家人が旧に思い立って、いなり寿司なんぞをこさえてくれた。ということで、酒をぶらさげて今年初の野川。
芝生に寝転がって、調布の飛行場を飛び立つ機体を追う。まったりしていたらいつの間にか日が傾き、肌寒い。
梅がちらほら、咲いていた。
あまりにも挑発的な名前。アメリカンテイストのステーキとハンバーグがメインなのだが、一説によると40年ほど前からあるそうだ。となれば、このネーミングにも納得できる。
コアタイムはいつも行列で、駐車場もギッシリ。渋滞を引き起こすほどの人気店である。それでも、午後2時ともなればスルッと入れる。まずはサラダとビール。
ここのハンバーグは200gからリクエストに応じて量を調整できる。この日は、400gをオーダー。だいたい、300-400gが人気のレンジ。500g以上注文する人は、あんまり見ないけど。
基本、赤身なのでクドさは全然ない。ナツメグが効いていて、飽きることなくあっというまに完食。ご飯はおかわり自由だが、自重した。
べらぼうに美味いわけではないんだけど、なんというか店の雰囲気がとてもいい。家族連れはもちろん、若いカップルや学生、老夫婦まで、客層のレンジも広く、みんな等しく多幸感に満ち溢れた表情をしている。店員も若いのにキビキビしていて、値段も安いし、まさに地元民にとってのカロリー供給源と言える存在。
府中に住むようになって何年も経つが、そもそも当初、なんでまた府中に住むことにしたかといえば、競馬場が近いとかではなく、24時間いつでも出せるゴミ収集BOXの存在が非常に大きかった。
これは一人暮らしにはとてもありがたいシステム。特に終電帰宅が当たり前というヤクザな仕事を持つ身にとっては、ゴミ出しとは徹夜明けにやっと行えるものであって、杉並に住んでた時代は本当に苦労していた(大半はビールの缶や酒関係だったけれど)。
いろんな街の住みやすさランキングとかで、意外と府中って上位に来るんだけど、このゴミ収集BOXもイメージに貢献してたはず(ちなみに税金が安いとかいうのは、たぶん都市伝説)。
そのゴミ収集BOXが、2月2日をもって全面的に撤去された。
市内7000カ所に15000個もあったそうで、撤去前は駆け込み投棄で相当悲惨な状況だったようだ。これで府中市も、ゴミについては有料収集(有料のゴミ袋を購入するシステム)となった。
理由はいくつかあるようだ。ひとつは、近接市からの越境ゴミが相当あること。市役所の調査かなにかによれば、府中で処理しているゴミの約2割が越境投棄らしく、そのコストも馬鹿にならない。
社会全体のテーマとなっているゴミの減量化やリサイクルを考えても、この有料化は自然な流れなんだとは思う。いつでも気軽に捨てられるのは確かに便利ではあるんだけど、昨今のエコやら何やらの風潮とは逆行している面があるのは否めない。
ゴミBOX問題については何年か前の市長選のカラミとか、業者がナニでとか、掘り下げようと思えばいくらでもネタはあるのだが、いまはただ、役目を終えた鉄の箱たちに、感謝の意を捧げたい。
お世話になりました。
フジッコのぶどうジュースのところでも触れましたが、そういえばフジクレールの赤については書いたことがなかった。というか、あの記事が呼び水となり、10本ほど仕入れてきました。正確には、フジクレール無濾過スパークリングの赤、ということになるのかな。
赤でスパークリングっていうのがいい。まあ微炭酸な感じではあるけれど、いちごをアテに飲みました。ワインとフルーツの組み合わせは、山県先生もおっしゃってるとおり下手な料理なんかよりも素晴らしいね。
あと最近、サッポロビールがショコラブルワリーってのを出していて、近所の京王ストアに置いてあったので飲んでみた。
意外とこれが、なかなかよいです。個人的にはギネスと高カカオ率チョコの組み合わせが好きなんだけど、これもアリかなあ。まあ、いわゆるバレンタイン市場狙いなんだろうけど、頑張ってる感じがする。
う〜ん、飲み過ぎである。
休日、上野に行こうぜ、って話になったんです。昼下がり。となれば、デリーでカレーを食べたくなるというもの。
超久しぶりなので道に迷いつつ訪れ、カシミールじゃなくて中辛のインドをオーダー(それでも一般的には相当辛い)。う〜ん、懐かしい味ですこと。近所にあれば通うんだけどなー。
サクッと食べたら、エレカシを口ずさみながら上野の山を散ろ歩きです。日曜日だったのでけっこうな人の山。大道芸や、正岡子規記念球場で草野球を冷やかしつつ、国立博物館へと向かいます。
じつはいま、『土偶展』をやってるのね。これが今回、上野までやって来た目的。
展示規模的には決して大きくはないんだけど、ん〜、めちゃくちゃイイですよ! いわゆる「土偶」と聞いてイメージするのって、上のチラシ画像では右から2番目の遮光器土偶っていうらしいんだけど、それもちゃんと鎮座してらっしゃいます。
教科書とかでよく見た(というか、その程度でしか知らない)土偶を間近に見ると、まず雰囲気でやられます。ついで、大胆なデフォルメとディテールの素晴らしさに驚愕。完成度がハンパない。1万年の時をこえて、縄文人の持っていた繊細な感覚を肌で感じることができて、ああもう!とにかく最大級の賛辞!
2月21日までやってるので、ぜひ足を伸ばしてみるべき!と断言しておきます。
ん〜土偶はなんつうか、ロマンだよねえ。
で、土偶といえば今、個人的に盛り上がっているのがコレ。『古代少女ドグちゃん』。何号か前の映画秘宝でも表紙を飾っておりましたな(それで知ったんだけどね)。
会う人会う人みんなに『湯けむりスナイパー』を絶賛しまくってたせいで「オマエのおすすめは信用ならん!」とのレッテルを張られておるようですが、懲りずに自信を持ってご紹介。あ、『湯けむり』はコミック版が素晴らしいんですよ。ドラマは、まあ人それぞれですが(正月特番も最高によかったなー!)。
どんなドラマかっていうと、こんな感じ。
土偶の神様「ドグちゃん」が土偶の相棒ドキゴローとともに、現代によみがえった妖怪たちを退治しながら社会の悪と戦い、ひきこもり少年・誠の心を開いていく、怪奇ヒロイン・ラブ・コメディ(公式サイトより)
スタッフも豪華だし、キャストも豪華。それでいて、「妖怪 ちちでか」だの「妖怪 カニ光線」だの、しまいには「妖怪 まぶたの母」である。最高wwww
もともと関西ローカルの深夜枠を使ったドラマだったのが、ついに映画化されるんだよね。関東キー局では無理なんだろうか、どこでもいいから放映してくれんかなあ。そうなんです。私もまだ、見たことがないんですよねえ。
そんなモン人にすすめてどうする、というお叱りもあろうかと思いますが、このドラマ版の予告ムービーを見たら納得していただけるのではないでしょうか。まあ「確信」を抱いたと、そういうわけです。
目下の悩みは、ドグちゃんのDVDボックス。欲しいな……でも後悔しそう……でも欲しいな……。
いよいよ1/27(日本では1/28午前2時とか)に、Appleが新製品を発表するようだ。スティーブ・ジョブズ自ら“This will be the most important thing I’ve ever done”などと言っており、相当注目が集まっている。
この手の演出は「いつものこと」と言えなくもないのだが、あらゆる状況証拠的なものから推察すると、少なくともAppleがこれまでにないカテゴリーの製品を、満を持して発表する、ということは間違いなさそうだ。
タブレットは大きなiPhoneなのか。
ある意味で正しくある意味で正しくない。
実際、華々しくデビューするのがタブレット型の製品であったとしたら、OS部分には間違いなくダウンスケールされたMac OS X、あるいはアップスケールされたiPhone OSが搭載されるはずであり、そういう意味では大きなiPhone、あるいはスリムなMacとも言えるだろう。
個人的妄想:iPhoneアプリとは完全に互換性を保ち、10inchとも噂される液晶画面上では、おそらくiPhoneアプリを複数同時に立ち上げたり、またiPhoneアプリ自体にもスケーラビリティが加えられ、同じアプリがiPhoneでもタブレットでも違和感なく動き、タブレット上では大きな画面領域を生かした機能が使える、といった感じになるのではなかろうか(ゲームであれば単純に高解像度化され、メールやTwitterのようなアプリは同時に表示できるものが増える、などのイメージ)。
タブレットは電子書籍リーダーなのか。
ある意味で正しくある意味で正しくない。
もちろん電子化された書物にアクセスするのは他愛もないことだろうが、KindleやSONY Reader、あるいはNookと同じ文脈で語られる製品にはならないと思われる。
Appleが米国の出版社にアプローチをしたとの話もあるが、それはAmazon Kindleに対抗し、iTunes上でBook Shopを開くためだけのものではなかろう。
村上春樹や司馬遼太郎、あるいはスティーブン・キングの作品を「読む」のであれば、やはりKindleやSONY Readerが採用するE-Ink型の端末が圧倒的に適している。これは新聞についても同じことであり、いわゆる透過光と反射光の問題だ。
このへんについては、松永英明氏のブログ「絵文録ことのは 」にわかりやすい投稿があるのでリンクしておく。
Amazon Kindle(アマゾン・キンドル):「反射光の電子ブック」という革命的に新しいメディア
Appleはカラーであること、マルチタッチであることに妥協はしないだろうし、仮にKindle対抗の書籍版iTunesストアを解説し、タブレットで読むことが可能になるとしても、あらゆる既存の枠組みの「再定義」が大好きなAppleが、それだけで満足するとは想像できない。
つまり、タブレットで楽しむコンテンツがあるとすれば、既存の動画や音楽、アプリなどに加えて、何らかのものを再定義したものになるはずだ。そう、例えば、Time社がSportsIllustratedのデモとして公開したような、新しいメディアフォーマットだ。
再定義されるのは雑誌なのか。
ある意味で正しく(ry
それはテレビ番組かもしれないし、古き佳き、ディレクターベースのインタラクティブコンテンツかもしれない。ひょっとしたら、懐かしのナレッジナビゲーターかもしれない。
もし、上のSportsIllustratedみたいなもんが「標準」になるのだとすれば、メディア業界は再構築を余儀なくされる。動画、静止画、音楽、文章、そしてコーディング。新たな人材が求められ、ある意味、活気づくのではなかろうか。当然、それらを横断するスキルが必要になるわけで、単機能的編集者は死んでいくことになるだろう。ガクブルである。
当然、リッチコンテンツを抑えているパブリッシャーが有利になる、というか、パブリッシャーはリッチコンテンツがないと立ち行かなくなる(いまでもけっこうその雰囲気はあるけれど)。
結局のところよくわからないが。
あと数十時間内で、Appleのプレゼンテーションについて知ることができる。あれこれ妄想を膨らませて楽しめるのも、残りわずかだ。
ひょっとしたら、すこぶる馬鹿げたものかもしれない。評論家たちが一斉に攻撃してAppleの株価はガクンと下がるかもしれない。久しぶりにAppleがコケる姿を、世界は潜在的に待ち望んでいるから、発表と同時にあらゆる人間があら探しを開始するだろう。
だが、iPodが初めて登場したときのことは、いまだによく覚えている。当時の、世界中の冷ややかなコメントも今となっては懐かしい。「いったい誰が5GBもの音楽を常に持ち歩きたいと思うのか」「そもそも高価すぎる」等々。
だがあの発表会で、集まったごく少数のプレスにiPodを渡したとき、AppleはそのiPod内に収録された楽曲のCDも30枚ほどだったか、すべて同じ袋に入れて渡していた。要するに、本気だった。
どうせ日本は「おあずけ」でしょうね。
情報筋によると(笑)、米国での発表を受けての日本国内でのプレス向け発表会は、現時点ではまだアナウンスされていないようだ。
これはつまり、どんなに魅力的な製品が登場したとしても、日本での発売はすぐには行われないということだ。オリジナルiPhoneと似たケースになるのではないかと思われるが、コンテンツなどの整備状況等を邪推すれば、まずは米国からということになるのだろう。まあ、これは仕方がない。いつものことだが、尻尾を振って待つしかできないからね。
古来、SF映画などでは登場人物がタブレット状のキカイで通信したり、なにかをモニターしたりといった姿がよく見られた。スタートレックしかり、ノートパソコンではなく、それは必ず板状のものだった。そういえば先日見た「AVATOR」にも、そのような端末が登場していたなあ。
さてさて、とりあえず楽しみにしておこう。
酒と名がつくものなら何でも飲みますが、中でもビールが大好きです。ワインも、スパークリングが好きです。というわけで日本酒も、シュワシュワしてるのが好き。
コイツは、仙台の一ノ蔵が出してる「すず音」。やや甘めだけど、なかなかイイ感じ。クククッと飲み干してしまった。
ファンタといえばグレープ。談合坂SAで必ず食べるのは巨峰ソフトクリーム。ハイチュウも、蒟蒻畑も当然ぶどう味。そんな生粋のぶどう派なアタクシが、酒コーナーでこんなぶどうジュースに遭遇。
このblogでも何度か紹介しているフジッコワイナリーの、ワインではなくぶどうジュースです。今年から始めたっぽいんだけど、せっかくなので赤白買ってみた。1本1200円くらいだったかな、けっこう値がはるけれど、こーいうのに目がないんです。特にフジッコさんは個人的に応援しているし、ヘタなワイン買うよりいいかもしれん。
とりあえず白を開栓したんだけど、ぶどうぶどうしてなくて、りんごジュースっぽい第一印象。そのうち、口腔内にぶどうの香りが残る、相当奥ゆかしい味わい。一気に飲んでしまい、赤はもったいなくてまだ開けてないw
そういえば、フジクレールのスパークリングに赤があったって話は書いたんだっけ? あー、またストックしておかなきゃー。
初雪が降ったね!
寒いときには、やっぱり鍋。ってことで、最近の鍋コレクションw
●豆乳鍋
だしと豆乳を適当にまぜて、鶏の骨付き肉をぶち込み火にかける。いい塩梅になってきたら、野菜をドカドカ。以上。
●手羽先レタス鍋
にんにくと生姜のみじん切りを少量のごま油で炒め、頃合を見て手羽先を投下。表面にイイ感じにコゲが付いたらお湯(水でもいいと思うが土鍋を急に冷やすのはいくない)を適量入れる。ダシも適当に。頃合を見て、レタスをちぎってドカドカ入れる。勢い余ってネギも。このときは輪切りというかスライサーを使った。
レタスって、意外と使い道がないんだよね。おかげで油断して古くなっちゃうんだけど、これなら一気に大量消費できる。手羽先はよく使うなあ。コラーゲンたっぷりだし、トロットロになって美味し。
祖父が先物で失敗したか何かで土地(しかも駅前の一等地)をあらかた失い、逃げるように大陸へと渡り、運良く戦局が悪化する前に引き上げてきた。ハルピンの百貨店でエスカレーターに感激したとか、ロシア娘とどーたらこーたらとか、酔っぱらうとたまにそんな話をする。
仕事は、いまだに現役。息子が2人とも出来が悪く、跡継ぎはいない。地方の建設関係なのでご多分に漏れず景気は最悪らしい。それでも、雇っていた職人が定年になるまではと頑張っていたようだが、その職人が定年を前にして急遽隠居することになり、店を畳むタイミングを失ったようだ。
二日と空けず麻雀をし、月に2回はゴルフに行き、尿酸値は完全に振り切ってるのに通風の症状が出ないのをいいことに、ビール(おもにエビス)や日本酒を毎晩思う存分飲んでいる。
ひとことで言えば、昭和ヒトケタのパワーにみなぎったオッサンというか、ジイサンだ。地元の祭にも毎年参加しているあたりもエライなあ、と素直に思ったりもする。
高校生くらいまでは父親への反発が大きく、はやく都会に出たいといつも思っていた。ありがちだが、東京で暮らすようになり、親元を離れたあたりからそういった感情もおさまり、いまでは帰るたびに飲み明かしている。
きっと、仕事もなんだかんだ、体が動かなくなるまで続けるんじゃなかろうか。
今回の帰省ではGXRを持っていたこともあり、アホのように家族を撮りまくった。ずうっと酔っぱらっていたうえに、悪評高いAFの混迷さも加わり、まともなカットが少ないのに愕然とするが、家族の写真を撮影するのって、最初は気恥ずかしかったけど、なんかいいよね。
もっともっと前から、たくさん撮っておけばよかったなあ。明らかに老いた父親の表情をながめつつ、少々センチな気分になった。
とはいえ遅すぎることはない。今後できるだけ多く、そういった機会があればと思う。
このカットは大晦日、相当に酔っぱらって近所の神社の寄り合いに出かけたときのもの。
寒風吹きすさぶ境内で甘酒やら豚汁を炊き出しして、皆で酒を飲んでるのだが、ガハハと大きな声で笑い、語らい、地元でしっかりと根を張っている姿は、人情味のない都会のマンションで暮らすサラリーマンにとって、うらやましさを通り越して憧憬の対象ですらある。
そのような選択肢を、かつて自ら除外した後ろめたさも、若干感じたりもするのだが。
いやはや。
昨年末、かねてより熱望していたWiFi Body Scaleがようやく手に入った。日本の代理店が準備が整ったらしく、即注文。翌日には届いていた。
こちらで購入できる。
早速セッティングして、毎日のように乗っている。体重や体脂肪率などのデータは、無線LAN経由で製造元のサービスに自動的に送信、推移をチェックできるほか、Twitterにつぶやいたり、iPhone用のアプリでブラウズすることもできる。
すでにお気づきの方もいるだろうが、このblogにもTwitterのWidgetを仕込んで、日々私の体重を記録している。年末年始は暴飲暴食が祟ってか80kgちかくまであったが、いまでは落ち着きつつあるようだ。やれやれ。
mixiもそうだったけどTwitterも苦手なんですよね。なので、既存のアカウントは削除して、いまは体重つぶやき用のアカウントがメインという状態であります。
日々、体重をつぶやくというのはどうかとも思ったが、うら若き乙女でもあるまいし、べつに人目を気にしなければ無問題。むしろ、体重計に乗るのが楽しくなるというのがポイントで、体調管理にはとっても役立ちそう。
2009年末ギリギリではあったが、昨年のベストバイかもしれんなあ〜。
こんな辺境のblogであっても、ネットに公開してるのでそこそこのアクセスがある。基本的には知人・友人くらいしか知らないはずなのだが、Googleのロボットも頻繁にやってくるので、特定キーワードで検索するとヒットしちゃうのよね。
というわけで、ご大層なものでもないのだが、世の人気blogを真似て、今年2009年のアクセス数が多かった記事のベスト10を集計してみた。
10位 驚愕! 『オールド・ボーイ』原作の土屋ガロンは狩撫麻礼だったんだ!
8位 たまごかけごはん
5位 丸食
4位 地獄のミサワさん
2位 『津軽百年食堂』のこと
1位 iPhone故障>修理>交換
以前のblogから引っ張って来た記事がランクインしてる(9位と10位)。ボンベイという店は、中年の浜松出身者には未だにノスタルジアの対象なのだろう。レトルトは買って食べたが、まあ頑張ってたほうかな。トイメンに住んでいた彼女は、いまでは地元で教師をしており二女をもうけている。
狩撫麻礼は今でも大好き。最近だと、ご存知『湯けむりスナイパー』はもちろん、いずれ書くけど『大川端探偵社』がすばらしいね。
iPhoneとかMacBook Airの故障&修理の投稿は、まあわかる気がする。当時は自分もググりまくったからね(7位と1位)。特にiPhoneのはぶっちぎりの1位。思えば今年は、電車の中でiPhoneいじってる人が激増しましたね。
まったく力を入れずに書いた記事(8位と5位)が入ってるのは、複雑な心境だ。
『津軽百年食堂』は、おそらく書籍関連のサーチに引っかかったかな。映画のキャストは決まったのかしら。次のGWあたりは弘前でロケ真っ盛りだろう。青森つながりで、十和田の吉兆が3位に。バラ焼きが、B1グランプリかなんかで優勝したんだっけね。
というわけで今年もお世話になりました。来年もどうぞ、ひとつよろしく!
旧友と再会。浅草方面で会うことになっていたので、せっかくだから建設中のスカイツリーでも見に行かないかとの話になり、押上で待ち合わせることになった。
ご存知のとおり、スカイツリーは東武鉄道の社運を賭けた事業。東京マリンとか東部ワールドスクエアとか、イヤ〜な記憶もあるけれど、まあ頑張って頂きたい。
そのスカイツリーだが、現時点で250メートルくらい。完成時には634メートル。自立式電波塔としては世界一となるようだ。
押上駅から地上に出ると、もう目の前にドカーン!である。周辺が(こういってはナンだが)パッとしないせいか、存在感が圧倒的。デジカメを忘れてしまい、iPhoneで撮影したため、写真はショボいです。
業平橋駅あたりまで歩きつつ鑑賞。クレーンがひっきりなしに上下し、轟音が響き渡る。周辺住民の皆さんは騒音がたいへんだろうが、見ていて飽きないね。業平橋のホームがまた、工事現場の見晴らしがよい。
堪能して浅草に移動。観音様にお参りして(いまこっちも本殿の改修工事をしてるんだね)、もんじゃをつつき、学生時代以来の神谷バーで生ビールとデンキブランを鯨飲。
神谷バーは休日でにぎわっており、いろんな団体でものすごい喧噪。しかし心地よい。見ず知らずの人たちとすぐ意気投合できる雰囲気があって、思いがけず楽しいひとときだった。特に、お年寄りたちの愛嬌のよさったらない。奢り、奢られ千鳥足で帰途についた。
年を取ったせいか、「遅咲き」という言葉に以前に増して敏感に反応するようになった。
そういえば最近、やたらと映像化されてるけど、松本清張もデビューは41歳と遅咲きだ(山県先生もおっしゃってましたね)。
そんなわけで、初めてモーニング誌上でこの人の作品を読んだとき、「ああ、これは同世代周辺に違いない」と思ったものだが、実際、作者は1965年生まれだという。2008年末がデビューとなるので、43歳で世に出たことになる。かなりの遅咲きだ。
鉄道の客室乗務員が主人公という意味では「鉄系」となるのだろうが、実際は時代設定が昭和ということもあり、ノスタルジックな人情モノという感じ。
でね、これが泣かせるんですよ。ヘタウマっぽいタッチも相まって、じつにしみじみとした佳いマンガです。年齢や経験を重ねた者にしか出せない味が、しっかり出ておりますよ。
安易にドラマ化・映画化とかされそうな不安もありますが、大いに話題になってもらいたい、そんな作品に久しぶりに出会いました。
いやー、正直ここまで面白いとは思っていなかった。今年、各局がこぞって取り上げていた「ボヤキ」は個人的にはあまり好きではなかったが、そういった要素もありつつ、とはいえ事細かに展開される打撃理論や投球理論については、なるほどと唸る部分も多く、非常に参考になりました。
何度か書いているけれど、彼を南海時代から追いかけてきた身としては、ダークな面もよくわかっているつもりだし、ロッテに行ったり西武に行ったり、そんでもって引退したりといった一連のドタバタも含めて好意的に見ているのですが、そういったひいき目を差し引いても、野球ファンであれば読んで損はないと断言します。
あ、某在阪球団に移籍した彼も、これは意地を張らず読んでおいた方がいいと思うなあ(棒読み)。
ローカルなネタ続きですが、府中市美術館の企画展『ターナーから印象派へ 光の中の自然』に行ってきました。
ターナー本人の作品は数点しかないんだけど、市制施行55周年記念ということでけっこう気合いが入っていたかな。作品展数は約100点とのことで、じっくり楽しめました。
といっても美術に明るいわけではなく、ターナーだなんて名前しか知りません。それも、マンガで得た知識。
坊ちゃんの時代シリーズの第1巻にて、山県有朋の歌をシリーズ通しての悪役・伊集院影韶がヨイショするときに引き合いに出したのがターナー。曰く、「山県候の作歌には枯淡の格調ありと見ます。ターナーのわびた絵画を思い出させます」とかなんとか。それに対して鴎外が「山県侯の歌などハシにも棒にもかからん」とひとりごちるのですが、けっこう印象に残っておりました(このやりとりから漱石が「坊ちゃん」の構想を得る、というシーン)。
そんな話はともかく、いや本当に、ナマの絵というのはなかなかすごいものです。
数メートル離れたところから見ると、ものすごく細かく描き込みされてるような精細感があるのに、寄って見るとそうでもない。ビミョーな濃淡や筆遣いで、ものすごく細やかに表現されてるのね。
図録を買ってもいいかなと思ったけれど、印刷されてるものはまるで「アウラ」がない。やはりコピーではなく実物に勝るものはないのですねぇ。久々に大学時代の、芸術論の講義を思い出しました。
家人が料理教室に通いだした。そのため、月に一度は土曜日の午後がフリーとなり、気ままな時間をすごしている。
昼過ぎ目覚めて、さすがに腹がへってるので近所のスタ丼でも食おうかとも思ったが、冷蔵庫の中にひときれだけベーコンを発見。食い残しのパンチェッタといっしょにじっくり焙り、卵を落とした。
目玉焼きはけっこう苦手な部類なのよね。この日のも火が入りすぎてしまった。難しい。醤油をひとたらし。硬くなったパンといっしょに食す。
どんな料理教室に通っているかというと、魚系。夕食にレパートリーを復習させて、味を見る。鰯の生姜煮。ワタの処理がいまひとつとか、文句を言いながらも美味しくいただく。鰯はなにがいいって、安くて美味いのが素晴らしいよ。
CGアニメ映画というジャンルは、これだけテクノロジーが発達して、ハードウェアの性能も上がり、おそらくはテクノロジーに明るいクリエーターがどんどん増えているというのに、ピクサーと双璧をなすようなライバル会社の存在が見当たらない。
たしかに自前のRenderManはいい制作環境だと思うけれど、ピクサー映画が面白いのは、3D云々ではなく、単純に面白いストーリーや映画を作る能力に長けているからだ。テクノロジーは単に屋台骨であって、それが全面に出てくるようでは意味がないということだろう。
それにしても、なんたることか。冒頭のシークエンスですでにもう、顔がダダ濡れである。後日、公式サイトを見てみたら宮崎駿も似たようなことを書いていた。ていうか、たぶん見た人すべてが、のっけからガツンとやられるんじゃないかと思う。
夫婦や親子、大事な友達、あるいはペットなんかもそうかもだけど、愛する存在との死別は、本当につらいものだ。だがどんな人とも、別れは必然的にやってくる。この映画は、そんな別れの経験ある人、あるいはいずれ経験することになる人すべて(つまりほとんど全員だ)の胸に、強く響くメッセージを持っている。
テレビなどでもさんざん宣伝しているから知っている人も多いとは思うが、この映画は、亡き妻との約束を果たすために、家に風船をくくりつけて旅に出る老人の話である。さまざまな困難に直面し、さまざまな選択を強いられ、決断を迫られる。
できれば、誰か大切な存在の人と観に行き、映画の主題についてや、なぜ原題が「Up」なのかといったことについて語り合うと楽しいのではなかろうか。
ていうかコレ、子供や若造には相当わかりづらいテーマだと思う。目線が上すぎな気もするんだけど、きちんと子供ウケもよくなるよう構成されてるところがすごい。ジブリとかも上手いけど、ピクサーも相当だ。
おそらく私も、いずれ大切な人と死別する。両親はまだ健在だが年老いて入るのでいつ何があるかわからない。事故だってありえるし、来年は自分も本厄だしで、要するに人生一寸先は闇である。
実際にそうなったら、おそらくは悲しみの淵を漂い、思い出の品を前に酒を浴びるように飲み、涙を流して途方にくれるのだろう。が、すこし時間がたって落ち着いたら、この映画のことを思い出し、もう一度見たくなるのではないかと思う。
映画館によっては専用メガネをかけると3D映像として楽しめるようにもなっている。だけどこのメガネ、耳のあたりが痛くなるし、やや暗いフィルターを通すことになるので、前田センセイもおっしゃっているとおり効果の程は期待しないほうがいい。ただし、涙腺がゆるみきった私のような人間にとっては、その本来の用途ではないものの、非常に役立ったことを付け加えておく。
昔ながらの中央線の「匂い」が、いまだ濃く残る西荻窪。阿佐ヶ谷や高円寺も、いまやすっかりお行儀がよくなってしまったが、西荻はまだまだヤンチャだ。だからかもしれないが、駅に降り立つとホッとするもんね。
そんな西荻南口の路地裏で、家人の大学時代の友人がバングラデシュ人のご主人とカレー屋をやっている。「ミルチ」という店で、訪れるのは3度目。日本人の多くはバングラデシュがどこにあるか知らない、あるいはまるで興味がないので、看板は「インド料理」となっている。ありがちな話だ。
とはいえバングラはもともとインドだったわけだし、ベンガル料理ってことであまり気にしない。料理は、いわゆるインド料理ひととおりと、あと一品ものは「海より」のものが多いかな。小魚と野菜をスパイスで炒めたものとか、ベンガル風オムレツとかが美味い。日本の煮干しが効果的に使われてたりして、スリランカっぽさもある。
この店は野菜や豆料理がいい感じ。タマネギの天ぷらとか。あとまあ、いちおうイスラム国なので豚肉はないっぽいね。鶏と羊が主体。
店名は、ヒンドゥー語で唐辛子という意味らしいが、奥様の名前にもかかっている。昨夜は所用だったらしく会えなかったけれど、楽しいひとときをすごした。この路地には、こういった間口は狭いけれど度量の大きな、というか、いわゆる中央線な店が軒を連ねている。通りの奥に公衆便所があって、どの店もそこが指定のトイレ。しょんべん横町スタイルとでもいえばいいのか。
だいたいお開きかなーというタイミングで、ご主人がなにやら料理を作り出す。やたらといい匂いなので、それは何かと聞いてみたら、まかないだという。腹八分目はとうに過ぎていたが、食わせろと無理を言っていただく。
鶏肉をいろんなスパイスでグチャグチャにしたもの、とでも言えばいいのか。正式名称は忘れたけど、ホットで美味し。
入籍1周年の夜であった。