『カレチ』を読んだ。これは素晴らしい仕事。

年を取ったせいか、「遅咲き」という言葉に以前に増して敏感に反応するようになった。

そういえば最近、やたらと映像化されてるけど、松本清張もデビューは41歳と遅咲きだ(山県先生もおっしゃってましたね)。

そんなわけで、初めてモーニング誌上でこの人の作品を読んだとき、「ああ、これは同世代周辺に違いない」と思ったものだが、実際、作者は1965年生まれだという。2008年末がデビューとなるので、43歳で世に出たことになる。かなりの遅咲きだ。

鉄道の客室乗務員が主人公という意味では「鉄系」となるのだろうが、実際は時代設定が昭和ということもあり、ノスタルジックな人情モノという感じ。

でね、これが泣かせるんですよ。ヘタウマっぽいタッチも相まって、じつにしみじみとした佳いマンガです。年齢や経験を重ねた者にしか出せない味が、しっかり出ておりますよ。

安易にドラマ化・映画化とかされそうな不安もありますが、大いに話題になってもらいたい、そんな作品に久しぶりに出会いました。

『野村ノート』を読んだ

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文庫化されたのを機に、手に取ってみました。

いやー、正直ここまで面白いとは思っていなかった。今年、各局がこぞって取り上げていた「ボヤキ」は個人的にはあまり好きではなかったが、そういった要素もありつつ、とはいえ事細かに展開される打撃理論や投球理論については、なるほどと唸る部分も多く、非常に参考になりました。

何度か書いているけれど、彼を南海時代から追いかけてきた身としては、ダークな面もよくわかっているつもりだし、ロッテに行ったり西武に行ったり、そんでもって引退したりといった一連のドタバタも含めて好意的に見ているのですが、そういったひいき目を差し引いても、野球ファンであれば読んで損はないと断言します。

あ、某在阪球団に移籍した彼も、これは意地を張らず読んでおいた方がいいと思うなあ(棒読み)。

『津軽百年食堂』のこと

いまや、大衆食堂は絶滅しつつある。

特に都会では、ファミレスや大戸屋は人気だけれども、いわゆる「食堂」は年々減っているような気がする。高田馬場や早稲田、神保町といった学生街でも、学生時代に好きだった食堂のほとんどが、その姿をとどめていない。

青森には、10件もの「津軽百年食堂」があるという。これにはきちんとした定義があり「三世代、70年以上続いている食堂」だそうだ。最近ではその名もズバリ『津軽百年食堂』なる小説も出ていて、ちょっと気になっていたので読んでみた。

内容はというと、明治から続く津軽地方の食堂を舞台にした人情モノ。ひとことで言えば、イイ話。つるっと読めちゃいます。個人的には、登場人物にJ POPなぞを語らせるところに軽く苛立ちつつも(笑)、なかなか面白く読めました。桜の時期の弘前、行ってみたいなあ。

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あと津軽蕎麦が食いたくなるね。「鰯の焼き干し」で出汁を取ったかけそばタイプで、つなぎが大豆。東京のそれとはまったくの別物らしい。津軽蕎麦を筆頭に、青森の食文化については『美味しんぼ』の第100巻にもまとまっています。日本全県味巡りの青森編。

なお巻末に、10件の実在する「津軽百年食堂」のリストがあり、「フ〜ン」と眺めていたところお茶を吹きそうになった。この夏訪れた、黒石駅前のアノ店が掲載されているではありませんか!

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あまりの屋根のゆがみっぷりに( ゚д゚)ポカーンとしたのよね。

自然にこうなったのか、それとも除雪を考慮した確信犯なのかはわからないけど、一見さんには敷居が高いオーラを出しまくっていたこの店、すごう食堂は、兄妹姉妹で切り盛りしていて化学調味料を一切使わない、昔ながらの優しい味わいなんだそうで。なるほど、見かけで判断してはイカンということですかね。もしまた黒石に行くようなことがあったら、暖簾をくぐってみよう。

それにしても、親子三代にわたって通えるような食堂が今も健在だなんてこと、考えてみたらこれほど素晴らしいことはないねぇ。後継者問題なんかもあるんだろうけど、頑張って頂きたい。

またしても青森の底力を見せてもらったぜ。あ、『津軽百年食堂』ですが、映画化も決定してるそうで。2011年春公開だとか。キャストはどうなるんかな〜。

個人的には食堂といえば、やはり学生街。嗚呼、叶うことならば「キッチンカナリヤ」のスタライ(生)、「カレーのふじ」のスペシャルドライカレー、「甘楽」のチキンミートが食べたいっ!!

仕方がないから、近いうちに三品に行ってみるかな。

新渡戸稲造と"武士道"

こどもの頃、紙幣の肖像が切り替わったとき、夏目漱石や福沢諭吉は知ってるけど「新渡戸稲造」って誰? とは多くの人が思ったのではなかろうか。

十和田に行ったついで……と言ってはナニだが、町外れにある「新渡戸記念館」にも足を伸ばしてみた。

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知らなかった。十和田市とは、新渡戸稲造の祖父・新渡戸傳(にとべつとう)という人が開拓した町だったのね。もともと茶屋が数件しかなかった三本木原と呼ばれていたエリアに、灌漑用水として稲生川を作るわけなんだけど、その土木工事がすさまじい。完成したのは1859年。お江戸の時代に約4年の歳月をかけて、人工河川を作ったのだ。

新渡戸傳は南部盛岡藩にいたんだけど、藩が与えてくれた予算だけでは足りず、私財まで投じたとか。それで新渡戸家は、十和田市民にとっては特別な存在なんだそうだ。

以上、新渡戸記念館の資料のパクりです。記念館自体は、こじんまりとした佇まいだったけれど、新渡戸ファミリーの歴史はもちろん、十和田市ができるまでのこと、そしてもちろん稲造コーナーも充実しており、なかなかの見応えですぞ。イサム・ノグチの手による、新渡戸稲造のレリーフなんかもあった。

新渡戸稲造は、「BUSHIDO」を書いた人として有名だよね。さすがにオイラもそれくらいは知っていた。でも、読んだことはないんですよ。英語で出版されて世界中でベストセラーになったそうだけど、外国人の学者に「キリスト教のような宗教がなかったら、どのように道徳を教えられるのか」と問われたのが執筆のきっかけだったらしい。

それで思い出したのが、関川夏央+谷口ジローの名著、「坊ちゃんの時代」シリーズの第二巻、「秋の舞姫」。この中で、ドイツ留学中の鴎外森林太郎がナウマン象で有名なナウマン博士に食って掛かるシーンがある。ちょっと長くなるけど、抜粋させて頂く。

「日本は急速な西欧化を目論んでおる。その意気やよし、知識欲やよし。しかし残念ながら日本は西欧化近代化の基礎となるべきキリスト教文化を欠いておる。(中略)わたしは断言する、日本が西欧と肩を並べる日はついに来たらず」と語るナウマン。さらには日本人を猿にたとえ、その努力によって優秀な猿にはなれるだろうが、とうてい人間たり得ないとするナウマンに対して、鴎外がキレる。

「日本には古来、武士道があります。武士道は信と義との結晶です。道徳(モラル)です。ゆえにクリスチャニティを必要としません。(中略)我々は、数千年心性を鍛えぬき、いま西欧の覇道から身を避けるためにたかが数百年の洋智を学んでいるのです」

さらには日本人はよく恥辱を忍ばない、前言の訂正なくば決闘を、と迫り、ついにはナウマンに謝罪させる。


おそらくこの場面は関川夏央による脚色ではなかろうか。実際に、鴎外とナウマンがドイツの新聞紙上で論争を繰り広げたという史実は、ちょこっとググるといくつか出てくる。

だが、実際に鴎外が噛み付いたナウマンの発言としては、「仏教は女性を認めていない」的なニュアンスに対してであり、鴎外が武士道を引き合いに、ゆえに日本はクリスチャニティを必要とせず、としたという内容は見つからなかった。

あくまでも個人的な想像だけれど、関川夏央は新渡戸稲造とBUSHIDOのエッセンスを、鴎外に落とし込んだのではなかろうか。奇しくも、森林太郎も新渡戸稲造も1862年生まれであり、同じく1884年に海外へと留学している。なんたる偶然。とはいえ、当時の両青年の気概に共通したものがあったことは想像に難くない。

なお、鴎外は「舞姫」にあるようにエリスとは破局したが、新渡戸稲造はアメリカ人のクェーカー教徒であるメリー夫人(日本名は萬里)を娶った。

長くなったついでに、「坊ちゃんの時代」シリーズでは重要な位置を占める「大逆事件」について、新渡戸稲造にも面白いエピソードがあるのね。

徳富蘆花という人がいて、この人は「不如帰」を書いたりしたんだけど(ついでに言うと、京王線の芦花公園駅は、徳富蘆花の旧邸だったりもする)、1910年の大逆事件後、旧制第一高等学校にて「謀叛論」と題した講演を行い、多いに天下国家を批判。学生たちの喝采を浴びた。じつはその場所を提供したのが、当時一高の校長だった新渡戸稲造。

このことが当局に問題視され、なんと新渡戸稲造は一高の校長をクビになってしまうのですね。大逆事件については、明治の知識階級に計り知れない衝撃を与えたというけど、おそらく新渡戸稲造も、あまりにもあからさまな判決(無関係な人も含めて24人に死刑宣告)に対して批判的だったのでしょうなあ。

大いに脱線しまくりですが、ちょっとBUSHIDOを読んでみなくてはなあ、と思った次第。とりあえず、新渡戸記念館で軽めの解説書を購入したけれど。

いやはやそれにしても、明治人は本当にすごいよ……。

『関の弥太ッぺ』これはいい仕事だ!!

小林まことがイブニングに連載していた『関の弥太ッぺ』が、単行本になったので買ってきた。連載時は「なんでまたこんなシブい話を!?」と思ったりしたものだが、こうして一冊にまとまったものを読むと、いや〜面白い。名作ですわ。

原作は、長谷川伸。といっても、21世紀となった現代では知らない人のほうが多いんじゃないだろうか。いわゆる「股旅モノ」の創始。瞼の母やら一本刀土俵入りやら沓掛時次郎やら、数々の名作を生み出した、大衆娯楽の神様のようなお方だ。

そのペーソスは、狩撫麻礼作品なんかにも随所に見られるわけで、私もボーダーなどをきっかけに、長谷川伸の世界にハマったクチだ。市川雷蔵主演の『沓掛時次郎』なんかは、DVDまで買って何度も見たものです。

義理に人情、そして愛。今風に言えば「ほっこり」なんですかね? いや違うか……。

それはともかく、あとがきなんかを読むと、小林まことは本当に長谷川伸の世界に心酔していて、ストーリーなんかも、時に微妙に、時に大胆に手を入れてるんだけど、それがことごとく成功している。過去の小林作品の登場人物を使ったスターシステムなんかもよい。猫のマイケルもいい味出してる。

さりげなく、番場の忠太郎が登場するあたりも泣かせる。次回作は、真打ちとも言える「沓掛時次郎」らしいんだけど(2009年冬に連載スタートとの告知アリ)、こりゃ間を置かず「瞼の母」にも取りかかるに違いない。

小林まことは、確かに一時代を築いた漫画家だが、近年はさしたる成果もなく、「終わった」感さえあった。それが、こうして入魂作を世に出すというのは、本当にすごいこと。おかげで、すこぶる幸せな気分になれた。間違いなくいい仕事である。

それにしても長谷川伸、これをきっかけにリバイバルでもしないものかね。ハリウッドあたりが目をつけてもよさそうなものだが。

『マタギ』を読んだ、これはすごい本だ

数日前に書いた、『ぼくは猟師になった』もなかなかだが、この本のインパクトは別次元。著者はカメラマン。森吉は阿仁のマタギに密着取材し、その営みのすべて、とは言わないまでも、ひととおりを撮影し、一冊にまとめ上げた。

とりわけ、「熊のけぼかい」は白眉。写真として見たのは初めてだなー。要するに解体なのだが、マタギの作法にのっとったその一部始終が、カラーで紹介されている。

個人的には海外でヤギの解体を見たことがあるが(イスラム国だったので、それなりの作法・儀式はあった)、気の弱い人であれば卒倒しかねない内容。だからこそ、この本が出版されたことは非常に意義があるとも言える。命をいただくというのは、こういうことなのだ。

熊のけぼかいから始まり、ウサギ猟、イワナ釣り、キノコや鍛冶などを経て、再び、今度は山中でのけぼかいが紹介される。amazonなんかを見ると評価も高いし、それにどうやら意外と(失礼)売れているようで、世の中もまんざら捨てたものではない。

著者や編集者の心意気が感じられる。素晴らしい本であり、仕事だ。

『ぼくは猟師になった』を読んだ

「狩猟」本がちょっとしたブームらしい。その火付け役とも言える本。

著者は京都に住む33歳の猟師。といっても、定職には就いているので「兼業猟師」なのかな。銃は使わず、おもにワナによってシカやイノシシを捕える。そのワナの解説なんかも面白いのだが、衝撃を受けたのが、いわゆるシメ方。なんと、「鉄パイプでどつく」という。

う〜ん、すげ〜。

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ひとくちに「ワナ猟」といっても、そこには自然を相手にした極限の創意工夫が凝らされていて、そういった記述も面白いし、なによりためになる。「自分で食べる肉は自分で責任を持って調達する」とあるのが好感度高し。単なる趣味とかではなく、生活のための猟なのだ。

さらには、チマタにおけるイノシシ肉などはまがいもの(そうは書いてないけど)、捕獲後にきっちり血抜きをして適切に処理されたイノシシ肉はまったく臭みがなく、じつに美味いという。うぅぅ、食いてえ。お友達になればご馳走してもらえそうなのだが、この本を読み終えたらむしろ、自分も猟師になりたいと思ってしまった。ついつい、東京都猟友会の多摩支部なんかを調査。ふむふむ。やる気さえあれば、意外と大丈夫かも?

それはそれとして、「イノシシ下ろすんで遅刻します!」が許される会社とは、なんてステキなんでしょう(笑)。

山野井夫妻

訳あって、山野井泰史・妙子夫妻についての本とDVDを立て続けに。

「凍」沢木耕太郎著
「白夜の大岸壁に挑む」NHKエンタープライズ

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「凍」は、ヒマラヤの高峰・ギャチュンカンに挑んだ山野井夫妻のノンフィクション。登頂こそ果たしたものの、下山時に雪崩に巻き込まれ、標高7000m以上でのビバークを余儀なくされる。夫婦で計28本もの指を失ったというその帰還の詳細は壮絶という他ないが、何しろ沢木耕太郎の筆が冴えまくっている。近年の、沢木耕太郎の本の中ではダントツに面白いのではないか。題材に依るところも大きいんだろうなー。

「白夜の大岸壁に挑む」は、NHKで放映されたドキュメント。ギャチュンカンからの奇跡の帰還を果たしたふたりが、グリーンランドにある、高低差1300mの大岸壁に挑戦する。指がほとんどないなか、ギアに工夫をこらし、実際に登攀していく様子を、NHKのクルーたちが相当がんばってフィルムに収めている。いやもう、「変態」のひと言。もちろんホメ言葉である。

山野井泰史さんは、昨年、奥多摩で熊と格闘したことでも記憶に新しいが、blogなどで見る限り、経過も順調のようだ。それにしても、夫婦揃ってすごい日本人がいたものだ。

『1Q84』を読んだ

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事前のインフォメーションを極端に制限したことでも話題の、村上春樹の最新長編。なんと発売日前には増刷がかかるという異例の事態。やはり先日の、壁卵の演説も効いているのだろうなあ。

さて、たぶん私はいわゆる「信者」ではあるんだけど、この作品が世の中に広く好意的に受け入れられるかといえば、やや疑問。もちろん、いい意味で非常に村上春樹的だし、個人的には大いに楽しんで読むことができた。読後感もよく、ひさしぶりに昔の作品を再読しようかなあとも思っている。

とはいうものの、なんというか、ある程度の「免疫」がないと、相当キツいんじゃないかなあ。少なくとも、あまり村上春樹作品を読んだことのない人が手を出すべきではないと思う。話題先行なだけに、「え〜、何コレ!?」的な反応をする人が、けっこういそうな気がする。とまあ、そんなハナシを、村上作品はノルウェイの森しか読んだことがないという職場の女の子に今日したわけです。

そういえば、ノルウェイの森が映画化されるんだってね。松山ケンイチと菊地凛子だそうだ。……な、なんというか、これまた強烈な燃料投下になりそうだ。2010年秋公開。

そうそう、菊地凛子といえば、やっぱコレだよね!

yosiko1 ガムをどうぞ(byマサ)

yosiko4 代打よしこ

エスクァイア最終号

日本語版の創刊は22年前というから、ちょうど高校を出て東京に出てきた頃だ。そう思うと、なんだか不思議な感じがする。

いまも出版業界の片隅にいるが、駆け出しの頃、カメラマンの車の助手席に乗っていたある日。「そこのビル」とアゴで指され、「エスクァイアを作ってるUPUっていう会社が入ってるんだよ」と教えてもらったことがある。

あんなカッチョいい雑誌を作ってるのはどんな編集部だろう、そもそも、どんな人たちがやってるんだろう。その場所が当時、自分が住んでいた街でもあり、また超絶な貧乏時代だったこともあり、なんとも自虐的な気分になった。だから今も覚えている。

財務的な状態はどうだったかしらないが、エスクァイアには圧倒的な「成功」のイメージがある。当時業界にいた編集者も、カメラマンも、自分のような末端フリーの人間も、うまいことしてやがるなあ、単なるアメリカ版のコピーじゃねえか、などと嫉妬に満ち満ちた目を向けつつ、ココロのどこかでは単純にうらやましかったはずだ。「ああいう仕事、いいよなあ」とは、口には出さずとも、みんなどこかで共有していた意識だったと思う。

時代は変わる。いまここで、紙メディアの終焉なんて話はしたくないが、少なくとも最終号(名目上は休刊だが)にしてこの出稿量は、例えは悪いが、老衰し、体中に管が刺さって死を迎えた媒体では決してない。颯爽と立ち去っていくニヒルな老人のようだ、とまで言ってしまっては大げさか。

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改めて見ると、本当にいい雑誌だ。いい雑誌すぎるからこその、この結末なのかもしれない。

こんな贅沢なメディアは、しばらく出てこないように思う。

『横浜 vs PL学園』を読んだ

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いろんな意味で、高校野球はその定義を考え直す時期に来ていると思う。朝日と毎日が牛耳る利権構造、越境入学、学園ビジネスetcetc….

とはいえ、選手たちが繰り広げる試合そのもにには罪などない。そういう意味での極北ともいえるのが、松坂擁する横浜とPLの、1998年夏の甲子園準々決勝だろう。

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横浜 00022001001000012|9
PL 03010010001000010|7

このスコアだけ見ても、試合の壮絶さがよくわかる。

大会屈指の好投手、松坂から3点を先制したPL。そこから追いつき、勝ち越されはするが追いつく横浜。延長に入って、2度勝ち越しする横浜に追いすがるPL。

たまたま書店で『横浜 vs PL学園』を手に取った。朝日の記者たちが根気よく取材した成果が、試合の面白さと相まって、じつに読ませる。確かに松坂という「抜けた」存在はあった。17回を投げ抜いた彼は、本当にバケモノだったが、じつはベンチも含めた総力戦だったのだねえ。

『定本 宮本から君へ』完結、いいマンガだが

これほど人に薦めるのをはばかられる作品もない。

<追記>
読む人によって完全に好き嫌いが別れる、マンガ界のドリアン、ホヤ、ドクターペッパー、あるいはラーメン二郎とさえいえる。

新井英樹は現役のマンガ家としては、最も好きな人。いずれ時間があったら他の作品も紹介したいのだけど、出世作とも言える、『宮本から君へ』が復刻。さらに、最終巻にはその後の主人公を描いたエピソードも収録されるというので、発売日に購入してきた。

ウン。いい感じのまとめ方。賛否両論あるかとは思うけれど、話題の書き下ろし後日談エピソードについては、私の読後感は決して悪くはない。むしろよい。エンターブレイン、グッジョブであります。

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思えばこのマンガが連載されてたのは、バブル真っ盛りの20年前。あまりにも暑苦しく、見苦しい主人公・宮本浩は、島耕作がイイ女とヤりまくってた頃の週刊モーニングの中でも、強烈な違和感を発していた。とにかくモノの考え方がウザい。「女子」には絶対に受け入れられない世界だ。島耕作と同じサラリーマンマンガなのに、まさに対極にあった。

タイトルや主人公の名前からして、エレファントカシマシからインスパイアされた感アリアリなのだが、マンガ自体も、エレカシっぽいんだよね。あ、エレカシって今じゃ爽やかなイメージかもしれないけど、もちろん当時の、5枚目アルバムくらいの感じです。

エンターブレインからは、これも名作の誉れ高い『ザ・ワールド・イズ・マイン』も復刻されている。相当なファンが担当してるんだろうけど、ついにはコミックビームでも新連載が始まるらしい。ほほぉ。

『ウォッチメン』を観てきた

アメコミ界の金字塔、ムーア先生のWatchmenを、300<スリーハンドレッド>のザック・スナイダーが映画化するというので、心待ちにしていたのです。いやー、堪能した!

●日本語版トレイラー


ナット・キング・コールのUnforgettableがバックに流れる中、コメディアンが殺されるシーンなどは失禁モノです。美しすぎる。あと、ロールシャッハ(英語読みだとロールシャックなんだね)がいいですねえ。あの猥雑な感じがマスクのCGと相まってタマランです。

よくぞ、あの世界をここまで忠実に再現できたなあ。さすが、300で湯気が出そうなガチムチ・スパルタンを描ききったザック・スナイダー。ワタシは、まだBlu-rayプレーヤーもハイビジョン対応テレビも持ってないけど、そのへんが揃ったら真っ先に買いたいと思ってるソフトが300なのです(一時期、某オンラインゲームでは”THIS IS SPARTA!!”が合い言葉でした!←意味不明)。そしてそのリストの2番目には、ウォッチメンが入ることが決定。劇場公開版は160分と長尺なんだけど、カットされたシーンなんかが入った完全版があるというウワサもあり、ヒジョーに楽しみ。

内容にサラリと触れておくと、ヒーロー活動が法律て禁止された世界が舞台となります。ピクサーのMr.インクレディブルを思い起こさせますが、あちらは「家族」がテーマ。ウォッチメンでは、パラレルなリアルワールドというか、ヒーローたちの活躍によってアメリカがベトナム戦争に勝ってしまったり、さらにはニクソンが法律を変えてまで3期目となる長期政権を敷いている1985年。米ソの冷戦による全面核戦争の危機が、まるで水でいっぱいになったコップのように影を落としている、そんな設定です。

しかし、現実世界に本当にヒーローなんてものがいたら、実際どうでしょう? マスクをかぶって町の警備? 正直、とってもうさんくさいです。腕が立つだけになおさら不気味。さらには、ヒーローって言ったって色んなヤツがいて、聖人君子系ならまだしもお色気系、マッチョ系、手段を選ばない系などさまざま。それゆえ、「ウォッチメンが町を見張るのはいいとして、いったい誰がウォッチメンを見張るんだ?(Who watches the Watchmen?)」というのが民衆の素直なキモチなわけです。

さらには、実験ミスにより、ホンマモンの超能力者、Drマンハッタンが生まれてしまい……とまあ、ワタシがくどくど書くより、作品の内容については優れたblogがいっぱいありますんで、そちらをリンクさせて頂きます。

今こそ読まれるべき傑作、『WATCHMEN』
http://blog.goo.ne.jp/biting_angle/e/2e1715a4c80033620ad772d354ff3286

というわけでこの映画、間違っても、「なんかおもしろそうだし」程度のノリでは見てはいけません。原作を知らない人はチンプンカンプンで、単なる支離滅裂なトンデモ作品にしか思えないはず。

だからといって、原作自体も相当難解なので、ページを行きつ戻りつ、何度か読み込まないとしっくりこないと思われます。しかも、B5変で464ページというボリューム。

さらにいま、映画公開ということもあって原作本がなかなか入手できない状況のようです。なので、もし興味があれば Amazonの「なか見!検索」で1章がまるまる読めるので、まずはそちらをどうぞ。日本のマンガに慣れてると、絵柄やコマ割りとか、生理的に受け付けないかもしれないけど……。

あ、運良く原作が手に入ったら、こちらのサイトがお勧め。

PlanetComics.jp出張版「ウォッチメン」特集サイト
http://planetcomicsjp-watch-the-watchmen.blogspot.com/

ま、万人向けじゃないのは事実だし、興行的な成功は日本では難しいだろうなー。私自身、この作品を知ったのは、仕事先のマニアックな方に教えて頂いたから。それまではアメコミなんてまじめに読んだこともなかったけれど、ちょっと見方が変わりました。まさに、目から鱗状態。今後、色々と手を出していくつもりです。

原作と映画、合わせれば、とにかく至福。おそらく数週間〜一カ月くらいは想像力フル稼働で楽しめます。連日、オカズなしでドンブリ飯状態ですよ。

我々が住む現実世界にあるさまざまな構図、起こり得る、あるいは起こり得た事態や、その結果あったかもしれない世界なんぞに思いを馳せるのも面白いでしょうし、単純に、平和や正義といった深いテーマについて考えてみるのもいいかもしれません。

最後に、映画でオープニングのタイトルバックに使われている映像があったので埋め込んどきます。第二次大戦中に結成されたヒーローチーム、ミニッツメンの面々の栄光と挫折、あるいは成れの果てが、あの名曲とともに。JFK暗殺の真相(?)や、気が狂ったヒーローが病院に運ばれたり、レズのヒーローが誰かに殺されたり。本編へと繋がる重要なシークエンスをこうしてまとめてあるあたりが、さすがのセンス。

『湯けむりスナイパー』ドラマ化ッ!

テレビ東京系列で4月3日からスタート。全12回。公式サイトはこちら。タモリ倶楽部の裏になるのかな? 録画するからいいけど。

この作品、おじさんたちの憩いの漫画誌、漫画サンデーで連載されていて、いまPart3が展開中。意外と息が長い。原作者のひじかた憂峰ってのは、要するに狩撫麻礼なんで、世界観は毎度おなじみな感じです。とりあえず原作のほうのリンク。

湯けむりスナイパー(初代シリーズ、全16巻)
湯けむりスナイパー 花鳥風月編(全2巻)
湯けむりスナイパーPart3(月イチ連載中)

一流の殺し屋が引退後、そのバイオレンスな過去を隠し、ひっそりと秘境の温泉宿で住み込みで働いているという設定。特に作中で、切った張ったがあるわけではない。その主人公の源さん、無口なくせに女にはめちゃくちゃモテる。ただし、セクシャルなシーンはあんまり出てこない。そのかわり、温泉宿らしく(?)女体盛りが頻繁に出てくる。

今回のドラマ化、いわゆるマニア筋にはたまらねーです。只野仁的な展開があると面白くなりそうだが、ここはひとつ、テレ東さんに頑張ってもらいましょう。

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源さんといえばコレよね。とりあえず元気よく「ウイッス!」

本放送に先駆けて、ちょうど今夜、番宣があるみたいです。

速報!緊急特番放送決定!4月1日(水)深夜0:43?
放送まで待てない! 「湯けむりスナイパー」の魅力を徹底解剖!

◎独特の作品世界に迫る!
知る人ぞ知る、カリスマ原作の正体が明らかに!
◎主役”遠藤憲一”の全貌に肉薄!
三池崇史・堤幸彦・原田眞人
日本映画界屈指の名監督が語るその魅力とは
◎「ウィッス!」×「イイネ!」
「湯けむりスナイパー」的音楽の魅力
クレイジーケンバンド横山剣が語る主題歌「山の音」

など濃密な内容でお送りします!
一足早く「湯けむりスナイパー」の濃密な世界をご堪能ください!

カリスマ原作の正体が明らかに……って、まさかご本人出ちゃうの??

決戦前夜

あぶさんが、ついに現役引退するそうだ。

思えば、私が初めてプロ野球というものを意識したのは、まさにこの漫画だった。ちょうど南海ホークスが強かった頃、ついでに言えば野村が現役で、キャッチャー兼監督というのにもシビレたものだ。小学生が、ビッグコミックオリジナルなんて読んでたわけだから、相当ませてたもんだ。

あぶさんといえば思い出深いエピソードがあって、日米野球で代打で出て、ホームラン打つっていう話。ベロベロに酔っぱらってバッターボックスに入る景浦に対して、アメリケンが「おいおい酔っぱらいかよ」みたいな反応を見せる中、見事豪快にスタンドイン。まあ、いつものパターンなわけですが。

そのとき、「オレは、お前らの吐くツバのほうが気に喰わない」みたいなセリフを呟くわけです。

いまになって冷静に考えてみると、酔っぱらって出場するほうもどうかと思うけれど(笑)、日本人のメンタリティをとてもよく現してると思う。

日本では、どんなスポーツでも、それを行う場、グラウンドや競技場に対しては、必ず畏敬の念を抱き、最大限の敬意を払うべし、と教えられる。だから野球少年はグラウンドに入るとき、帽子を取って一礼する。それくらい大事で、神聖な場所だという刷り込みがある。よく考えてみれば「甲子園の土」なんて、ただの土なのに、それが甲子園のグラウンドの土であるということだけで、そこらの花壇の土とは雲泥の差があるわけだよね。

最近だと、プロの国内選手でも、グラウンドにツバを吐いたりするシーンを見かけたりはするけど、見ていて、やっぱり気持ちのいいものではないよなあ。

何が言いたいかというと、韓国が勝ったからってマウンドに国旗を突き立てるなんてことは、日本人的なマインドとしては絶対的に許されざる行為なわけです。神聖なるグラウンドで何てことをするか、と。就中、マウンドで。だから、みんな腹を立てる。

だけども、ああいった行為に対して、何かが穢されたような気分になるのは日本人だけなのかもしれないね。平気でグラウンドにペッペペッペと唾を吐くアメリケンは、目の前でアレをされても、なーんも気にしないのかもしれない。だから、そんなことでイチイチ目くじらを立てなさんなよ、という人がいても、不思議ではない。

韓国は、普通に強い。ミスをしないし、長打もある。なにより、ピッチャーがいい。

例えば、マンガでいうところの「キャプテン」的な状態に、韓国はある。層は薄いものの、個々の努力や才能でカバーし、一流と言われるチームを撃破する。つまり、墨谷=韓国で青葉=日本。わかりにくいかw

そういった、マンガの世界では古典的なストーリーを、ずっと韓国に演じられてしまっている。彼らの日本戦に対しての気迫は、3メートルの位置で防具を付けさせてノックする谷口クン並みなのだ。

ただ真っ正面から受けるだけでは、そりゃあ負けてしまうよ。正々堂々と、自分たちの野球をやれれば勝てるとか言うのは、じつは相当な慢心なのかもしれない。勝つためには必死にならなければならない。セオリーにない奇襲、陽動、揺さぶり、とにかくイヤらしい攻め方をして、何でもやらなければならない。

世界中の価値観とは相反していたとしても、あの蛮行だけは絶対的に阻止してほしい。そのためには、勝つしかないわけなので、どうぞ頑張ってください、というお話でした。

朝、卵かけご飯にしようと卵を割ったら、双子だったぜ!

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それにしても、「最大5回当たる可能性がある」とか、なんぼなんぼでもまさかネ〜、って思ってたけど、本当にこうなるとはなあ。次回のWBCはもうちょっと考えてくださいよ。プエルトリコやベネズエラ、ドミニカとの試合を見てみたい!

おい、労働者諸君。

世の中に名言集の類い数あれど、これほどグッとくる本はなかなかない。

思ってるだけで
何もしないんじゃな、
愛してないのと
同じなんだよ。
愛してるんだったら、
態度で示せよ。

第45作「男はつらいよ 寅次郎の青春」

話題になったのはけっこう前だけど、職場の机を片付けてたらポロッと出てきた。『人生に、寅さんを。』である。

私はきちんとした寅さんウォッチャーでもなければ、劇場で観たことなど一度もない、たまに金曜ロードショーとかその類いで、ボケーッと観てただけだ。熱心なファンでもないのに、とにかくココロに響く。

構成がうまい。渥美清の写真に、ひとつのフレーズ。それが淡々と続く。作品自体は観たことがなくても、寅次郎が語るシーンがなんとなく目に浮かんでしまうのだ。

美しい心根。良心や思いやり、自己犠牲の精神。そうしたものの象徴こそが、寅さんなのだなあ。ちょっと前にNHK BSかなんかでまとまって放送してたけど、またやってくんないかなあ。

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Kindle2 雑感

今風なデザインで、むちゃくちゃ薄くなりましたね。今回はおまけに、スティーブン・キングの新作が独占(先行?)リリースされるなど話題性もたっぷり。初号機は散々な言われようだったけど、これは売れるんじゃないかな。いや、ぼくもガジェット好きとして欲しいです! アメリカの知人に無理矢理頼もうかしら。

新聞社や出版社が、どうみてもお先真っ暗な中、本気でどうにかしようとしてるのは、やっぱりGooglezonという現状はなんというか。放っておいたら、彼ら自身のメシの種がなくなるからってのはあるんだろうけど、取り組み方の本気度が違いますわ。

ネガティブなトーンは、相変わらず(少なくなったとはいえ)聞こえてくる。やれKindleなんてハードウェアとして見たらショボーンだとか、ソニーも松下もシャープもだめだったとかうつむいてる人もいっぱいいるんだけど、形はどうであれ、こうやって世の中にプレゼンテーションし続ける企業はすごいなあ、と思う。

インターネットはメディアを殺したけれど、メディアを甦らせるのもまた、インターネットなのだということがよくわかる。アメリカ人のみなさんには、ぜひKindleでNYTを購読しまくってもらいたいものだ。

?みながら読みたい

『渓流2009』は、明日(2/7)発売です。本屋さんに買いに行こう!

  • 第1特集 滝壺の引力〜何かいそう。だからイト、垂れてきました。
  • 第2特集 テンカラにぞっこん

うん、相変わらずいいコピーである。

残念ながら、昨年度より年1回の発行となってしまったが、今年も同様のようだ。他の釣り媒体とは異なり、ただ単に釣れればよいというところに主眼を置かない作りなので、どうしても読者の幅が狭まってしまう。結果的に売上の問題になるのかもしれないが、仕方がないのだろう。

逆にこの本がドカドカ売れるようだと、全国の源流に人がワンサカ押し寄せることを意味するわけで、小心者かつエゴイストな私としては複雑な気持ちになってしまう。ともあれ、今年もまた手にできることを素直に喜びたい。

もうひとつ。先日キヤノンのギャラリーに行ったエントリを書いたが、岩木登さんの写真集、『南八甲田の森をゆく』―岩木登作品集 を購入。今朝届いた。

『渓流』のテイストが気に入る人であれば強くお勧めできる内容。とにかく美しい。八甲田という山域の懐の広さがビンビン伝わってくる。これほど源流の佳さを雄弁に語る写真は、ちょっと見たことがないぞ。ていうか、20年ちかくも沢に通って、俺はいままで一体、何を見てきたのだろうか……。

嗚呼!仕事サッサと終わらせてスコッチを嘗めながらページを繰りたい!

忙中閑

書きかけのエントリーばかりが溜まっていくなか、サクッとひとつだけ。

漫画家・すがやみつる氏のblogで掲載されていた『仮面ライダー青春譜』を読了。通勤時のiPhoneで読んでたんだけど、イヤー、圧倒的な質量でした。内容も面白い。マンガが熱かった時代の現場ってこうだったのか〜。ゲイツやジョブズの話が昔のコロコロに載ってたってのも、すごいよね。

かたや、もう話題としては古くなってしまったけれど、ちょっと前に同じく漫画家・松永豊和氏のサイトが香ばしく燃えていた。普通の人は知らないと思うんだけど、昔、ヤンサンで『バクネヤング』っていう過激な作品を連載してた。個人的な評価は決して低くなかったけれど、まったく同じタイミングで、新井英樹という超天才がいたことが不運だったのかもしれない。

まあ、その松永氏の『邪宗まんが道』、これも(脚色は多めなんだろうけど)ひとつのリアルな現場の話ということで興味深い。

ファンとしては、作品もそうだけど、実際にどのように作品が創作されるのかというのは気になるところ。どっちもサクッと読める手合いではないが、時間があるときにどうぞ。

吉森みきお先生のサイトは復活しないのかなー。

エキサイティングリーグ・パ!



●甲子園への遺言

誰がどう見ても、今日びのプロ野球はパ・リーグが断然おもしろいと思うのだが、そう感じるのは私だけかもしれない。とはいえ、この本は、あらゆる「やきゅう好き」な人に一読していただきたい。特に1970年代〜90年代なかばを見てきたオールドファンには堪えられない内容のはず。

高畠導宏という人の知名度は、おそらくものすごく低いに違いない。そもそも現役選手としては碌な成績を残していないからだ。だが卓越したセンスを野村に買われ、29歳のときに南海ホークスの打撃コーチに就任する。その後は野村や江夏といっしょに南海を追われる形でロッテに。さらには野村とも袂を分かってしまうが、ホントにもう、ものすごい選手たちを一人前にしていくのである。

誰でも知っているところでいうと落合やイチロー。教え子が多いロッテでは首位打者を取った高沢に西村、あとは福浦やサブローも薫陶を受けている。小久保もかな。関係ないけど、「あぶさん」にもよく登場していた。

まあそれだけだと、単なる名コーチだねってことで終わるんだけど、この人のすごいところは、50代なかばで一念発起して、高校教師の資格を取って甲子園を目指すところだ。こう書くとピンとくる人もいるかもしれないが、昨年NHKでドラマ化されていた「フルスイング」の原作本がコレである。元近鉄の吹石・奇跡のムスメであるところの吹石一恵も出演しておったな。

久しぶりに、すごくいい本を読んだ。野球は本当に面白い。

これは21世紀の蜂須賀なのか? マンガ『快男子SANIWA』

お久しぶりです。ボチボチ再開します。

えーと。このところ、漫画アクションの質が非常に高くなってきた。北朝鮮系を筆頭とした社会派作品に目が行きがちではあるが、谷口ジローがシートン動物記を描いていたりと、なかなかの盛況ぶりだ。

そんな中、満を持してと言うか、『オールドボーイ』効果を狙ってかは知らないが、土屋ガロン原作の『快男子SANIWA』という作品が、作画ふんわり氏で前号からスタートしている。

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ここ数週間のトピック

やばいです。すげー忙しいです。海外出張から帰ってきてからも、ペースが戻せない。年度末ってことで来期予算とか臨時研修とか、なにやら不穏な雰囲気……。とりあえず最近仕入れたネタの寸評だけ、駆け足で。

●映画『SAW』はスゲーです

ずーっと見たい見たいと思っていながら、見られなかったSAWを見てきました。もうね、スゲーですよ、この映画。たぶんもう、そろそろ劇場公開は終わるんだけどDVDも3月には出るそうなので、もし興味がある人は必見ってことにしておきます。

いわゆるホラーとかスプラッターとかそのテのものかというと、人によっては物足りなかったり、あるいはそれ以上の恐怖だろうし……って、ああ! とりあえずなかなか言葉にしにくいんですけど、ラストでは「エエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!!!!」と声が出そうになりました。それが驚きなのか、恐怖なのか、はたまた全然ちがう感情なのか、そのへんはとてもとても語ることができません!

●マンガ『俺と悪魔のブルーズ』はスゲーです

コミック誌『アフタヌーン』で連載されてるんですが、これまたスゲー。先日、ついに単行本<第一巻>が出てました。ブルースといえばロバート・ジョンソン、ロバート・ジョンソンといえばブルースの神様。その、ロバート・ジョンソンを「RJ」として、ブルースを主題にしたストーリーが展開されるんですが、実在の人物をモデルにしたフィクションって感じですね。

作者は、ヤンマガで「アゴなしゲンとオレ物語」というギャグマンガを連載している、平本アキラ氏。そのギャップもステキです。

十字路で悪魔と取引をすれば……というかのクロスロード伝説から、第一巻の終わりのほうでは、あのカップル強盗も登場。名作に育つ予感がヒシヒシと伝わってきます。

●理論社の、「よりみちパン!セ」シリーズはスゲーです

このところ、ジュブナイル系というかライトノベルというか、そういったジャンルの市場は密かに伸びているという話があります。私も子供の頃は、江戸川乱歩シリーズとか、朝日ソノラマ文庫とか、けっこう読んでました。んで、理論社という出版社が、「中学生以上のすべての人」を対象にしたシリーズを出してるんです。それが、「よりみちパン!セ」。私は、そのうちの『いのちの食べ方』を手に取りました。

日本人は毎日魚や肉、そして野菜などを食べている。で、例えば魚は築地のような市場、そして野菜についても、どのように流通してくるかは自然に理解している。だけど、肉は?? 肉はどこで解体されて、どのようにしてスーパーに並ぶのか?? 我々は、実はほとんどの人が中間プロセスについてまったく知ろうとしないし、それを不思議とも思わない。著者は、『A』などオウム関連の著述でも有名な森達也氏。そりゃあもう、良質なドキュメントですよこれ。

中学生以上を対象にしてるということで、漢字にルビが振られたり、本文も口語だったりしますが、その内容は硬質というか、ズシンと来ます。円周率が3とか、運動会は手をつないでゴールとか、最近の子供はカワイソウだなーなんて思うんですが、こういった本にはぜひ触れて欲しい。というか、自分の子供の頃にこんな本があったら……なんて思うと、中年になって腹が突き出たオッサンとしては涙をこらえるのが必死です(ようわからん)。

「学校でも家でも学べないリアルな知恵満載!」というキャッチコピーは伊達じゃない。他のシリーズの概要を見ても、これは大人こそ読むべきではないかという気さえします。

ふぅ、駆け足とか言いながら、イッキに出してしまった。あー、忙しいゼ!

驚愕! 『オールド・ボーイ』原作の土屋ガロンは狩撫麻礼だったんだ!

驚愕!とか言ってるわりには、すでに既知のことだったりして。ま、カスる人も少なそうだが(笑)。

最近、韓国で映画化されてカンヌでグランプリを取った『オールドボーイ』は、原作となるマンガが昔、週刊漫画アクションで連載されていたというのは有名な話(そういえばアクションっていま隔週刊になって復活してるのね。北朝鮮拉致問題マンガで話題ですが)。当時、アクションを愛読してたので、「すげぇな」と思いつつ毎週おっかけてたんだけど、まさか原作の土屋ガロンというけったいな名前の御仁が、かの狩撫麻礼だったとは……。どうりで、テイストに合ったわけだ。

どこで気づいたかというと、いま(映画特需で)書店に並んでる『オールドボーイ』のオビにそう書いてあったのだ。

狩撫麻礼は、『ボーダー』とか『ハード&ルーズ』などのマンガの原作を手がけ、一部(オレも含む)では熱狂的に支持されている。たぶん、狩撫麻礼名義で仕事をしたのは、やはりアクションで連載してた『タコポン』が最後? てっきりその後、クスリで死んだかあるいはストイックに旅に出たかと思っていたんだが、そうか別名義で仕事してたんだ……(といっても、オールドボーイ自体かなり昔のことですが)。

試しにググってみたら、こんなサイトが見つかった。え、ひょっとしてここにある作品リストの「Others」って、全部が狩撫麻礼なの….か……….???

なお、リンク先サイトの下の方に谷口ジローとのインタビューがリンクされていて、そこがまた興味深い内容。狩撫麻礼って関川&谷口コンビをかなり意識してたんだね。時代的にもおそらく『事件屋稼業』かと思うが、なるほど、そういうチカラ関係だったのか〜。

池上永一 『ぼくのキャノン』

ようやく、年末進行地獄も出口が見えてきたか。週末は、月島のあんこう鍋@ほていさんを堪能したかと思えば徹夜でいろいろ作業したりと、かなり体をいじめてしまった。「じゃ、あとはヨロシク」と帰ってちょっとだけ寝て、出社しても……まだ終わってねぇでやんの。まあいいけど。

池上永一 『ぼくのキャノン』

戦争中、帝国陸軍によって村に設置されたキャノンを崇め、3人の老人によって支配されている沖縄の村が舞台。大戦によって焦土と化した沖縄だが、この村は驚くべきスピードで復興し、豊かさのレベルがズバ抜けて高い。もちろんそれには秘密がある。老人の孫たちが、謎に挑む。

評価が難しい本、というのが最初の感想。冒頭、1/3くらいは正直読むのが苦痛だった。なんというか、「滑ってないか?」感が非常に高かったのだ。おかげで何度、途中で読むのをやめようと思ったことか。それでも、後半以降は持ち直したんだけど、この作者のユーモア感覚には、たぶん最後までなじめなかった。

作者の池永永一という人は、沖縄本島出身の石垣育ち。「沖縄戦はそろそろ物語になる時期に達した。僕でなければ、誰がこれをやるの?」とオビで言ってるんだけど、「なるほど」と素直に思う。沖縄の戦争が絡んだ話というのは、どうしてもある一定のトーンでしか語られてこなかった。最後の「戦後」が、まだ沖縄には残っているという感覚は、おそらく理解されやすいのではないか。

では、作者の目論見は達成されたかというと、そういう視点で見ると殊更「構えて」しまうのが、僕のような無責任な観光客的視点のヤマトンチュではないかとも思ったり。作者は1970年生まれで自分と同世代だが、おそらく親の世代の影響もあるのだろうな、きっと。

もう一冊、読んでみようと直木賞候補にもなった作品を入手。そういう意味では、気に入った書き手なのかもしれない。

ツボ突きまくりムック?『Time Switch』

おそらく30代中盤以上の人であれば、ものすごい共感を覚えるのではないか。いわゆる「懐かし本」の類なんだけど、これがまた、なんというかいい味を出している。

会社の近所に版元の竹書房があって、たまたま前を通りかかったとき、ショーウィンドウの中に石原さとみが泣いてる表紙が目に付いた。まわりが「麻雀なんとか」とかなので、目立つ目立つ(笑)。どうにも気になってすぐ買おうとしたんだけど、書店を何軒か探してやっと購入した。

Time Switch Vol.1「あのころ、70年代に会いたい」
・あの人の涙を探しに行きませんか? 石原さとみ/夏目雅子/岡田奈々
・特集:70年代懐かしグラフィティ
・付録CD:心の旅/チューリップ、東京の一夜/甲斐バンド、今はもうだれも/アリス、思えば遠くへ来たもんだ/海援隊、ほか

Time Switch Vol.2「紅白・レコ大・ゴジラの青春」
・別れを見つめる場所に、いつもきみといた 菊川怜
・特集:大晦日の夜、僕たちのクライマックスは「紅白」と「レコ大」だった
・付録CD:黒い花びら/水原弘、天使の誘惑/黛ジュン、シクラメンのかほり/布施明、ルビーの指輪/寺尾聰、ほか

なんと、懐かしの名曲がそのまんま入った音楽CDが付いてるんである。鴻上尚史がDJを務める深夜放送的なノリで、曲の間にトークが入るって感じね。vol.1のゲストは泉麻人、vol.2は山田邦子とかが参加。なお、vol.1では歌詞掲載ページにギターのコードも掲載されている(なぜかvol.2ではそれが消えちゃってる)。

楽曲以上にキモなのが、懐かしの音源。例えばvol.1はCMとして「ボンカレー 子連れ狼編」、またABC放送の「プロポーズ大作戦」テーマを収録。vol.2では、「ゴジラの鳴き声」(ただゴジラが鳴いてるだけの音だ)、CMでは「チロルチョコ」が。それにしてもまさかもう一度、あの名セリフ「3分間待つのだぞ」を聞けるとは思わなんだよ……。iPodに入れて、楽しんでおりまする。

そんなに頁数は多くないんだけど、構成も丁寧だし、編集の質もかなり高い。年季の入った辣腕編集者がゴリゴリと作ってる感がある。例えば、現代のタレントを使って、往年のムードを作ろうとしてる特集なんかは、思いつきはしても、実現するにはそれなりの周到な用意が必要なんだが、特にvol.1は石原さとみの使い方がとてもいい(vol.2の菊川怜はゴジラ絡みでの起用なんだろうけど、今ひとつか)。全体を通してみると「チカラ技だなぁ」というのが率直な感想だが、ハマる人(オレだ)にはたまらんのだ。

どうやら売れ行きも好調らしく(?)、来年2月10日にはvol.3が出るようだ。特集予定は「フォーエバーGS!」だって。たぶん買うな、これも。

東野圭吾 『さまよう刃』

この週末はサッカー三昧だった。土曜日のCSは、アレックスがFKを直接決めた時点で浦和の勝ちを確信、飲み会へと出かけたが、携帯の速報で延長の末にPKで負けたことを知る。恐るべし、岡ちゃん&横浜DF陣。

日曜日は、最後のトヨタカップ。こちらも延長までやっても勝負がつかず、PKでFCポルトが勝利。う〜ん、南米勢に頑張ってもらいたかったが……。

東野圭吾 『さまよう刃』

なにしろ、重い話だ。たったひとりの家族である娘が何者かに連れ去られ、レイプされ、挙げ句、死体となって発見される。犯人は十代の若者であり、現代の司法がその罪を厳しく償わせることはない。父親は、犯人を司法にゆだねるのではなく、自らの手で復讐することを決断する。

『秘密』や『トキオ』のような作品が好きな東野ファン層は、物語全体を支配する重苦しいトーンが苦手かもしれない。私は独身で子供がいないのに、胸が締め付けられそうになった。ましてや年頃の子供がいる人なら、この物語のテーマは読んでいてツライのではないか、とも思う。

だが父親が、そして警察が次第に犯人を追いつめていく物語中盤以降の展開は、さすがの筆力。2段組、368頁というボリュームも苦にならずに読み進められる。やがて作者が用意した「救い」に気づいたとき、評価は一変するだろう。

この作者、基本的にイイ人なんだよなぁ。ほんとうに「やさしい話」を書かせたら、現代作家の中ではピカイチなんではないかと思う。読み終えて、いい気分で一杯飲んでたら、飲み屋に本を忘れてきてしまったのが痛恨……。

桐野夏生 『I'm sorry, mama.』

昼間、日暮里の朝倉彫塑館に行ってきた。いやーステキなところで、感動。大隈重信さんもいましたよ。

で、今夜は飲み会。都心ではなくて川崎なので、移動がめんどいのだが、会うお方は、前の職場の大先輩、それに某マンガ関係者。なぜかこのお二人が知り合いだったことが発覚し、不思議な縁を感じつつの宴なのだ。

桐野夏生 『I’m sorry, mama.』

この人のような「化け方」をリアルタイムで追うことができるのは、シアワセと感じる一方で、いったいどこまで行ってしまうんだろうという不安さえ抱いてしまう。『OUT』で人気作家となり、『柔らかな頬』で天才作家になった彼女は、その疾走スピードをさらに上げた。ここ最近の、『グロテスク』、『残虐記』、そして本作へと至る流れは圧倒的だ。

もうね、最初の数ページを読んだだけでドキッとするんですよ。「え?え?…………!!!」みたいな。あらすじなんかが頭に入っていたら、たぶんこの「ドキッ」はなかったはずなので、ここでは書きません。できれば、何の予備知識も得ずに読むのがお勧めですが、上記作品を含めて、あえて個人的に★なぞを付けてみるとこうなります。

『柔らかな頬』★5
『グロテスク』 ★4.5
『残虐記』 ★4
『I’m sorry,mama.』 ★4

物語自体の尺はさほど長くはないのということもあるのだが、没頭し、すぐ読了。邪悪なもの、醜いもの、とにかく一切合切の汚いものを、この人ほど強い筆致で、しかもそのおぞましさをこれでもかと増幅させて書ける人は、ほかにいないことを再確認した。男の身でさえこうなのだから、女性読者はいったいどんな感想を抱くんだろう。

初期の村野ミロシリーズや、ファイア・ボール・ブルースのような作品にも独特の翳りはあるが、やはり『柔らかな頬』以前と以後とでは、まるで別人である。それはおそらく、作者自身の加齢と無関係ではあるまい。細かいプロフィールは知らなかったのだが、1951年生まれだったことを今回初めて知る。写真もおキレイだし、もっと若いかと思っていたのだが、『柔らかな頬』は1999年、50代を目前にした作品だったわけだ。私は当然、最近の作品のほうが好きだ。

じつは、ウチの会社に桐野作品の登場人物のような女性がいる。年齢は、おそらく40前後。器量はよくないが、スタイルはそこそこ。いつも派手な服(まるでキャバクラ嬢のような)を着て、さっきも喫煙室でタバコをくわえながらマニキュアをぬっていた。周囲の連中は、できるだけ無関心を装いつつ、心中では明らかに見下している。私もおそらく、その1人。

読後、さて次は何を読もうかと書店に入った。だが、まるで7キロの牛肉を胃袋に押し込められた後のように、棚に手が伸びないのだ。しばらくはクールダウンが必要と断念し、なぜかギターマガジンなぞを買ってみたり。

流転を続ける村野ミロのその後も気になるなぁ。

関川夏央 『昭和が明るかった頃』

 そろそろ忘年会シーズンに入ったようだ。じつは先週、すでに一本流してしまったんだが、今週末にもあるし、今日も今日とて、九段下界隈のアヤシイ連中たちと深酒の予定。んー、胃がもつかどうかが心配だ。まぁ、ドラクエ買ったのにプレステが壊れててできないんで、ちょうどいいのである。

関川夏央 『昭和が明るかった頃』

 とにかく、オビが泣かせる。「昭和三十年代 日活 そこに 裕次郎と 小百合がいた」だもの。昭和40年代前半生まれの身としては、石原裕次郎は「太陽にほえろ」だし、吉永小百合は「夢千代日記」だった。そして、日活といえばロマンポルノである。彼、彼女のスクリーンでの活躍、そして日活の全盛期は、話としては知っているという程度。

 しかしこの本は、日活映画史を語るものでもなければ、文化的側面から裕次郎や吉永小百合を論ずるものでもない。あえて言うなら、時代だ。現代に至る日本という国、そして国民に対して大きな影響を与えた時代が、この二人を軸に展開される。それは、戦後の混乱期が終わり、高度経済成長が始まった頃、タイトルにもあるように「明るかった」昭和だという。

吉永小百合が十七歳から十九歳であった六十二年から六十四年は、彼女の人気の頂点であったと同時に、それは戦後日本の頂点であった(本文より抜粋)

 この時代をリアルタイムに知らない世代は想像するしかないのだが、60年代前半がターニングポイントであるとするなら、その頃にいったい何があったのか。事象としては、東京オリンピック、そしてTVの浸透などが挙げられよう。同時に、「戦後の終わり」が始まりつつあったタイミングでもあったはずだ。いわゆる戦後のターニングポイントとしてよく挙がるのはオイルショックだが、日本人の精神性が、その10年以上も前にひとつの区切りに至っていたというのは、なるほど本書を読むと説得力を感じる。

 映画女優として知られる吉永小百合は、意外なほどに代表作が思い出せない。実際、『キューポラのある町』くらいしか知らないしなぁ。近年に至るまで多数の作品に出演しているくせに、出る映画はどれもこれも鳴かず飛ばず。最近では、シャープのAQUOSのCMでよく見かけるが、いまなお「吉永小百合という生き方」を貫いているのはすごいと思う一方で、周囲(メーカーとか代理店)もそれのみを期待しているという事実もある。

 明るく、へこたれず、どこまでも向日的だった時代……。波止場に佇む健康的な不良、裕次郎や、川口の健気な労働者の娘たる吉永小百合が、現代に蘇ることはないのだろうね。ともあれ、関川夏央お得意の「懐古モノ」、なかなかナイスな本でした。

原りょう 『愚か者死すべし』

あの沢崎が帰ってくる!本屋で発見した瞬間、手にとってレジに向かったくらいで、とにかく大期待。

「りょう」としかネットでは表記できないのがナニだが、この人の名前は「寮」のうかんむりがない字だ。そのため、世界中のウェブサイトがUnicode完全対応になっても、おそらくスンナリとは表記はできそうにない(少なくとも、OS Xのテキストエディット&ことえり環境でも字は見つからなかった)。「草なぎ剛」より、もうちょい奥深い問題である。

原りょう『愚か者死すべし』

そんなことはともかく、この週末はヒマを見つけては読み進めた。だが結論から言うと、いかに前三作がよかったかの再確認にしかならなかった。この復帰第一作に関しては、読み手としては非常にフラストレーションがたまってしまい、なんともはやな感じである。

決して小説としての水準が低いというわけじゃないんだけど、いかんせん沢崎を中心とした世界がこじんまりとしてしまったせいか、どうもイマイチ感が拭えない気がする。当世っぽく「ひきこもり」が登場したり、まぁほかにもそれらしい仕掛け(ネタバレになるので書けない)があったりもするんだが、これなら、短編集『天使たちの探偵』の中にある小品のほうが読後感はよかった。長い長い沈黙の末に出た続編がゆえに、期待しすぎちゃってたのかもしれない。

著者は、あとがきでこの沈黙の期間に何をしていたかを書いてるんだけど、かいつまんで言うと、要するに「いい作品を書くための鍛錬」だったそうだ。残念ながら、僕にはそれが響くことはなかった。だけど、次回作もたぶん手に取ると思う。渡辺がいない世界で、沢崎がどうやって読者を引っ張るのか、作者の悶々とした闘いに興味があるからだ。

佐野 正幸 『1988年10・19の真実?「近鉄‐ロッテ」川崎球場が燃えた日』

今年はいろいろとプロ野球関連の問題がありましたが、
現状がつまらなくなってくると、ついつい興味の対象は過去に向かうわけです。
音楽もそうだけどね、最近は昔のCDばっか買ってるわ……。

というわけで、いわゆる10.19本を読みました。
『1988年10・19の真実?「近鉄‐ロッテ」川崎球場が燃えた日』

1988年というと、もう大学に入って東京にいたんだけれど、生まれて初めて東京ドームに行って、日ハム-南海戦を見たりしたもんです。まあ、そんなことはともかく、当時ももちろんパ・リーグばっかり見てたアタクシ、どうせこの年も西武が普通に優勝するだろうと思ってたんだけど、近鉄が、アレヨアレヨでゲーム差を縮めて、最後のダブルヘッダーで2連勝すれば逆転優勝、という緊迫した展開に。しかも、この年はロッテはとにかくムチャクチャ弱くて、「ひょっとしたら」的ムードがホンワカと漂っていたのです。

しかし、なんといってもこの最終戦までの道のりは、近鉄にとってものすごいハンデがあった……てか、今では考えられないけど、2週間で16試合戦ったというとんでもない日程。それを乗り越えて最終戦まで望みをつないだという時点で、気持ちはもう、「がんばれ近鉄!」ですよ。

「10.19」で思い出すエピソードといえば、ニュースステーションの枠をぶっ潰して生中継したテレビ朝日の英断ですかね。たまにスタジオの久米宏が「いや〜、タイヘンなことになってます。では手短にニュースを」とか入れるくらいで。

この本は、熱狂的な近鉄ファンとして知られる佐野さんによるもの。どちらかというと、ある近鉄ファンが体験した10.19という感じである程度時系列に沿って進んでいくんだけど、川崎球場にまつわる話だとか、そういったところが面白い。落合(いまやセ・リーグ優勝監督ですが)とのヤジの掛け合いとかね。昔は、グラウンドと客席が本当に近かった。

また、近鉄最後の攻撃は、羽田のゲッツーで幕を閉じるわけですが、その打球を処理したのが、当時ロッテの二塁手だった西村で、この最後の打球にまつわるエピソードは非常に興味深い。また引き分けが確定して(つまり優勝がなくなって)も、スコアは同点のため近鉄ナインは守備につかなきゃいけなかったわけで、その哀愁ったらあーた、言葉では語り尽くせないほど。日本人のツボ、つきまくりでした。

近鉄バファローズという球団は、11月30日をもって正式に消滅する。願わくば、あの日のような熱狂を再び、どこかで……。