じるかは、人それぞれだ。遺族が、死者に対して抱く思いや、それを具現化する方法も。

カラカラと回る原色のかざぐるまは、生まれてくることがかなわなかった我が子に対する供養、つまり愛情の現れだが、ある種、異様なオーラを醸している。

いっぽうで恐山には、天国のような美しい風景もある。涅槃とでも言うべきか。山上湖・宇曽利湖の水はどこまでも清らかな透明を誇り、誰かの骨だと言われれば信じてしまいそうな、ウソのように白い砂浜を洗っている。死者と酌み交わしたのか、酒やビールがお供えされてたりもする。

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ここには、「あの世のすべて」がある。だから訪れた人は、たとえ物見遊山の観光客だったとしても、いやがおうにも生と死について思いを馳せることになるのだ。

いまはどうにも、これ以上の言葉が出てこない。また思うことがあったら、なにか書くかもしれないけれど。

あ、ひとつだけ、イタコについて。イタコの口寄せは、7月の例大祭とか大きなイベントのときだけらしいんだけど、あんなのインチキだと言うひともいれば、いやアレは一種のセラピーなのだという意見もある。沖縄のユタに比べると、イタコは世間的にキワモノ度が若干高いような気もするけれど、今ふうに言えばどちらもシャーマンだよなあ、と思ってみたり。

ところで、恐山にはもうひとつの顔がある。温泉だ。そりゃ、あんだけ硫黄が噴き出してれば、温泉だってあって当たり前だ。

境内には掘建て小屋風の湯殿がみっつ。さすがに混浴とはいかず、男湯と女湯に別れていて、引き戸を開けると、ちょっとした脱衣所と湯船があるだけのシンプルなつくり。白濁したお湯がいいカンジです。さらには最近建て替えられたという立派な宿坊もあって、1泊12000円くらいで泊まることもできる。温泉つきで、精進料理がなかなかに美味いらしい。今回はパスしたけれど。

観光客がワンサと押し寄せるにも関わらず、ここの風呂はどうも不人気です。さすがにタオルまで用意してくるような人はあんまいないか。私はゆっくりと楽しませてもらいましたが。ちなみに、小屋自体は相当な年代物だけど、中は掃除が行き届いていて清潔。じつに気持ちよいです。

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仕上げは、恐山名物のヨモギアイス。いろんな味をミックスした「恐山盛り」なんつうのもあります。さすがにそれってどうよ?と思いつつ、塩でお清め。いざ大間方面へ。

さつき@浅虫温泉で食い倒れる

トンデモゾーンを抜け、一路浅虫へ。「麻を蒸す」から浅虫になったらしいけど、この当て字の理由は、火難をおそれ、火に縁のある文字を嫌ったからだという。なるほど。

蔦温泉では山の幸、もちろんココで楽しみなのは、陸奥湾の海の幸である。浅虫温泉は、東北のゴッホ・棟方志功で有名らしく、実際に「椿館」というゆかりの宿もあるのだが、そちらはけっこうな人気で、ずうっと前から満室状態でした(あとで知ったんだけど、浅虫に滞在した9月13日は棟方志功の命日だったらしい)。

そのほか、津軽三味線のライブがあるホテルだのいろいろあるんだけど、食い意地が張ってる我々としては、料理がしっかりしていそうな宿をチョイス。「さつき」という割烹旅館。結果的にはこれが大正解。

お風呂はこぢんまりとした感じなのだが、十分な感じ。部屋数が多くないうえ日曜だったので、貸し切り状態である。

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湯上がりに海岸まで散歩。のぼせが取れる頃に宿へと戻り、陸奥湾の恵みを堪能する。

いきなりウニだのアワビだの。ありがたいことに、料理はちょっとずつ出してくれるので、ゆっくりと食べ進められる。おかげで酒が進む進む。ビールはそこそこに、日本酒へとスイッチ。ノリのいい仲井さんと相談して、地元の純米を冷酒でいただく。当たり前のように、これがまた佳い味わい。

料理はどれもシンプルに見えるようで手が込んでいて、小技がいちいちニクイのよね。いやもう、大満足であります。

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ハタハタの鍋が出てくる頃には、腹八分目はとっくにオーバー。シメのごはんでジャスト満腹。デザートのりんごは、もちろん別腹でした。

翌朝は翌朝で、貝焼きがうめがった〜。「貝焼き」と書いて「けやき」と読むらしい。帆立の貝殻に、出汁とネギ、帆立の身を刻んだものを入れて煮立てる。頃合いを見てとき卵を投入し、半熟くらいで完成。ごはんにかけて食べるのだ。最高に美味い。十三湖のしじみの味噌汁もグー。

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日本人で本当にえがった。

ナニャドヤラ街道を往く〜キリストの墓とピラミッド

酸ヶ湯を堪能し、八甲田ロープウェーを往復後(天気イマイチだったのですぐ下りた)、奥入瀬をかすめ、十和田湖をなめるように国道454へ。

今夜の宿は浅虫温泉。直行するにはまだ早いので、三内丸山遺跡と相当悩んだのだが、ネタ作りのためにも、こちらをチョイス。

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道路標識なんかも、当たり前のようにあったりして、意外とマジなのよね。これも町おこしなんだろうけど、いやはや大きな風呂敷を広げたもんです。

まずは近いほうからってことでピラミッド。正式には、大石神ピラミッドというらしい。Google Mapにも出てる。大きな岩に割れ目が走っていて、その割れ目が正確に東西南北を指し示しているそうで。ふ、ふ〜ん。

立て看板には、世界各国のピラミッドの起源は日本にあったとか書いてあって、思いっきりデムパな感じではあるけれど、こーいうのを笑える度量さえあれば問題ありません。

ちなみに、ここのピラミッドはふたつあって、さらに林道を登ったところに、上大石神ピラミッドってのがあるんですね。せっかくなので、もちろん行ってみた。

急斜面を息を切らせながら登ると、巨岩が忽然と現れる。なるほど、見晴らしもいいし、ピラミッドはどうかわからんけど、縄文人の皆さんがここで何らかのお祈りをしてたとか言われれば、それはそれで素直に信じられ感じではあるな。相方も、半ばヤケクソ気味にはしゃいでおったです。
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ビミョーな空気のままクルマに戻り、お次はキリストの墓。

ええっと、なんでも昭和10年に発見された土まんじゅうが、各種古文書を照らし合わせてみたら、なんとキリストの墓だと判明しちゃったそうだ。根拠もいくつかあって。

  • ここいらの土地名の「戸来」は「ヘブライ」からきている
  • キリストと結婚した娘さんの家の家紋が五芒星っぽい(実際は桔梗)
  • この村の盆踊りで唱えられる「ナキャドヤラー、ナニャドナサレノ、ナニャドヤラー」は古代ヘブライ語で「お前の聖名をほめ讚えん、お前に毛人を掃蕩して、お前の聖名をほめ讚えん」と訳せる
  • ……等々。

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    まあ、柔らかな苦笑を浮かべつつ。こーいうのを楽しんであげられる度量さえあ(ry

    どうやら実際にゴルゴタの丘で磔になったのはキリストの弟、イスキリさんだそうで、難を逃れたキリストはシベリア経由で八戸に上陸し、この村で余生を過ごした。

    ピラミッドもキリストの墓も眉ツバどころか、ハッキリ言ってギャグなんだけど、野暮なことは言いっこなし。なんというか、青森というところは非常に、いろんな意味でいろんなものが「深い」んだなあ。個人的にココに来たのは2回目だが、たぶん、おそらくは、もう来ることもない……と……思う…。

    ちなみに、ここいら一帯(ピラミッド〜キリストの墓あたり)は「ナニャドヤラ廻道」ということになってるのね。がんばれ。

    じゃあ、大事なことなので二度言います。青森は、深い。

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    酸ヶ湯〜誰が混浴を殺したか

    午前8〜9時の女性専用タイムを狙って、酸ヶ湯へと向かう。蔦温泉からは車で30分もかからないんだけど、朝メシをゆっくり食い過ぎたせいで、到着したのはジャスト9時でアウト。

    さすがにフル混浴だと気後れするかと、相方に「どうする?」と問うと、「たぶん大丈夫」との頼もしい答え。それじゃあ行くぜと、いざ千人風呂へ。

    酸ヶ湯に来たのはは10年ぶりくらい。なんか綺麗なフロントができてた。そそくさと服を脱ぎ、千人風呂へ。

    中は相変わらずの広さ。休日とはいえ朝なので、さすがに人は多くなかったが、なんだか違和感がある。なんだろう……といぶかしみつつ、掛け湯をして湯船につかる。

    酸ヶ湯のヒバ千人風呂には大きな湯船が2つと、打たせ湯がある。湯船はヘリの中央部分に小さな標識があって、脱衣所の位置と同じく向かって左が男、右は女と書いてある。要するに、湯船の中で男女のエリアがなんとなく決まっているわけだ。

    これは確か、前からこのスタイルだ。だがさっきから感じていた違和感の正体は、じつは「仕切り」にあった。文章だとうまく説明できないので、酸ヶ湯の公式サイトから画像を拝借して加工。緑の部分がそれ。

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    こんな感じで、高さ1〜1.2mくらいの仕切りが、女性の脱衣所から奥の湯船まで設置されていたのだ。確かにこれなら、湯船に入る直前まで身体を見られることはない。しかし……なんだろう、この気持ちの悪さは。

    酸ケ湯温泉「混浴文化」の危機?(asahi.com)

     湯気で曇るのにメガネをかけて洗い場で待ったり、ワニのように湯船にじっと身を沈めて顔を出していたり。浴槽を矢印で「男」「女」と分けているが、お構いなしという男性も。
     酸ケ湯温泉に通って25年という青森市の織田英子さん(73)は「女湯に来ていた男性に注意したら、『これがよくて入っているんだ』と怒鳴られ、怖い思いをした」と話す。
     同温泉の広報担当の山形太郎さん(35)も「湯治という本来の目的から大きくはずれている」と嘆く。
     女性客からのクレームが頻繁になったのはここ5年ほど。だが、マナー違反は実はずいぶん前からあるという。

     5年前に浴槽を塀で隔て、「男女別浴」としたところ、今度は長年の愛用者の方から「酸ケ湯らしさが失われた」と苦情が寄せられ、4カ月後に撤去するドタバタ劇も起きた。

    さすがに浴槽を仕切るのはナイよなあ。でも裏を返せば、そこまで追いつめられてるってことか。で、現在の、湯船までは仕切りを設置、ってところに落ち着いたのだろう。

    「そんなモン、とっぱらっちまえ!」とまでは言わない。ウチの奥さんも、ちょっと緊張してたそうだが仕切りのおかげで全然気にならなかったとは言っていたし、妥協点としては普通にアリなのかもしれない。

    結局、一部のヘンタイのツケを払わされるのは、いつだって大多数のノーマルな人たちだ。ケータイカメラのシャッター音が消せないのも、女性専用車両も同じ。ただただ情けないだけである。

    上でリンクしたasahiの記事はいつまで生きてるかわからないけど、「湯あみ服」ってのもどうかなあ。これ着てたおばちゃんが1人いたけれども、「そこまでするなら男女別の内湯行けよ」って思うんだよね……。いずれには水着着用になってしまうんではなかろうか。

    と、文句タラタラなわりには、けっこう長いこと入ってたな。飲泉させて「すっぱ〜」のお約束も。相方は、殿方たちの視線にもめげず、意外と堂々としてたので感心。むしろ、おばちゃんたちのほうが、仕切りの向こうでモジモジしてるのが多かったりして笑った。

    とにかくお湯は最高。というか、ここでしか味わえないオンリーワンである。だからこそ、あの独特の風情は失ってほしくないんだよなあ。「酸ケ湯温泉混浴を守る会」の皆さんには、ぜひぜひがんばって頂きたい。

    蔦沼をめぐる@蔦温泉

    初日の宿は、もちろん蔦温泉に取った。

    着いてみてビックリ。山の中にポツンとある、ひなびた温泉宿だと思っていたのだ。これが大きな勘違い。

    もっとも、dai君から「本館は古い建物で雰囲気があるけれど、その隣に近代的な新館がおっ建ってるよ」とは聞いていた。だが、よもやこれほどまでとは。

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    いや、雰囲気ブチ壊しとかではなくて、単純に規模が大きいんですよ。想像してたよりも、デカい。広々とした駐車場に、車や観光バスがいっぱい止まっている。おまけにちょうど、30人くらいの韓国人の団体客とかもいて、目がテンである。韓国や台湾の人は沖縄や北海道が大好きとは知っていたけれど、こんな東北の山の中の温泉宿にまでやって来るとは、目の付けどころがシブすぎるぜ。

    ちなみに宿自体、とても佳いです。なんといっても、やはり風呂。

    よくある温泉の浴槽とはちがって、湯船の底、敷き詰めたブナ板の隙間からコポコポとお湯が湧いてくるのです。たまに空気が混ざったりして。古くからある内風呂のほか、新しめの内風呂も同様で、相当なこだわりがある様子。

    メシも美味し。山菜や舞茸など豊富な山の幸に、青森特産のシャモロックの鍋が付いてきてたな。あと当然、イワナの塩焼き。新館の部屋は、水回りもすこぶる清潔で女性ウケもよさそうです。相方も大絶賛しておりました。

    翌朝は早めに起きて、宿の周囲にある蔦沼をぐるっと一周。いくつかの沼をつなぎつつ1時間ほど歩いたけれど、これがまたイイ感じのブナの森。ちょうど、トチの実がいっぱい落ちてて、拾いながら。

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    やっぱ東北の森はええのぅ。

    新渡戸稲造と"武士道"

    こどもの頃、紙幣の肖像が切り替わったとき、夏目漱石や福沢諭吉は知ってるけど「新渡戸稲造」って誰? とは多くの人が思ったのではなかろうか。

    十和田に行ったついで……と言ってはナニだが、町外れにある「新渡戸記念館」にも足を伸ばしてみた。

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    知らなかった。十和田市とは、新渡戸稲造の祖父・新渡戸傳(にとべつとう)という人が開拓した町だったのね。もともと茶屋が数件しかなかった三本木原と呼ばれていたエリアに、灌漑用水として稲生川を作るわけなんだけど、その土木工事がすさまじい。完成したのは1859年。お江戸の時代に約4年の歳月をかけて、人工河川を作ったのだ。

    新渡戸傳は南部盛岡藩にいたんだけど、藩が与えてくれた予算だけでは足りず、私財まで投じたとか。それで新渡戸家は、十和田市民にとっては特別な存在なんだそうだ。

    以上、新渡戸記念館の資料のパクりです。記念館自体は、こじんまりとした佇まいだったけれど、新渡戸ファミリーの歴史はもちろん、十和田市ができるまでのこと、そしてもちろん稲造コーナーも充実しており、なかなかの見応えですぞ。イサム・ノグチの手による、新渡戸稲造のレリーフなんかもあった。

    新渡戸稲造は、「BUSHIDO」を書いた人として有名だよね。さすがにオイラもそれくらいは知っていた。でも、読んだことはないんですよ。英語で出版されて世界中でベストセラーになったそうだけど、外国人の学者に「キリスト教のような宗教がなかったら、どのように道徳を教えられるのか」と問われたのが執筆のきっかけだったらしい。

    それで思い出したのが、関川夏央+谷口ジローの名著、「坊ちゃんの時代」シリーズの第二巻、「秋の舞姫」。この中で、ドイツ留学中の鴎外森林太郎がナウマン象で有名なナウマン博士に食って掛かるシーンがある。ちょっと長くなるけど、抜粋させて頂く。

    「日本は急速な西欧化を目論んでおる。その意気やよし、知識欲やよし。しかし残念ながら日本は西欧化近代化の基礎となるべきキリスト教文化を欠いておる。(中略)わたしは断言する、日本が西欧と肩を並べる日はついに来たらず」と語るナウマン。さらには日本人を猿にたとえ、その努力によって優秀な猿にはなれるだろうが、とうてい人間たり得ないとするナウマンに対して、鴎外がキレる。

    「日本には古来、武士道があります。武士道は信と義との結晶です。道徳(モラル)です。ゆえにクリスチャニティを必要としません。(中略)我々は、数千年心性を鍛えぬき、いま西欧の覇道から身を避けるためにたかが数百年の洋智を学んでいるのです」

    さらには日本人はよく恥辱を忍ばない、前言の訂正なくば決闘を、と迫り、ついにはナウマンに謝罪させる。


    おそらくこの場面は関川夏央による脚色ではなかろうか。実際に、鴎外とナウマンがドイツの新聞紙上で論争を繰り広げたという史実は、ちょこっとググるといくつか出てくる。

    だが、実際に鴎外が噛み付いたナウマンの発言としては、「仏教は女性を認めていない」的なニュアンスに対してであり、鴎外が武士道を引き合いに、ゆえに日本はクリスチャニティを必要とせず、としたという内容は見つからなかった。

    あくまでも個人的な想像だけれど、関川夏央は新渡戸稲造とBUSHIDOのエッセンスを、鴎外に落とし込んだのではなかろうか。奇しくも、森林太郎も新渡戸稲造も1862年生まれであり、同じく1884年に海外へと留学している。なんたる偶然。とはいえ、当時の両青年の気概に共通したものがあったことは想像に難くない。

    なお、鴎外は「舞姫」にあるようにエリスとは破局したが、新渡戸稲造はアメリカ人のクェーカー教徒であるメリー夫人(日本名は萬里)を娶った。

    長くなったついでに、「坊ちゃんの時代」シリーズでは重要な位置を占める「大逆事件」について、新渡戸稲造にも面白いエピソードがあるのね。

    徳富蘆花という人がいて、この人は「不如帰」を書いたりしたんだけど(ついでに言うと、京王線の芦花公園駅は、徳富蘆花の旧邸だったりもする)、1910年の大逆事件後、旧制第一高等学校にて「謀叛論」と題した講演を行い、多いに天下国家を批判。学生たちの喝采を浴びた。じつはその場所を提供したのが、当時一高の校長だった新渡戸稲造。

    このことが当局に問題視され、なんと新渡戸稲造は一高の校長をクビになってしまうのですね。大逆事件については、明治の知識階級に計り知れない衝撃を与えたというけど、おそらく新渡戸稲造も、あまりにもあからさまな判決(無関係な人も含めて24人に死刑宣告)に対して批判的だったのでしょうなあ。

    大いに脱線しまくりですが、ちょっとBUSHIDOを読んでみなくてはなあ、と思った次第。とりあえず、新渡戸記念館で軽めの解説書を購入したけれど。

    いやはやそれにしても、明治人は本当にすごいよ……。

    十和田市現代美術館でアートを愉しむ

    今回、再度北東北を訪れた理由のひとつが、ココ。

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    相方の仕事の関係で、どうしても来る必要があったわけです。以前、品川キヤノンのオープンギャラリーでの写真展について書いたこともあるけど、写真家の岩木登さんが、これまでの作品を集めた展示会を開催するというので、日程を合わせて来訪したのでした。

    この、十和田市現代美術館は、(相方の受け売りによると)ひとことで言ってしまえば「まちおこし」らしい。昨今、さまざまなタイプのまちおこしが見られるけど、「美術館を作る」というのは箱モノ系としては意外とお金もかからないそうで。もちろん文化貢献みたいな視点でも地域の理解を得られやすいもんね。

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    とはいえ、どんな美術館を作るのかってのが重要で、資金面からいっても、海外の有名アーティストの、何億もするような作品は集められません。そこで暗躍(?)するのがコンサル系の人々で……って、あんまりこういうこと書くと興ざめだけど、例えば建築家は金沢21世紀美術館を手がけた西沢立衛だったり、オノ・ヨーコの作品があったりするわけです。

    能書きはともかく、入場して最初の展示室にある「スタンディング・ウーマン」にド肝を抜かれる。


    公式サイトより。左側はリアルな人間。Standing Woman/Ron Mueck

    いわゆるコンテンポラリー・アートって、どこか斜に構えてたところがあったけど、なるほど面白い。もちろん館内は撮影禁止なんで、詳しく紹介はできないんだけれど、他の常設展示もなかなかのモノ。ついつい、「へ〜」だの「ほぉ〜」だのといった感嘆の声を漏らしてしまう。

    ひととおり常設展を見たところで、岩木登写真展「原生の鼓動+」をじっくり鑑賞。

    もう何度か見ている写真も多いのだけど、大判プリントされた南八甲田の源流風景は、とにかく圧巻。幸運にも、岩木さんとお話もできた。来場者の対応に忙しそうだったので、「松見の滝の上にはイワナはいるんでしょうか?」と質問できなかったのはオレの弱さである。うーむ。

    十和田市現代美術館は、現在も拡張工事中。道の向こうには、遠目にも草間弥生っぽいオブジェがw

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    この美術館だけを目当てに行くってのは万人にお勧めできるものではないが、周辺の観光などと絡めて訪れるのならアリではなかろうか。前回のエントリにも書いたが、お祭り中だったとはいえ、街中はいわゆるシャッターストリート状態。こういう地方都市には、もっと活気づいてほしいなあ。

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    次回は、この十和田市そのものに大きく関わった一族、そして5000円のアノ人の話。

    吉兆@十和田のバラ焼き定食

    八戸でレンタカーをピックアップし、まず向かったのは十和田市。まずは腹ごしらえをと、十和田名物のバラ焼きを食べることに。

    ここでいうバラ焼きというのは、基本お馬さんの肉。店によっては豚肉を使うところもあるようなのだが、そこは明確に「豚のバラ焼き」と書いてある。全国のB級グルメを集めたB1グランプリにもノミネートされているらしい。

    昼時だというのに、十和田の街中はどうも閑散としている。ちょうど大きなお祭りがあるようだったが、それにしても街に活気がなさすぎる。目当ての店、「吉兆」にはのれんがかかっていたのでホッとしたけれど。

    テープルにはコンロが設置されていて、バラ焼き+さしみ定食を頼むと、たっぷりのタマネギとピーマンといっしょにドカッと馬肉が乗った鉄板がやってくる。2人前とはいえ、けっこうなボリュームだ。こげやすいから、よくかきまぜながら弱火でね、とアドバイスされ、早速いただく。

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    馬肉は、独特の風味がある。臭みではなく、風味ね。また脂身も牛なんかと比べるとサラッとしていて、非常に食べやすい。B級グルメだなんてとんでもない。東京にあったら、絶対に繁盛するんではなかろうか。肉汁を吸ってしんなりしたタマネギが、また美味いことよ。馬刺も、あっさりしてるわりにはコクがあり、まるで上質なマグロの赤身のよう。この店を発見してくれたjitai君に感謝。

    隣接する馬肉専門店が経営していて、小売りもしている。どうやら十和田では一般家庭でも普通に馬肉を食べるようだ。例えばバラ焼き用の肉が、1人前300円ほどで販売されていた。こうした素性のいい肉は限りがあるだろうし、やはり大規模で展開ってのは難しいのかもしれないなあ。

    ふたたび北へ

    諸般の事情があり、八戸へと向かう車中から更新中。一部の人々から「またかよ!」とお叱りを受けそうだか、世の中には自分の思惑など遠く及ばない状況というものがあるのですねぇ。

    取り急ぎ、何を言いたいかというと、週刊現代の最新号のグラビアが、とにかく(・∀・)イイ!! のですね。

    最近、このテの週刊誌を面白いと感じるようになってきた。その一方で、あれほど好きだった週プレなんかは、手にとっても欲求不満なことが多い。

    これはアレか。若い頃はコッテリ系のラーメンが好きだったのに、今じゃアッサリしょうゆ派、みたいなことか。そういや最近は歴史小説なんかにも手を出してるし、清く正しい中年男になりつつあるということなのだろう。

    八戸まではまだ遠い。着いたらクルマを借りて、まずは十和田で馬肉のリサーチである。やれやれ。