お久しぶりです。ボチボチ再開します。
えーと。このところ、漫画アクションの質が非常に高くなってきた。北朝鮮系を筆頭とした社会派作品に目が行きがちではあるが、谷口ジローがシートン動物記を描いていたりと、なかなかの盛況ぶりだ。
そんな中、満を持してと言うか、『オールドボーイ』効果を狙ってかは知らないが、土屋ガロン原作の『快男子SANIWA』という作品が、作画ふんわり氏で前号からスタートしている。
お久しぶりです。ボチボチ再開します。
えーと。このところ、漫画アクションの質が非常に高くなってきた。北朝鮮系を筆頭とした社会派作品に目が行きがちではあるが、谷口ジローがシートン動物記を描いていたりと、なかなかの盛況ぶりだ。
そんな中、満を持してと言うか、『オールドボーイ』効果を狙ってかは知らないが、土屋ガロン原作の『快男子SANIWA』という作品が、作画ふんわり氏で前号からスタートしている。
やばいです。すげー忙しいです。海外出張から帰ってきてからも、ペースが戻せない。年度末ってことで来期予算とか臨時研修とか、なにやら不穏な雰囲気……。とりあえず最近仕入れたネタの寸評だけ、駆け足で。
●映画『SAW』はスゲーです
ずーっと見たい見たいと思っていながら、見られなかったSAWを見てきました。もうね、スゲーですよ、この映画。たぶんもう、そろそろ劇場公開は終わるんだけどDVDも3月には出るそうなので、もし興味がある人は必見ってことにしておきます。
いわゆるホラーとかスプラッターとかそのテのものかというと、人によっては物足りなかったり、あるいはそれ以上の恐怖だろうし……って、ああ! とりあえずなかなか言葉にしにくいんですけど、ラストでは「エエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!!!!」と声が出そうになりました。それが驚きなのか、恐怖なのか、はたまた全然ちがう感情なのか、そのへんはとてもとても語ることができません!
●マンガ『俺と悪魔のブルーズ』はスゲーです
コミック誌『アフタヌーン』で連載されてるんですが、これまたスゲー。先日、ついに単行本<第一巻>が出てました。ブルースといえばロバート・ジョンソン、ロバート・ジョンソンといえばブルースの神様。その、ロバート・ジョンソンを「RJ」として、ブルースを主題にしたストーリーが展開されるんですが、実在の人物をモデルにしたフィクションって感じですね。
作者は、ヤンマガで「アゴなしゲンとオレ物語」というギャグマンガを連載している、平本アキラ氏。そのギャップもステキです。
十字路で悪魔と取引をすれば……というかのクロスロード伝説から、第一巻の終わりのほうでは、あのカップル強盗も登場。名作に育つ予感がヒシヒシと伝わってきます。
●理論社の、「よりみちパン!セ」シリーズはスゲーです
このところ、ジュブナイル系というかライトノベルというか、そういったジャンルの市場は密かに伸びているという話があります。私も子供の頃は、江戸川乱歩シリーズとか、朝日ソノラマ文庫とか、けっこう読んでました。んで、理論社という出版社が、「中学生以上のすべての人」を対象にしたシリーズを出してるんです。それが、「よりみちパン!セ」。私は、そのうちの『いのちの食べ方』を手に取りました。
日本人は毎日魚や肉、そして野菜などを食べている。で、例えば魚は築地のような市場、そして野菜についても、どのように流通してくるかは自然に理解している。だけど、肉は?? 肉はどこで解体されて、どのようにしてスーパーに並ぶのか?? 我々は、実はほとんどの人が中間プロセスについてまったく知ろうとしないし、それを不思議とも思わない。著者は、『A』などオウム関連の著述でも有名な森達也氏。そりゃあもう、良質なドキュメントですよこれ。
中学生以上を対象にしてるということで、漢字にルビが振られたり、本文も口語だったりしますが、その内容は硬質というか、ズシンと来ます。円周率が3とか、運動会は手をつないでゴールとか、最近の子供はカワイソウだなーなんて思うんですが、こういった本にはぜひ触れて欲しい。というか、自分の子供の頃にこんな本があったら……なんて思うと、中年になって腹が突き出たオッサンとしては涙をこらえるのが必死です(ようわからん)。
「学校でも家でも学べないリアルな知恵満載!」というキャッチコピーは伊達じゃない。他のシリーズの概要を見ても、これは大人こそ読むべきではないかという気さえします。
ふぅ、駆け足とか言いながら、イッキに出してしまった。あー、忙しいゼ!
http://nobi.cocolog-nifty.com/expomacpeople/
はやくカニ喰いに行きたい……
年末で実家に帰っている間、特にやることもないし家にはネット回線もないので、自然と駅近くのシネコンに足が向いた。一般の映画館より料金も高いんで地元では人気が薄いようだが、ケータイで指定席が事前購入できるってのは楽ちんだよなぁ。
『ターミナル』(2004年 スティーブン・スピルバーグ監督)
トム・ハンクスとスピルバーグ。以前なら「エ〜」とか言って素通りするような組み合わせだが、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』は印象良かったし、CMも大量投下中、しかも感動作(?)らしいってこともあり、実は楽しみにしていた。年をとったせいか若い頃よりもさらに涙もろくなっており、この映画にもそれを期待していたのだ。
政治的な事情やなんかで空港に足止めを食らうということは、そんなに珍しいことではないのかもしれない。トランジット時のトラブルとかも、意外とあるもんだ。だが数週間、数ヶ月、さらには「住む」ともなると、もう立派な物語。この映画は、実際にシャルルドゴール空港に住んでいたイラン人がモデルのようだ。
東欧のクロコウジアからJFKに降り立ったビクター・ナボルスキーは、祖国で勃発したクーデターにより、パスポートが無効となってアメリカに入国することができず、ターミナルで足止めをくらう。警備局に支給されたミールクーポンをなくしてしまい、腹をすかせたナボルスキーは、カートのデポジットで25セントが戻ってくることを知り、ターミナル中のカートをかき集める。こうしてまずは「生活」の基盤を得る。
出世欲の強い警備局長は、ナボルスキーのような人間にうろつかれると自分の査定に響くと、あえて警備にスキを作り、空港から抜け出せるように仕向ける。その後は、不法入国で警察に引き渡せるからだ。だが、ナボルスキーはターミナルにとどまる。そして空港職員との交流や、渡米した秘密、そして果たされるべき約束とは……。
年末は、追いすがる仕事を振り払うようにして実家に逃げ、その後香港へと潜伏。
数年ぶりの香港は、かなり様変わりしていた。空港から九龍へと向かう道でも、笑っちゃうほど高層マンションが増えている。あとビクトリアピークより高いビルが建っていたり、東尖沙咀なんていう駅ができていたり(これは新路線か)。それでも、東京ではあり得ない活気はそこにいるだけで刺激を受けるし、相変わらず大量の排気ガスで街の空気は悪いとかあるけれど、スターフェリーものんびりしてたしまあいいか、と。
今回は、裏香港島まで足を伸ばしてパンダと戯れたり、島めぐりをしてカニエビを喰ったり、電脳街を冷やかしたりしながら、ボケーッと過ごした。意外と寒かったなあ。
というわけで、今日から社会復帰。今年もよろしくお願い申し上げます。
早めに起きて、せっせと大掃除。ガラスを拭いたり床を磨いたり。ひと段落したところで、ふと思い立ち府中競馬場へと散歩がてら出かけた。
府中市民になってもう2年くらいなんだけど、競馬場に行くのは……何年ぶりだろう? ヘタすると、フサイチコンコルドが勝ったダービー以来かも。道すがら、府中図書館でCDを借りたりして、さらに遠回りして鳩林荘の雑木林を抜けて、東門から入場。非開催日は入場料無料なのね。けっこうな人が集まっているが、それでも第四コーナー付近は余裕を持ってターフビジョンを観戦できる。
馬券のほうは、あまり欲を張らず、情にもほだされず(つまりコスモバルクは無視)、1枠から5枠と6枠に流した。んでゲット。感激。
「あっとビックリ!ダイユウサク!」から買い続けて、初めて有馬記念で払い戻しを受けた。そして浮いた金は、すべて晩飯のしゃぶしゃぶに消えたのであった。
驚愕!とか言ってるわりには、すでに既知のことだったりして。ま、カスる人も少なそうだが(笑)。
最近、韓国で映画化されてカンヌでグランプリを取った『オールドボーイ』は、原作となるマンガが昔、週刊漫画アクションで連載されていたというのは有名な話(そういえばアクションっていま隔週刊になって復活してるのね。北朝鮮拉致問題マンガで話題ですが)。当時、アクションを愛読してたので、「すげぇな」と思いつつ毎週おっかけてたんだけど、まさか原作の土屋ガロンというけったいな名前の御仁が、かの狩撫麻礼だったとは……。どうりで、テイストに合ったわけだ。
どこで気づいたかというと、いま(映画特需で)書店に並んでる『オールドボーイ』のオビにそう書いてあったのだ。
狩撫麻礼は、『ボーダー』とか『ハード&ルーズ』などのマンガの原作を手がけ、一部(オレも含む)では熱狂的に支持されている。たぶん、狩撫麻礼名義で仕事をしたのは、やはりアクションで連載してた『タコポン』が最後? てっきりその後、クスリで死んだかあるいはストイックに旅に出たかと思っていたんだが、そうか別名義で仕事してたんだ……(といっても、オールドボーイ自体かなり昔のことですが)。
試しにググってみたら、こんなサイトが見つかった。え、ひょっとしてここにある作品リストの「Others」って、全部が狩撫麻礼なの….か……….???
なお、リンク先サイトの下の方に谷口ジローとのインタビューがリンクされていて、そこがまた興味深い内容。狩撫麻礼って関川&谷口コンビをかなり意識してたんだね。時代的にもおそらく『事件屋稼業』かと思うが、なるほど、そういうチカラ関係だったのか〜。
ようやく、年末進行地獄も出口が見えてきたか。週末は、月島のあんこう鍋@ほていさんを堪能したかと思えば徹夜でいろいろ作業したりと、かなり体をいじめてしまった。「じゃ、あとはヨロシク」と帰ってちょっとだけ寝て、出社しても……まだ終わってねぇでやんの。まあいいけど。
戦争中、帝国陸軍によって村に設置されたキャノンを崇め、3人の老人によって支配されている沖縄の村が舞台。大戦によって焦土と化した沖縄だが、この村は驚くべきスピードで復興し、豊かさのレベルがズバ抜けて高い。もちろんそれには秘密がある。老人の孫たちが、謎に挑む。
評価が難しい本、というのが最初の感想。冒頭、1/3くらいは正直読むのが苦痛だった。なんというか、「滑ってないか?」感が非常に高かったのだ。おかげで何度、途中で読むのをやめようと思ったことか。それでも、後半以降は持ち直したんだけど、この作者のユーモア感覚には、たぶん最後までなじめなかった。
作者の池永永一という人は、沖縄本島出身の石垣育ち。「沖縄戦はそろそろ物語になる時期に達した。僕でなければ、誰がこれをやるの?」とオビで言ってるんだけど、「なるほど」と素直に思う。沖縄の戦争が絡んだ話というのは、どうしてもある一定のトーンでしか語られてこなかった。最後の「戦後」が、まだ沖縄には残っているという感覚は、おそらく理解されやすいのではないか。
では、作者の目論見は達成されたかというと、そういう視点で見ると殊更「構えて」しまうのが、僕のような無責任な観光客的視点のヤマトンチュではないかとも思ったり。作者は1970年生まれで自分と同世代だが、おそらく親の世代の影響もあるのだろうな、きっと。
もう一冊、読んでみようと直木賞候補にもなった作品を入手。そういう意味では、気に入った書き手なのかもしれない。
年末進行まっさかりなくせに、スケジュール表は忘年会でギッシリ。今週中にどこまで仕事を片づけられるかが、シアワセな年末年始を迎えるカギとなるだろう……なんて思ってる人、日本中でいっぱいいそうだなぁ。
こんなときは、音楽でも鳴らしてシコシコ働くに限るわけで。
ムーンライダーズ 『Amateur Academy(アマチュアアカデミー) ~20th Anniversary Edition~』
時代を先取りしすぎた、なんて言葉は陳腐だが、実際彼らはこのアルバムの前々作『マニア・マニエラ』が、あまりにも先鋭的すぎるとレコード会社に判断され、お蔵入りした前科があった。そんないざこざの後、レーベルも移籍して心機一転なタイミングでリリースされたのが、この『アマチュアアカデミー』だった。
だが、やはり当時(1984年)の日本では幅広い理解を得られず。絶望した(?)メンバーたちは、次作で楽曲のすべてが個人制作、ボーカルのみ鈴木慶一で共通という超個人的異色アルバム、『アニマル・インデックス』を産み落とすことになる。
かなり気合いが入っていたであろう『アマチュアアカデミー』のセールス失敗によって、いちリスナーとして見ていても、バンドは一時ギクシャクしたものになった気がした。実際、各自ソロ活動やプロデュース業にさらに熱心になったんじゃなかったかな(うろ覚え)。
今回出た20周年記念盤は2枚組の構成。Disc1はオリジナルのリマスターだ。Disc2は特典系で全7曲。BLDG(英語バージョン)、Goap(ライブ)、SEX(ライブ)、NO/OH(ライブ)、MIJ(シングルバージョン)、GYM(シングルバージョン)、HappyBirthday(完全未発表)が収録されている。この時期は慶一さんの喉もまだ若く、ライブでのクォリティーも高かったなぁ(最近は……)。
おそらく、ムーンライダーズのファンで投票をしても三本の指に入るであろうこの名アルバムが、長らく絶盤だったというのも信じがたい。オリジナル音源のCDは持ってたんだけど、特別版ってことで購入。改めて聴くと、今だからこそココロに刺さる言葉とメロディーだったりもする。
これまた陳腐かつ平板だが、ようやく時代が追いついたのか……って、ちがうな。時代はきっと、この不良中年バンドには永遠に追いつけないに違いない。そういや、新作がそろそろ出るとかいう噂もあるけど、どうなってるんだろう?
おそらく30代中盤以上の人であれば、ものすごい共感を覚えるのではないか。いわゆる「懐かし本」の類なんだけど、これがまた、なんというかいい味を出している。
会社の近所に版元の竹書房があって、たまたま前を通りかかったとき、ショーウィンドウの中に石原さとみが泣いてる表紙が目に付いた。まわりが「麻雀なんとか」とかなので、目立つ目立つ(笑)。どうにも気になってすぐ買おうとしたんだけど、書店を何軒か探してやっと購入した。
Time Switch Vol.1「あのころ、70年代に会いたい」
・あの人の涙を探しに行きませんか? 石原さとみ/夏目雅子/岡田奈々
・特集:70年代懐かしグラフィティ
・付録CD:心の旅/チューリップ、東京の一夜/甲斐バンド、今はもうだれも/アリス、思えば遠くへ来たもんだ/海援隊、ほか
Time Switch Vol.2「紅白・レコ大・ゴジラの青春」
・別れを見つめる場所に、いつもきみといた 菊川怜
・特集:大晦日の夜、僕たちのクライマックスは「紅白」と「レコ大」だった
・付録CD:黒い花びら/水原弘、天使の誘惑/黛ジュン、シクラメンのかほり/布施明、ルビーの指輪/寺尾聰、ほか
なんと、懐かしの名曲がそのまんま入った音楽CDが付いてるんである。鴻上尚史がDJを務める深夜放送的なノリで、曲の間にトークが入るって感じね。vol.1のゲストは泉麻人、vol.2は山田邦子とかが参加。なお、vol.1では歌詞掲載ページにギターのコードも掲載されている(なぜかvol.2ではそれが消えちゃってる)。
楽曲以上にキモなのが、懐かしの音源。例えばvol.1はCMとして「ボンカレー 子連れ狼編」、またABC放送の「プロポーズ大作戦」テーマを収録。vol.2では、「ゴジラの鳴き声」(ただゴジラが鳴いてるだけの音だ)、CMでは「チロルチョコ」が。それにしてもまさかもう一度、あの名セリフ「3分間待つのだぞ」を聞けるとは思わなんだよ……。iPodに入れて、楽しんでおりまする。
そんなに頁数は多くないんだけど、構成も丁寧だし、編集の質もかなり高い。年季の入った辣腕編集者がゴリゴリと作ってる感がある。例えば、現代のタレントを使って、往年のムードを作ろうとしてる特集なんかは、思いつきはしても、実現するにはそれなりの周到な用意が必要なんだが、特にvol.1は石原さとみの使い方がとてもいい(vol.2の菊川怜はゴジラ絡みでの起用なんだろうけど、今ひとつか)。全体を通してみると「チカラ技だなぁ」というのが率直な感想だが、ハマる人(オレだ)にはたまらんのだ。
どうやら売れ行きも好調らしく(?)、来年2月10日にはvol.3が出るようだ。特集予定は「フォーエバーGS!」だって。たぶん買うな、これも。
この週末はサッカー三昧だった。土曜日のCSは、アレックスがFKを直接決めた時点で浦和の勝ちを確信、飲み会へと出かけたが、携帯の速報で延長の末にPKで負けたことを知る。恐るべし、岡ちゃん&横浜DF陣。
日曜日は、最後のトヨタカップ。こちらも延長までやっても勝負がつかず、PKでFCポルトが勝利。う〜ん、南米勢に頑張ってもらいたかったが……。
なにしろ、重い話だ。たったひとりの家族である娘が何者かに連れ去られ、レイプされ、挙げ句、死体となって発見される。犯人は十代の若者であり、現代の司法がその罪を厳しく償わせることはない。父親は、犯人を司法にゆだねるのではなく、自らの手で復讐することを決断する。
『秘密』や『トキオ』のような作品が好きな東野ファン層は、物語全体を支配する重苦しいトーンが苦手かもしれない。私は独身で子供がいないのに、胸が締め付けられそうになった。ましてや年頃の子供がいる人なら、この物語のテーマは読んでいてツライのではないか、とも思う。
だが父親が、そして警察が次第に犯人を追いつめていく物語中盤以降の展開は、さすがの筆力。2段組、368頁というボリュームも苦にならずに読み進められる。やがて作者が用意した「救い」に気づいたとき、評価は一変するだろう。
この作者、基本的にイイ人なんだよなぁ。ほんとうに「やさしい話」を書かせたら、現代作家の中ではピカイチなんではないかと思う。読み終えて、いい気分で一杯飲んでたら、飲み屋に本を忘れてきてしまったのが痛恨……。
ここ数日、仕事に行き詰まり、都内某所に籠もりきりになってしまった。なんとか光明が見えてきたので、そろそろ社会復帰せんとなぁ。
こういうときは買い物に限る。つーことで書店を徘徊し、いろいろ買い込む。
●Number 617「日本サッカーには浦和がある」
●Time Switch vol1 & 2
●東野圭吾『さまよう刃』
Numberは予想通り。東野圭吾は反射的に。で、ものすごい衝撃を受けたのが竹書房から出てるムック、『Time Switch』なんだけど、これについてはまた後日……。
あ、あと電話を買ったな。Vodafoneの3G、Nokia 702NKを。そのダメっぷりはチマチマと検証中ですが、これもまた後日。
川崎で映画を見て、浪花ひとくち餃子「餃々(チャオチャオ)」で各種餃子をビールで流し込む。いいなぁコレ。近所に欲しい店だわ。安いし。それにしても最近は、川崎で遊ぶことが多いなぁ。
『ニュースの天才』(2004年 ビリー・レイ監督)
1914年に創刊され、唯一、大統領専用機「AirForce One」に設置されているという老舗の政治雑誌、「The New Republic」。そしてその編集部で働く新進気鋭の記者、スティーブン・グラス。若干25歳の彼は、独特なセンスと切り口でさまざまな記事を執筆し、編集部内でも評価の高いバリバリのヤリ手である。
だがある日、「Hack Heaven」という記事にライバル出版社のネットマガジンが反応する。ある子供のハッカーが大企業を恐喝し、まんまと報酬を得ていたとする内容だが、ライバル社としては「なぜウチが知らないような記事を?」というわけだ。そこで調査を進めると……。
「真実を伝える」ことは、実は途方もなく難しい。NHKのニュースだから真実だというわけではない。言葉の使い方、ニュアンスの伝え方、話の順番、そして網羅性。意図的にそうしようと思えば、ニュースというものはいかようにもその姿を変えることができる。
例えば先の新潟中越地震。そりゃ被災者は困ってる。これから雪も降るし、エコノミークラス症候群で亡くなる人さえいる。震災のドタバタで暗躍する裏稼業の連中。罹災証明を受けられないがために現場を離れられない人たち。偏った救援物資。そして窓口だけでいくつあるのかわからなくなるような義捐金の受付。
これらを報じる記事は、あくまでも断片でしかない。受け手は、断片を集めることでしか本質に迫れないのだろうか。そして「真実を伝える」ことは、実は途方もなく難しいくせに、「作る」のは、実はとても簡単なんである。大なり小なり、日々のニュースはまさに作られている。
史実に基づいて制作されたというこの映画は、いろんな意味で身につまされる。この1年でネットの世界はブログを中心に大きく変貌を遂げたわけだけど、その片隅でこんなこと書いてる人間でさえそうなんだから、マスコミ関係者は必見ではないか(笑)。
個人的には、アメリカにおける雑誌編集部の描写がけっこう面白かった。一般スタッフでも個室あるのね〜とか、そういうレベルで。あと、会議なんかの仕切り方もいいねぇ。
年末公開映画の中では地味なのは否めないが、決して後味は悪くない。むしろ、こういうネタなのに最後まで緊張感を持って物語が進んでいくのは、なかなか爽快だった。
う〜ん、なかなか「ハウル」に足が向かないなぁ……。
昼間、日暮里の朝倉彫塑館に行ってきた。いやーステキなところで、感動。大隈重信さんもいましたよ。
で、今夜は飲み会。都心ではなくて川崎なので、移動がめんどいのだが、会うお方は、前の職場の大先輩、それに某マンガ関係者。なぜかこのお二人が知り合いだったことが発覚し、不思議な縁を感じつつの宴なのだ。
この人のような「化け方」をリアルタイムで追うことができるのは、シアワセと感じる一方で、いったいどこまで行ってしまうんだろうという不安さえ抱いてしまう。『OUT』で人気作家となり、『柔らかな頬』で天才作家になった彼女は、その疾走スピードをさらに上げた。ここ最近の、『グロテスク』、『残虐記』、そして本作へと至る流れは圧倒的だ。
もうね、最初の数ページを読んだだけでドキッとするんですよ。「え?え?…………!!!」みたいな。あらすじなんかが頭に入っていたら、たぶんこの「ドキッ」はなかったはずなので、ここでは書きません。できれば、何の予備知識も得ずに読むのがお勧めですが、上記作品を含めて、あえて個人的に★なぞを付けてみるとこうなります。
『柔らかな頬』★5
『グロテスク』 ★4.5
『残虐記』 ★4
『I’m sorry,mama.』 ★4
物語自体の尺はさほど長くはないのということもあるのだが、没頭し、すぐ読了。邪悪なもの、醜いもの、とにかく一切合切の汚いものを、この人ほど強い筆致で、しかもそのおぞましさをこれでもかと増幅させて書ける人は、ほかにいないことを再確認した。男の身でさえこうなのだから、女性読者はいったいどんな感想を抱くんだろう。
初期の村野ミロシリーズや、ファイア・ボール・ブルースのような作品にも独特の翳りはあるが、やはり『柔らかな頬』以前と以後とでは、まるで別人である。それはおそらく、作者自身の加齢と無関係ではあるまい。細かいプロフィールは知らなかったのだが、1951年生まれだったことを今回初めて知る。写真もおキレイだし、もっと若いかと思っていたのだが、『柔らかな頬』は1999年、50代を目前にした作品だったわけだ。私は当然、最近の作品のほうが好きだ。
じつは、ウチの会社に桐野作品の登場人物のような女性がいる。年齢は、おそらく40前後。器量はよくないが、スタイルはそこそこ。いつも派手な服(まるでキャバクラ嬢のような)を着て、さっきも喫煙室でタバコをくわえながらマニキュアをぬっていた。周囲の連中は、できるだけ無関心を装いつつ、心中では明らかに見下している。私もおそらく、その1人。
読後、さて次は何を読もうかと書店に入った。だが、まるで7キロの牛肉を胃袋に押し込められた後のように、棚に手が伸びないのだ。しばらくはクールダウンが必要と断念し、なぜかギターマガジンなぞを買ってみたり。
流転を続ける村野ミロのその後も気になるなぁ。
べつにモーニング娘。に対しては、特にファン的な感情もないし殊更きらいなわけでもないので、今回の安倍なつみさんの一件については「ふ〜ん」といった程度でしかなかった。
ただ、どんなふうに盗作をしたのかは気になった。そこでワイドショーなんかをわりとマメにチェックしてみたんだが、そんなに取り上げられてないみたいだし、フジテレビなんかはあからさまに扱いが小さい。
そうしたら、ちゃんと「まとめサイト」があるのね。2ちゃん文化も、こういうところは迅速だし、いい機能の仕方をしてるなーなんて感心しながらアクセスしてみたら……
いやー、今度は安倍なつみに対しては本当に本当に感心しました。感心しっぱなし(笑)。「うわー!すげー!」だなんて、会社で叫んじゃいましたよ。これを無意識レベルで行うというのは、常人の理解を超えてるなぁ。「パクるなら、もっと上手にやりなよ」なんて言うのは、きっと凡人なんだろうね。拍手モンです。
それにしても、なんで今になって表面化したのか、そっちのほうも気になる。けっこう数年前の作品もあるのに、誰も本当に気づかなかったのかなぁ。火付け役は例によって2ちゃんなんだけど、剽窃された側は絶対に気づいてたと思うんだけどなぁ。
芸能界におけるジャニーズだのハロプロだのの「影響力」はよく取り沙汰されますんで、おそらくはほんの数ヶ月で、まるで何事もなかったかのように活躍する安倍なつみさんをTVで見ることができるでしょう。
しばらくはツライだろうけど、がんばれなっち! 婦人警官をボコボコにした稲垣吾郎だって、今じゃ元気にやってるから!
『Mr.インクレディブル』(2004年 ブラッド・バード監督)
仕事柄、ピクサー作品はすべて目を通しているので、チェックしてきた。今週末からかな、封切りは。原題は「The Incredibles」、つまり「インクレディブル一家」だ。邦題を決めるのに苦労したとは思うが、これじゃ映画のコンセプトが台無しかとも思う。まぁ、邦題問題は挙げたらキリがないか。
そもそも”incredible”という単語自体が、日本人には馴染みが薄い。”unbelievable”なら知ってるんだろうけど。あと、いわゆるMrs.インクレディブルの名前は、”Elasty Girl”(伸び縮み娘)だが、パンフや公式サイトなんかだと「スーパーガール」になってた。気を回しすぎるのもどうかなあ、と思う。まぁいいや。
ピクサー作品の歴史は、テクノロジーの歴史でもある。『モンスターズ・インク』に出ていた女の子、ブーは、当初は髪を垂らしている設定だったが、当時の3D技術ではそれが困難だった(髪は、結局結ばれている)。そう、実はピクサー作品で人間が主人公なのは、この作品が初めてなんである。長女は内気で、いつも長い髪で顔を隠しているのだが、そういった表現もやっと実現できたわけだ。ちなみに、エンドクレジットには、「Hair & Cloths」のレンダリングチームが独立して記されていた。かなりの大所帯で、かつこの映画のテクノロジー的なキモでもあったのが、よくわかる。
他の作品との差異は、まだある。最も大きいのが上映時間。アメリカでは、「アニメは90分以内」というのが一般的なのだが、本作は110分を越える。要するに、長い作品は子供受けしないということらしいんだけど、この上映時間については、相当ディズニーとモメたらしい。
肝心の内容だけど、これがすこぶるイイ。過去の作品では『モンスターズ・インク』が個人的ベストだったが、それを上回ったかな。
スーパーヒーローたちが活躍する陰で、市民への被害も拡大。そして訴えられ、敗訴。彼らはみな、一般市民としての隠遁生活を余儀なくされる(なんてアメリカっぽい!)。イクレディブル家を支えるお父さん、Mr.インクレディブルも今では冴えない保険会社のサラリーマンだが、つい情に溺れて保険金を支給してしまうため成績はよくない。これまた元スーパーヒーローの妻と営む家庭を支えるために働くも、完全なリストラ要員である。ヒーローの資質は子供たちにも遺伝しているが、長男はそれを隠して暮らすことにフラストレーションがたまる毎日で、イタズラばかり。長女は、とことん内向的で好きな男の子に話しかけることすらできない。そんなある日、父親のもとに、スーパーヒーローとしての仕事の依頼が入るのだが……。
伏線の張り方も絶妙。笑わせるところ、泣かせるところもバランスよくて、見る前はかなり眠かったのに、寝入ることもなくラストまで引っ張られました。原題からもわかるように、テーマは明らかに「家族」。特に母親の存在がカギですな。私はチョンガーなんでアレですが、夫婦子供連れで見に行くといいんじゃないかと思いますヨ。
最後に、ピクサーとディズニーについて。
この両社がタッグを組むのは、次回作『Cars』まで(車が主人公って……しかもNASCAR??)。ディズニー側は新しいCGアニメ制作会社を開拓したそうで、本格的に契約は打ち切りということらしい。スティーブ・ジョブズは激怒したそうだが、ディズニー側が、ピクサーをコントロールしきれなくなったというのが真相か。まぁ、ディズニーもいい話ばかりは聞かないんで、潮時だったのかねぇ。
じゃあ、ピクサーは配給に関してどこと組むのか? ジョン・ラセターは何を考えてるのか? ひょっとして、ジョブズが強引に動画配信事業をアップルで始めるとか……って、それはさすがにないか(笑)。
そろそろ忘年会シーズンに入ったようだ。じつは先週、すでに一本流してしまったんだが、今週末にもあるし、今日も今日とて、九段下界隈のアヤシイ連中たちと深酒の予定。んー、胃がもつかどうかが心配だ。まぁ、ドラクエ買ったのにプレステが壊れててできないんで、ちょうどいいのである。
とにかく、オビが泣かせる。「昭和三十年代 日活 そこに 裕次郎と 小百合がいた」だもの。昭和40年代前半生まれの身としては、石原裕次郎は「太陽にほえろ」だし、吉永小百合は「夢千代日記」だった。そして、日活といえばロマンポルノである。彼、彼女のスクリーンでの活躍、そして日活の全盛期は、話としては知っているという程度。
しかしこの本は、日活映画史を語るものでもなければ、文化的側面から裕次郎や吉永小百合を論ずるものでもない。あえて言うなら、時代だ。現代に至る日本という国、そして国民に対して大きな影響を与えた時代が、この二人を軸に展開される。それは、戦後の混乱期が終わり、高度経済成長が始まった頃、タイトルにもあるように「明るかった」昭和だという。
吉永小百合が十七歳から十九歳であった六十二年から六十四年は、彼女の人気の頂点であったと同時に、それは戦後日本の頂点であった(本文より抜粋)
この時代をリアルタイムに知らない世代は想像するしかないのだが、60年代前半がターニングポイントであるとするなら、その頃にいったい何があったのか。事象としては、東京オリンピック、そしてTVの浸透などが挙げられよう。同時に、「戦後の終わり」が始まりつつあったタイミングでもあったはずだ。いわゆる戦後のターニングポイントとしてよく挙がるのはオイルショックだが、日本人の精神性が、その10年以上も前にひとつの区切りに至っていたというのは、なるほど本書を読むと説得力を感じる。
映画女優として知られる吉永小百合は、意外なほどに代表作が思い出せない。実際、『キューポラのある町』くらいしか知らないしなぁ。近年に至るまで多数の作品に出演しているくせに、出る映画はどれもこれも鳴かず飛ばず。最近では、シャープのAQUOSのCMでよく見かけるが、いまなお「吉永小百合という生き方」を貫いているのはすごいと思う一方で、周囲(メーカーとか代理店)もそれのみを期待しているという事実もある。
明るく、へこたれず、どこまでも向日的だった時代……。波止場に佇む健康的な不良、裕次郎や、川口の健気な労働者の娘たる吉永小百合が、現代に蘇ることはないのだろうね。ともあれ、関川夏央お得意の「懐古モノ」、なかなかナイスな本でした。
あの沢崎が帰ってくる!本屋で発見した瞬間、手にとってレジに向かったくらいで、とにかく大期待。
「りょう」としかネットでは表記できないのがナニだが、この人の名前は「寮」のうかんむりがない字だ。そのため、世界中のウェブサイトがUnicode完全対応になっても、おそらくスンナリとは表記はできそうにない(少なくとも、OS Xのテキストエディット&ことえり環境でも字は見つからなかった)。「草なぎ剛」より、もうちょい奥深い問題である。
そんなことはともかく、この週末はヒマを見つけては読み進めた。だが結論から言うと、いかに前三作がよかったかの再確認にしかならなかった。この復帰第一作に関しては、読み手としては非常にフラストレーションがたまってしまい、なんともはやな感じである。
決して小説としての水準が低いというわけじゃないんだけど、いかんせん沢崎を中心とした世界がこじんまりとしてしまったせいか、どうもイマイチ感が拭えない気がする。当世っぽく「ひきこもり」が登場したり、まぁほかにもそれらしい仕掛け(ネタバレになるので書けない)があったりもするんだが、これなら、短編集『天使たちの探偵』の中にある小品のほうが読後感はよかった。長い長い沈黙の末に出た続編がゆえに、期待しすぎちゃってたのかもしれない。
著者は、あとがきでこの沈黙の期間に何をしていたかを書いてるんだけど、かいつまんで言うと、要するに「いい作品を書くための鍛錬」だったそうだ。残念ながら、僕にはそれが響くことはなかった。だけど、次回作もたぶん手に取ると思う。渡辺がいない世界で、沢崎がどうやって読者を引っ張るのか、作者の悶々とした闘いに興味があるからだ。
じつは2週間前にも行ってるんだけど、また高尾山に行ってきた。前回は、ちと紅葉しきってないかな〜という感じだっが、今回は盛りを過ぎた感じ。先週行けばよかったのか。
11時に府中を出て、高尾山口につくとケーブルカーはなんと40分待ち! アホらしいので、尾根づたいに山頂まで行くコースをてくてくと歩く。いわゆる稲荷山コースというヤツ。最初だけ急登だが、いいペースで歩く。
高尾山という山は山頂の周囲を環状線のように道が付いてるんだけど、今回は高尾山頂には立ち寄らず、そのまま陣馬方面に抜けた。どうせ、人でごった返してるだろうし、最初から小仏まで行ってバスに乗るというプランだったのだ。
やはり、高尾山を抜けていわゆる奥高尾に入ると、多少は人も少なくなる。紅葉も、まだそこかしこに残っておりなかなかいい気分。小仏城山の茶屋で、我慢しきれずビール&おでん、あとなめこ汁。プハーっとひと息つくが、なめこ汁が「おすまし」でなんとも消化不良。あ、天気もよかったし、新宿の高層ビルなんかもバッチリ見えました。富士山は雲の中だったけど、相模湖はキラキラしててキレイでしたよ。
そこで、もうちょっと足を伸ばして小仏峠のむこうにある景信山まで行く。この山頂にはやはり茶屋があるのだが、そこのなめこ汁が美味らしいのだ。到着して早速注文すると、うれしいことにこっちは味噌仕立て。しかも、密かに柚子が使われていて、すんげぇうまい。いや、マジでこんなにうまいなめこ汁は久しぶりかも。スーパーで売ってるようなちんまいなめこじゃなくて、東北の山の中で見かけるような、でかいなめこがたっぷり。しかも味は繊細で、ヌメリも心なしかコクがある。山菜の天ぷらは、もう終わっちゃってたけど満足です。
聞けば、ここのなめこ汁は、味噌もなめこも自家製だという。ほほぅ。この茶屋に立ち寄るためだけに、高尾〜陣馬あたりをうろついてもいいと思ったくらいだ。
コースタイム的には、11時40分頃に高尾山口を出て、城山に14時、景信山が15時くらいか。小仏のバス停に下りたのが16時前で、すぐにバスに乗れた。なかなかの運動量。高尾経由で八王子に出て、温泉に入って帰宅。晩飯はしゃぶしゃぶで、体重はむしろ増えた気も……。
たぶん、元ネタのFF IVとかVをプレイして、さらにクリアした人以外は笑えないと思うけど……いや、ソニーとか任天堂とか、そしてセガとかMSとかと少しでも縁がある人なら、抱腹絶倒笑い涙間違いなしのFlashです。
15分くらい、時間に余裕があるときに見た方がいいかも。
ココね。
まぁ、そのスジでは有名だけどさ(笑)。リンク先はTopなんで随時更新されると思うけど、フレームの”FLASH”から、”SEGA Fantasy”を適当にクリックしてください。今日の時点では、最新作のSEGA Fantasy VがTopにいるけど、IVと併せてゼヒ。
まぁ、とにかく最高です!
巷ではNintendoDSとかPSPとか騒がしいんだけど、ロートルなオイラはエミュでFF IVでもやりますかね。
そういや、DSではFF IIIがついに出るらしい。そーいう意味では「買い」かも。
ムーンライダーズというバンドの音に初めて触れたのは、高校生の頃……かな。たしか、懐かしきレンタルレコード(You & Iっていうチェーンね、これって全国展開してたのかな?)で借りた『Amateur Academy(アマチュアアカデミー)』という名盤。ガツンとやられて、それ以来ずーっと毒され続けている。
ムーンライダーズのどこがいいのかと言われると、答えに窮する。まったく、どこがいいんだろう(笑)。ボーカルの慶一さんは……ムチャクチャ歌がうまいわけでもないし、実際、このバンドが日本の音楽シーンで「売れた」ことなど、一度たりともないんじゃなかろうか。それこそ、トレンディードラマの主題歌でも手がければよかったのに。
曲がいいとか言っても、すこぶる平板なんだけど、ただ、彼らを語るうえでいくつかのキーワードはある。内省的であり、時にエキセントリックで退廃的、度肝を抜かれることもしばしば。「やられたなぁ」という爽快な敗北感を、何度も味わうことができるのが麻薬的なんだろうと、軽く自己分析。まぁ、あくまでも個人的な見解なんでこの程度で。
んで、そのムーンライダーズの前身バンド、はちみつぱい 『センチメンタル通り』を、ムーンライダーズ歴20年にして、初めて買った。
とにかく、音がいいです。これはビックリ。オリジナル音源を24bitリマスターしたってことなんだけど、この時代の音としては、ビックリするくらいクリアで迫力がある。アコギの音なんて、とても30年以上前の作品とは思えないほど。AACにエンコードしてもそれはハッキリしていて、時代的に同じ頃の、はっぴいえんど作品(リマスターされてないやつ)などと比べると特に明確だわ。
内容ですか? 少なくともここ数日、自分のiPodはこのアルバムばかり繰り返し再生してる。クドクドとは申しませんが1曲目の『塀の上で』だけで、もう金を払う価値はあったと確信したくらい。今頃になるまで聴かなかった自分を恥じ入りましたよ、えぇ。
思えば、軽薄な音楽を忌み嫌うようになって(軽快な音楽は好きですけど)、自分の人生は軸がちょっとずつズレてきたような気がする。そのきっかけとなったひとつのバンドがムーンライダーズであるのは間違いないわけで、死ぬまで頑張ってほしい。本人たちにはそんなつもりはないんだろうけど、日本の音楽シーンをアジテートし続けてほしいのでありますよ。
今年はいろいろとプロ野球関連の問題がありましたが、
現状がつまらなくなってくると、ついつい興味の対象は過去に向かうわけです。
音楽もそうだけどね、最近は昔のCDばっか買ってるわ……。
というわけで、いわゆる10.19本を読みました。
『1988年10・19の真実?「近鉄‐ロッテ」川崎球場が燃えた日』
1988年というと、もう大学に入って東京にいたんだけれど、生まれて初めて東京ドームに行って、日ハム-南海戦を見たりしたもんです。まあ、そんなことはともかく、当時ももちろんパ・リーグばっかり見てたアタクシ、どうせこの年も西武が普通に優勝するだろうと思ってたんだけど、近鉄が、アレヨアレヨでゲーム差を縮めて、最後のダブルヘッダーで2連勝すれば逆転優勝、という緊迫した展開に。しかも、この年はロッテはとにかくムチャクチャ弱くて、「ひょっとしたら」的ムードがホンワカと漂っていたのです。
しかし、なんといってもこの最終戦までの道のりは、近鉄にとってものすごいハンデがあった……てか、今では考えられないけど、2週間で16試合戦ったというとんでもない日程。それを乗り越えて最終戦まで望みをつないだという時点で、気持ちはもう、「がんばれ近鉄!」ですよ。
「10.19」で思い出すエピソードといえば、ニュースステーションの枠をぶっ潰して生中継したテレビ朝日の英断ですかね。たまにスタジオの久米宏が「いや〜、タイヘンなことになってます。では手短にニュースを」とか入れるくらいで。
この本は、熱狂的な近鉄ファンとして知られる佐野さんによるもの。どちらかというと、ある近鉄ファンが体験した10.19という感じである程度時系列に沿って進んでいくんだけど、川崎球場にまつわる話だとか、そういったところが面白い。落合(いまやセ・リーグ優勝監督ですが)とのヤジの掛け合いとかね。昔は、グラウンドと客席が本当に近かった。
また、近鉄最後の攻撃は、羽田のゲッツーで幕を閉じるわけですが、その打球を処理したのが、当時ロッテの二塁手だった西村で、この最後の打球にまつわるエピソードは非常に興味深い。また引き分けが確定して(つまり優勝がなくなって)も、スコアは同点のため近鉄ナインは守備につかなきゃいけなかったわけで、その哀愁ったらあーた、言葉では語り尽くせないほど。日本人のツボ、つきまくりでした。
近鉄バファローズという球団は、11月30日をもって正式に消滅する。願わくば、あの日のような熱狂を再び、どこかで……。
田舎で高校生をやってた頃、初めてインド風のカレーというものに出会った。それがボンベイという店で、それまでカレーといえばいわゆる日本風しか知らなかった幼きアタクシは、もうガツーンと衝撃を受けたわけです。
ものすごく辛い。しかし、ものすごく旨い。
メニューには、見たことも聞いたこともないようなカレーがズラリと並び、しかもそれぞれ辛さを無段階に調整できる。だいたい、悩んだあげくにふつうのチキンかキーマを頼むことが多かったかな。ランチタイムだと、サラダとマンゴージュースがついていて、このマンゴージュースで辛さをやわらげながら食べたもんだ。
ボンベイは、正月だろうと無休で空いてたので、「お節もいいけど…..」といったノリで、三が日にはよく出かけた。食べた金額に応じて、「ルピー」と称しておもちゃのお札をもらったっけ。これを集めると、店にある雑貨なんかと交換できたんだよな。
トイレは、四方が鏡張りだった。あれはなんでだったんだろう。とにかく「その」間、自分のナニが目の前の鏡に映るんである。いかがなものかと、思ったもんだ。
大学に入ってからも、帰省したときはできる限り立ち寄った。東京にも、こんなに本格的なカレーを食わせる店はないと思った。いや、六本木とか神保町に行けばあったのかもしれないが、当時はそんな情報など手にはいることはなかった。
だが、ある日ボンベイはなくなってしまった。ヘンテコな居酒屋に変わってしまったのである。もう、あの味には二度と会えないのかと思うと、故郷が少しだけ遠くなった気がしたものだ。
<以上、前フリ>
会社が九段下に引っ越した。近所にそこそこ有名なスリランカカレーの店があり、やはりカレー好きとしてはチェックせねばなるまい。食べてみるとなかなかいい味を出している。うんまい。
で、そういったプチ有名店ならではだが、自分のとこが紹介してある雑誌や本がレジの横に無造作に積み上げられている。注文し、料理が出る間になにげなくそのうちの一冊を手に取ると….
なんと、浜松のボンベイのことがコラムとして載ってるではないか!
それが東京カリー番長の神様カレーguideという本で、なんと浜松出身の人(つまりカリー番長氏ね)が書いたものであった。
おかげでボンベイ@浜松の出自や、その後の店長のことなどを知ることができたわけだが、なんと、いまボンベイのカレーがレトルトになっているというではないか!! どうやら、地元の遠鉄ストアというスーパーで手に入るらしい。
また、ボンベイをネットで検索していると、横濱カレーミュージアムに行き当たった。中部地方で初めてタンドール釜をあつらえた店であったり、全国的にもかなり有名だったようだ。これは、なかなかうれしいエピソードだ。
高校の頃、好きだった女の子の実家が、実はボンベイのトイメンにあったりするんだよなぁ……。とりあえず、今度帰省したら、レトルトを探してみようと思う。
仕事、終わんねぇ。
近鉄が吸収されて、楽天が審査を通って、ソフトバンクがホークスを買って、でライオンズは?
選手会は保身を叫び
セ・オーナーは既得権を死守せんとし
パ・オーナーは隣の芝生をオレにくれと言い
ヨミウリは主導権さえあればいいと願い
そんな「球界再編」が流行語だそうで。へぇ。
あれだけストだの何だのって大騒ぎした割には、
選手会は受け皿だけは確保して
セ・オーナーはちこっと譲歩して
パ・オーナーはこづかいがもらえることになって
ヨミウリの主導権は現状維持?
これだけですか……?
サッカーと比べるのもどうかとは思うけれど、
なぜJリーグの選手が海外に行くときは、「がんばってこいよ」的な応援モードなのか。
そして、なぜ日本プロ野球はメジャーの2軍的な認識のままなのか。
・契約金や年俸の透明性の確保
・完全ウェーバードラフト
・ロイヤリティー・放映権の一元管理(つまり成熟した機構による運営)
・国際交流試合の推進(クラブカップ戦、Wカップetc)
もちろん、すぐにはムリだろうけど、少しずつ風穴を空けていって欲しいものです。
あと、鳴り物応援も廃止しようぜ!(笑)
嗚呼、仕事終わんね。
日経の得意技(笑)、スッパ抜きで報道されていたようだが、いよいよ日本でもiTunes MusicStoreが始まる。来年の3月からを予定。
このシステムについては、すでにアメリカで体験済みなんだけど、非常にヤバイ。特にワタクシのような性格だと、ブラウズしてるうちに「あれもこれも」となってしまい、気が付いたら100ドル単位でガンガン買ってしまいそうになる。
「iMix」っていう、他人が作ったプレイリストみたいなもんがあるんだけど、これは更にヤバイ。例えば、デヴィッド・ボウイのカバーだけを集めたiMixなんてのとか、思わず「buy all」しちまいそうになります。
自分にとってスペシャルなアーティストの場合は、おそらくCDを購入することになると思う。だが問題は、「CDを買うほどでもないけど欲しい曲」が、思いのほか多いということ。今さらのように、Jackson5だとかSimplyRedだとかTOTOだとか…….あ、あとCultureClubなんてのも買ってたりします。思い入れのあるアーティストであっても、いわゆるExclusive、つまり限定チューンがあったりするしなぁ。U2の「Stuck in the moment」のアコースティックバージョンとかさ。まずいなぁ。
日本で始まったら、真っ先に買いそうなのは、アグネス・チャンの「ひなげしの花」とか太田裕美「木綿のハンカチーフ」とか、その手の曲かなあ。オザキも欲しいなあ。豊じゃなくて紀代彦のほうね。
ここ数年、けっこうな頻度で読んでいるキングの、超長編をやっとのことで読み終えた。『ザ・スタンド』である。
もともとキング作品は、本人も認めているように(笑)、とても長いものが多い。だが、この作品のように全五巻という膨大なスケールともなると、さすがに珍しい。実は当初、全三巻かと勘違いして読み進めていた。三巻の終わりのほうで、「これじゃどうやって物語に収拾をつけるのだろう….」と訝しんでいたくらいだだけに、あと二巻もある(!)と知ったときは愕然とした。
作者自ら、『指輪物語』を意識したというだけあって、スケール感は他の作品に比べても桁違いなのは確かだ。謎のインフルエンザ・ウィルスによって、バタバタと人が倒れ、しまいには全人口の数%を残して、人類は絶滅の危機に瀕してしまう。残された人々は過酷な状況に放り出される。ロックシンガー、妊娠した女学生、聾唖の青年、老婦人、孤独な少年、社会学者などが闘い、葛藤し、裏切り、物語を紡いでいく。そしてもちろん、生き残ったのは善人だけではない。
やがて生存者たちは自ずと二分され、お互いが進むべき道を歩み、破壊、そして再生への希望をつかむ。
キング作品に慣れてる人であれば、スルリと読破できるだろうし、読後感も圧倒的で近年ではすこぶるよい。
ただ、個人的なベストである『ペット・セマタリー』や『トム・ゴードンに恋した少女』には少々及ばないかな〜。
今年の夏は、山の中で熊に出会って相当ビビッたわけですが、昨夜見た、TVのドキュメント番組ではぶっ飛びました。
いま知床では、「新世代熊」と呼ばれるヒグマが増えているらしい。
どこがどう新世代かというと、「人を恐れない」ってことだそうで。
●約15年前、知床では「熊を根絶やしにする」方針を改め、熊と共生する道を模索することにした。
●番屋の漁師たちも、それまでは熊を見かけたらハンターに駆除を依頼するようにしていたが、以後、積極的に無視するようにした。
●ヒグマは本来臆病で、人を見たら逃げるものだったが、最近、まったく人間を気にしない個体が増えてきた(新世代)
●集落に近寄り、餌をあさる個体が増えてきた
番組では、知床五湖近辺の観光客の様子を映していたが、本当にすぐそばまでクマがやってくる。そして観光客たちは、はやしたて、口笛を吹き、カメラを向け、歌うのだ(当然、森の熊さんである)。
また、アマチュアカメラマンにとっては、ヒグマは格好の被写体らしい。彼らは至近距離で迫力ある写真を撮ろうと、ギリギリまで近寄る。本当に2-3mまで近寄る。クマも、彼らを気にするそぶりは見せない。観光客にとっては、知床に行ったらヒグマを見てみたいものらしいんですが……オレにはさっぱり理解できません。
番組は、観光客に人気のあったクマが、最終的に人里で悪さをするようになったため射殺されるシーンで締めておりました。
世界遺産登録の問題もあり、知床はいま揺れているそうだけど、世界遺産なんて建造物ならともかく、エリアが指定されるとえらいことになるので、やめたほうがいいんじゃないかと思うがなあ(白神みたいになっちゃうから)。
36歳になったってことで、上海蟹でお祝い。
ガラにもなく、六本木へ。そこで初めて六本木ヒルズを間近に見た。すげーでっかいね。
目指すは、中國飯店。その筋ではヒジョーに有名ですね、ココは。
んで。
老酒漬け
蒸し蟹(♂と♀)
カニミソいりフカヒレスープ
カニミソと青梗菜の炒め物
カニミソ入りショーロンポー
などなどを食す。プリン体を目一杯吸収いたしました。
ここは、身を剥いて出してくれるんで親切なんだけど、
蟹の身だけを皿に盛ると、ちょっとサビシイですねぇ。
やっぱ蟹はミソだな!と痛感いたしました。
関係各位
大深沢、アップしました…….。
来年はどうすっかなあ。